2016年05月04日

「愛、心のふるさと」第7回


「愛、心のふるさと」(塩川香世 著)、第7回目の今日は、「第4章 正しい瞑想が鍵である」の後半部分と「おわりに」の部分を、著者・塩川香世さんとともに読み進めていきます。ページ数では、176ページから最後204ページの部分になります。
今回で「愛、心のふるさと」は終了になります。最後までお聞きいただきありがとうございました。
なお、次回からは、「愛、自分の中の自分」を、塩川香世さんとともに読み進め、新刊「ありがとう 復刻版」の朗読へとつないでいきたいと思います。



思いの世界に生きている、思いの世界にある私とともに生きていると、認識しているから、私は瞑想をしたくなるんです。
心を向ければ、必ず響いてくる世界があります。私は、その世界を大切に育んでいます。それは唯一信じられる世界です。その波動を感じ、広げ、さらに心を向けていくこと、それだけが喜び、幸せ、温もりと出会っていく方法なんだと思っています。
なぜ生まれてきたのかとか、人生の目的は本当に何だろうかとか、そして死を、誰しもが本当に真剣に考え思わなければならない時が、必ずやってきます。意識の流れの中にあることを心で感じていきましょう。愛に目覚めよという意識の流れは自分の心の中にあります。

私は、凄まじいエネルギーであるとか、狂いに狂ったエネルギーであるとか、いわゆるブラックを称賛するつもりはないけれど、エネルギーの大きさに着目します。
すなわち、ブラックは自分の本質に目覚めない限り、ブラックのままだけれど、ひとたび愛に目覚めて、エネルギーの質を変換していけば、それは言うまでもなく、大きなパワーを発揮します。
昔、昔、宇宙に心を向ければ、我の宇宙と出てきたし、宇宙を支配するとか、闘いの宇宙とかを好み、そういうエネルギーを自分の栄養分にして、さらに大きな宇宙を示していこうとしてきた過去を感じてきました。
だから、そこには絶えず闘いのエネルギーが流れていました。闘いのエネルギーの強弱、大小で、すべてを決めてきました。温もりにパワーがあるなんて思いもしなかったことでした。
学びの時は流れました。瞑想を重ね、エネルギーの変換の体験を重ねてきました。私の中で宇宙は変わりました。
次元移行には大きなエネルギーを必要とします。大きなパワーが働いていきます。狂いに狂ってきたエネルギー、凄まじいエネルギーだからこそ、それを反転して、どんどん喜びに変換していけば、それはすごいんです。
自分に目覚め、次元移行という意識の流れを実感できる方向に、一歩進めてください。本来の愛のエネルギー、愛のパワーで、次元移行をしっかりと呼び掛け遂行していける喜びを、堪能してまいりましょう。

目を閉じて、五官を閉じて、ただ田池留吉を思う、アルバートを思う、愛、宇宙を思い、母を思い、重ねてきた転生を思い、これからも永遠に続いていく時を思う。
こうして一つの肉を用意して、その作業ができる今を喜んで、ただひたすらに思いを向けていける喜びの輪が広がっていけばと思います。
宇宙は待っているんです。本当に心から宇宙とともに存在している喜びを、その肉を通して感じ、共鳴し合える仲間とともに、瞑想をする時間と空間を持てたら、こんなに幸せなことはありません。
小さな人の集まりから、さらにその喜びの輪を広げていければいいなあと思っています。

私のふるさとは宇宙です。母なる宇宙です。私は、ともに超えていこうと、宇宙に彷徨う意識達に呼び掛けていける喜びを感じています。
一つの肉体を持ち、今、こうして心を向けられる喜びがあります。思える喜びがあります。
学びを知って、異語が出てきて、異語でふるさとのメロディーを一人口ずさむ喜びを知りました。セミナー会場でみんないっしょにふるさとを歌う場面でも、異語でふるさとを歌っていたことがよくありました。
日常では、犬と散歩しながら、犬を抱きながら、異語でふるさとを口ずさんで、幸せな時を過ごしました。
私のふるさと、宇宙。宇宙を思うとき、宇宙を呼ぶとき、たまらなく嬉しい。どんなに、どんなにこの時を待っていたか。やっと、やっと、約束を果たす方向に、自分の舵を取っていける、そんな喜びとありがとうが心に込み上がってきます。

自分がこれまで生きてきた今世の肉の時間を思ってみましょう。
父として、母として、一社会人、一家庭人として、たくさんのエネルギーを放出してきました。形の世界しか知らなかった、信じられなかった残骸がたくさんあると思います。築いてきたもの、守るべきもの、失いたくないもの、それぞれにあると思います。
しかし、学びと出会い、学び始めました。学び続けています。
今、肉として生きてきた、費やしてきたエネルギーを、本当にプラスとして受け取っていますか。それとも、まだブラック、マイナスのままでしょうか。
生まれてきた意味、人生の目的、正しく教えていただきました。自分の肉とともに、正しく学び、喜んで人生を全うしていきましょう。

愛を捨て去った間違いの転生を経てきました。本当にやっと、やっとなんです。どうぞ、自分の中のその思いに触れてみてください。どんなに狂い続けても、苦しみ続けても、それがやっと、愛だった、みんな、みんな愛だったんだ、と心でしっかりと感じてみてください。心で受けてみてください。本当に嬉しいですよ。
波動、真実の波動の世界を感じてまいりましょう。感じていける、実感できるように、自分の歩みを一歩前へ進めてください。
私達はエネルギー。愛の中に一つのエネルギーでした。

心に響き、伝わってくる波動の世界を、肉を通して真っ直ぐに伝えなさい。
思うことがすべて。思えば通じることを、波動で伝えていくのです。波動はエネルギー。エネルギーは仕事をします。淡々と、そして粛々として、ただただ思うことをやってください。私はあなた、あなたは私。私達は一つ。波動で伝えています。一つの中にある喜びと幸せを伝えています。

私達は愛です。私はいつもそのメッセージを波動として、あなたの中から流しています。すべては愛の存在なんです。愛でないものなんてありません。ただ、肉、形を本物としていては、この波動の世界が分からないんです。それほど私達の心は闇と化してしまった、そう言っても決して過言ではありません。
このことをいつ信じていけるか、これから様々な現象を通して、皆さんの前にしっかりと提示していきます。
愛でないものは一切ありません。どんなに形が崩れ去っても、そこでどんなに人々の心が泣き叫んだ状態であっても、すべては愛。愛しか存在しないことを今一度、お伝えします。
いいえ、何度も伝えていきます。愛しか存在しないんです。

あなたの心の中にある優しさ、喜び、温もりをどんどん、どんどん広げていきましょう。
ただただ田池留吉を思う喜び、愛を思う喜び、宇宙を思う喜びを心に感じ広げていくだけです。
もちろん、その喜びが大きくなればなるほどに、凄まじいエネルギーが心に伝わってくるでしょう。闇黒の中に沈み、まだこの喜びのエネルギーが届いていない宇宙達もたくさん、たくさんあります。
しかし、恐れることは要りません。それらをすっぽりと包み込む愛のエネルギーに満ち溢れていることを、あなたの意識の世界は知っているからです。田池留吉、アルバート、お母さんと心で呼べば、その愛のエネルギーは、たちまちのうちに、それらの闇黒の宇宙達に伝わり、その波動、エネルギーを感じていくんです。
もう、その時期に差し掛かっています。今、宇宙はどんどん目覚めています。肉を持たない分、その目覚めるスピードは速いのです。
どうぞ、心の針をしっかりと向けて合わせて、その喜びの世界を、さらに、さらに、広げていってください。
宇宙は無限大です。あなたは無限大です。田池留吉、アルバートの波動の世界、エネルギーはあまねく宇宙に注ぎ込まれています。
私はいつも、いつも、どんな時もあなたの心の中で伝えています。肉ができることは、私のほうに心の針を向けることです。
どうぞ、心で感じ広げている波動の世界を、どんどん、どんどん広げていきましょう。まだまだ、いいえ、限りなく広がっていく喜び、温もり、愛の世界を、私達は、ただただお伝えできることが喜びです。
出会いをありがとう。本当にありがとう。
肉も大切にしてください。たくさんの宇宙達のエネルギーを受け止めていけることを喜んでいってください。
喜びだけです。こうして出会わせていただいて、本当に嬉しいです。

宇宙に思いを向ける喜びと幸せ、どうぞ、瞑想の中で存分に味わっていきましょう。
私達のふるさと、愛、母なる宇宙は、ずっと、ずっと、待ち続けてくれていました。その思いに応えるべく肉を持ち、田池留吉のもとで学びを進めてきたのです。どうぞ、このチャンス、千載一遇のチャンスを自ら逸することなく、自分に真摯に真向かいになって、すべて喜びで受け入れてまいりましょう。
今、あなたが、どんなに苦しくても、辛くても、悲しくても、恐怖、不安の思いが突き上げてきても、それはあなたが作ってきたものに過ぎないんです。真っ暗闇をいつまでも握りしめていないで、どうぞ、ご自分の心を、もっと開けた優しい温もりの中へ解き放していきましょう。そして、今世、こうして、そこに存在していることが喜びなんだと信じられるあなたに蘇ってください。
田池留吉、アルバートのメッセージはすべての意識達、肉を持つもの、持たないもの、すべての意識達、全宇宙に向けて発信されています。
波動です。愛のエネルギーです。どうぞ、しっかりとそれぞれの心で受け取ってください。受け取り、その波動の世界に一つに溶け込んでいきましょう。喜びだけです。温もりの世界、ありがとうの世界、それがあなたの世界です。

心をしっかりと田池留吉に向けていきましょう。
気付き、促しの現象がそれぞれに起こってきます。みんな、みんな真実に目覚めていくためのものです。
肉、形を本物としてきた心に、強い、強い衝撃を起こさざるを得ないところまで来ています。
日々、本当に心から真剣に田池留吉、自分の中の愛を感じてまいりましょう。
今の肉を持って、真摯に素直に喜んで、自分を見つめていくことを約束してきたんです。そして、本当の幸せ、本当の喜び、本当の温もりを心に復活させること、自分の中のたくさんの自分に伝えていくこと、どうぞ、自分に自分が誓ってきた思いを感じてください。
私、田池留吉は、あなたの心の中でいつも、いつも伝えています。
喜び、温もり、幸せ、あなたの中から尽きることなく湧いてきます。それがあなただから。その本当のあなたに出会っていきましょうと、私は、一つの肉を持ってきました。
本当は、私は生まれる必要などなかったんです。しかし、私はこうして肉を持っています。これは意識の流れが厳然としてある証です。
田池留吉に心を向けること、心の針を限りなく合わせていくことを、私は伝えさせていただきました。
心を一つにして、ともに歩める喜びを伝えています。波動で受けてください。

自分が死んだあとの時間を思ってください。死ねば、ひとりです。今、肉を持っているから、なかなか実感が湧いてこないかもしれませが、間違いなく死ねば、自分の世界がそこにあるだけです。
そんな中で、自分はいったい、どのように存在しているのでしょうか。
本当にお母さんを思い、田池留吉を思い、呼べるのでしょうか。
そして、その手前の死ぬ瞬間はどうでしょうか。どんな思いが心から出てくるのでしょうか。
病気等で、死ぬまで時間の猶予がある場合もあります。あるいは、一瞬のうちに命を落とす場合もあります。
色々なケースがありますが、生まれてきたんですから、必ず死んでいきます。肉体を持ちながら死を学ぶ今があります。この今という時、やはり愛以外にないでしょう。
今世、可能な限り学んでまいりましょう。

たくさんの宇宙達が待っています。あなたの心の中にまだまだ数知れない意識達が待っています。優しい思いを向けてください。ただただ母の温もりの中にあったこと、私達は愛だったと、ともに、ともに帰っていこう、そう伝えてください。
田池留吉に心を向けることを、その肉を持って学んでまいりました。
私達は愛の中にあります。温もりの中にあります。だから、どんなに厳しくて、暗くて、凄まじいエネルギーであっても、いいえ、凄まじければ凄まじいほどに、それを反転していけば、どんなに大きな喜び、温もりが心に広がっていくか。それが思いを向けていく醍醐味です。
ブラックを膨らますだけ膨らませ、垂れ流してきたけれど、それを優しく温かく包み込んでいけるパワーが自分の中にあったことを、私達は今世初めて学ばせていただきました。
宇宙は待っています。優しい思いで、ただただ迎えてください。
日々の瞑想を重ね、その信を深く、強くしていくことに専念してまいりましょう。

宇宙を思って瞑想をしていきましょう。どんどん瞑想をしていきましょう。宇宙は私達の帰るただ一つのふるさとです。
もう形の世界は程々でいいではないですか。いずれその形は全く崩れていくのですから。
私達には形がありません。宇宙に彷徨っている意識達の思いを、どうぞ、どうぞ、心で受け止め、そしてしっかりと伝えてください。
いつまでも、田池留吉を欲で思い、欲で呼ぶのではなく、ただただ喜びで思い、喜びで呼んでください。
思うだけで嬉しい、思えば喜びとなっていますか。
田池留吉は宇宙、私達のふるさと、母の温もり、愛。すべてが一つです。
意識の転回なくして真実の世界を解き明かすことはできないことを、先人達の現状からその通りだと心で納得することが先決です。
自分を変えていくとは、中の意識を転回していくことを言います。そのための数知れない転生だったし、これからの三〇〇年です。
準備万端整えて、これからの転生、現象を迎えていきましょう。ともに歩みを進めていきませんか。

「喜びで、喜びでともに喜びのこの道を進んでいきましょう。」
人類の歴史の中で、初めて、本当に初めて、たった一つの真実の道が指し示されました。
私達の本当に進むべき道、そこには愛しかなかった。そこには喜びと温もりしかなかった。母の意識の中で、私達は何度も、何度もその波動を伝えていただいていたのに、それを自分の中に伝えることができませんでした。瞑想の中で、その愚かさがひしひしと伝わってくるけれど、それもみんな喜びでした。こうして待ってくれていた優しさと温もり、本当の自分の思いに触れていけば、みんな喜びでした。もう絶対に道を間違えずに、ただひたすら自分の前に広がっている道を進んでいくだけですと伝わってきます。
思いを向けることが喜びです。田池留吉と呼べることが喜びです。呼べば応えてくれます。ともにありますと。心を向けていればいいんですと。
あなたは、今世の出会いを本当に喜んでいますか。千載一遇の出会いだと心から思っていますか。
私の中にはその思いが響き伝わってくるんです。だから、どんなに肉が愚かであっても、下らない肉の思いに自分を見失うことはありません。

心を向ける喜びを感じていますか。思う喜びはどうでしょうか。瞑想をする時間をしっかりと確保していきましょう。
あなたの心の中に温もりと喜び、幸せが広がっている今でしょうか。肉をくれた喜びが心に湧いていますか。今ある喜び、今肉があって、思える喜び、ここを本当に心で感じてくれば、この学びに繋がり学ばせていただいていること、それがどんなに幸せなことなのか、どんどん心に伝わり響いてくるでしょう。
心が呼んでいるんです。心から呼んでいるんです。呼べる今が幸せだとしみじみ感じていくでしょう。
心を向ける喜び、思う喜び、思える喜びです。正しい瞑想なくして、何も分かりません。田池留吉を思うということはすごいことです。すごいということはどういうことなのか、どんなにすごいのか、もちろん説明はできません。あなたの心で感じて知っていく以外にないんです。だから、正しい瞑想を心掛けて感じて知っていってください。それが人生なんです。

心を、ただただ田池留吉のほうに向けて、そして喜び、ありがとうの時間を重ねていってください。重ねていけるように学びを進めてください。いつまでも、ちっぽけなことにとらわれずに、もっと自分を大切にしていきましょう。本当にするべきこと、本当に自分が望んできたことは何だったのでしょうか。するべきこと、望んできたことが分からずじまいで、人生を閉じていく人が殆どです。
何もない、ただ思いの世界に存在している自分と、真剣に向かい合って、自分の心の声をひたすら拾っていきましょう。
人間の心は、形の世界の産物では到底癒されません。根本的な解決にはなりません。自分の中の愛に目覚めていく、自分が愛だったと目覚めていく以外に何もありません。
いつ、どんなタイミングでそうなっていくのか、あるいはそうならないのか、それはみんなそれぞれの問題です。
ただし、そういうこととは関係なく、意識の流れの計画は粛々として遂行されています。

宇宙に思いを向けて瞑想。愛を思って瞑想。
すべてが喜び。温もりと喜びの中で、たくさんの宇宙達の目覚めがあり、そして、たくさんの宇宙達とともに次元を超えていく喜び、愛へ帰る道が心の中に広がっていきます。
待って、待って、待ち望んできた波動の世界を心で感じている今世の時間。
宇宙を心から呼べる、心から思える幸せを、淡々と重ねていけばいい。心の中から、そのように伝わってきます。
宇宙に思いを向けて瞑想。愛を思って瞑想。そうすることが、そうできる今が幸せ。だから私は瞑想をします。瞑想、思いを向けていくことが愛なんだ、そう思っています。
「次元移行という意識の流れを、しっかりと心で確信してください。そして、次の転生に必ず繋いでください。」
どなたの心にも、このメッセージが伝わっています。どうぞ、素直に、真摯に、そして喜びで、受け止めてください。今世の時間を大切にしていきましょう。

愛へ帰る道を、一歩、一歩、着実に歩んでいますか。それとも、いまだに他力の神々に、自分を売り渡しているのでしょうか。
母に今のその肉体をいただいてきたのです。その重み、喜びを心から味わっていますか。
今そこにあることが喜び、本当にこのことを心から感じてください。感じてくれば、必ず変わります。意識の世界に変革が起こってきます。喜びはパワーです。温もりはパワーです。
愛を捨て去った意識の世界には、その思いは全く届きませんでした。パワーをくれ、パワーが欲しいとしてきた自分の間違いに気付くことから始めなければなりません。
生まれてきた意味、生きる目的、心から、心から知ってください。

揺るぎない信のもとに、一歩、一歩あなたの道を着実に進めていくこと、それを私はあなたに伝えました。温もり、喜びの世界をあなたの中にどんどん広げていくこと、そのことだけがあなたのするべきことです。
田池留吉に心の針を向け合わせ、そして、どんどん宇宙と交信していきなさい。
宇宙は待っていると、あなたを通して伝えさせていただいています。宇宙、たくさんの意識達。心の中の母を捨て、愛を捨て、暗闇の奥底に沈んでしまった宇宙達。その宇宙達もともに帰れることを、喜んで、喜んでいきましょう。
私達は愛へ帰ります。そのようにあなたの中から伝えていきます。優しい温もり、力強いエネルギー、それが愛のエネルギー。愛へ帰る喜び、ただただそれがあるだけです。
私達の本質、愛へ向かうエネルギーはすごい勢いで、これから地球全土を包んでまいります。
すべては意識。すべてはエネルギー。愛へ帰るように動いてまいります。
宇宙達に心を向けたとき、あなたの心の中に、何が響いてきますか。優しさ、温もりの中へ帰りましょう。優しいメッセージ、力強いメッセージの中にあなたが伝えることは、この喜びと温もり、温かさ、広がり、どこまでも限りなく広がっていく意識の世界に存在している私達だったと、メッセージとしてお伝えください。
そのメッセージは届いてまいります。宇宙達の目覚めを引き起こしてまいります。心の中から、どんどん、どんどん、湧き上がってくる喜び、温もり。愛に帰ろう。喜びに帰ろう。ふるさと、私達のふるさとを思い出そう。そのような思いを、どんどん、どんどん引き起こしていく、それが愛のエネルギー。愛の中に私達は存在しています。


Ⅴおわりに

生活水準もバラバラで、価値基準も色々とあって、人生に対する満足度もかなりの開きがあるのが、形の世界のお話です。形の世界には、公平、平等など決して存在しません。その中でみんなが一様に、幸せと喜びの人生を享受できるなんていうことはあり得ないことです。光が当たれば影ができます。当然です。恨み節を唸っても、どうなるものでもないんです。
だからというわけではありませんが、そういうところでうろうろしないで、そういうところは程々に流して、もっと自分発見にエネルギーを注いでいきましょう。それぞれに残された人生の時間の中で、本当の幸せと喜びの時間を満喫していきましょう。
自分発見です。心の針を自分の中に向けて、自分の中の思いをどんどん掘り起こし、自分をどんどん発見し、同時に自分の中から突き上がってくる喜びと幸せ、温もりに満たされていきましょう。
みんなが一様に、幸せと喜びの人生を享受できるのは、これしかありません。あなたも、そういう過程を経て、私達は愛の中に一つだったと思える喜びを堪能していきませんか。喜びの輪に入ってきませんか。
「愛へ帰る、本当の自分に帰る」、それしかないんです。それだけをするために、私達は何度も生まれ変わってきました。
今こそ目的達成へ総力を上げて取り組んでください。過去の人生の焼き直しではなく、目的意識をしっかりと持って、自分の今と向き合っていきましょう。
「誰のために生きるのでもなし。自分のために生きなさい」、心からそう伝えてくれる己の思いに従って、これからも真実の世界を学んでまいりましょう。
最後になりましたが、あなたの中に、今一度、次のことを尋ねてみてください。
「自分がするべきことは何なのか。本当にするべきことは何なのか。そして、自分が本当にしたかったことはいったい何なのか。」
学びに出会い、少なくとも正しい瞑想を継続してきた方達は、すでに自分の心の中でその答えと出会っているはずです。
あとは、その答えを素直に受けて、それに沿って淡々と存在していけばいいだけです。もちろん、どの程度受けて、どの程度沿っていくのかは、正しい瞑想をして自分の心に響いてくる度合いによって違ってきます。
一方、今現在、学びに触れていない方達も、その答えはもちろん、自分の中にあるけれども、それに出会っていないだけです。出会っていないという意味では、不幸せな人生です。
しかし、今はそうでも、ある時期がくれば、そして条件が整ってくれば、意識の流れに乗っていきます。それがこれから二五〇年、三〇〇年に至る時間の出来事です。それは激動の時間、激震の時間と言えるでしょう。
その時間を経て、二五〇年後に結集してくる意識達があります。
二五〇年後。私は、本当にアルバートの中で、アルバートの波動を喜び、愛だった私達のふるさとへ一歩、一歩着実に歩みを進めていく仲間達と、心を通じ合わせていきたい、いこう、いくんだという思いが強いです。
肉を持ち、こうしてともに学ぶ機会をいただいている友もそうです。そして、もちろん肉を持たないたくさんの仲間達もそうです。
異語と異語で通じ合い、分かり合い、ともに行きましょうと喜び合える時間、空間を共有しながら、さらに真実の波動の世界を感じていくことは最高の幸せだと私は思っています。
出会いを待っています。心の底から歓喜の渦が湧き起こってくる体験を共有できる、そんな瞬間を待っています。
そして、意識はともに次元を超えていきます。これが壮大な意識の流れの計画です。
その壮大な意識の流れの計画に乗って、みんな、みんな、心のふるさと、愛へ帰る道に出会ってまいりましょう。
私達は愛の中に存在しています。愛へ帰る道がそこにあるだけです。その道をしっかりと自分の中に確立していけるように、ただただ喜んで、喜んで、これから存在してください。
喜びです。人生は喜びです。ただただ喜び。愛の中にあったことを心から、心から知ってまいりましょう。
厳然と、そして、粛々と流れる意識の流れをしっかりと心で感じながら、ともに、ともにあることを喜び、そして、愛に目覚めてください。
「愛、心のふるさとは、すべての意識が帰るたった一つのふるさとです。」


posted by ユーティーエーブック at 20:50| 奈良 ☀| Comment(0) | 「愛、心のふるさと」(全7回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「愛、心のふるさと」第6回


今回は、「愛、心のふるさと」(塩川香世 著)、第4章「正しい瞑想が鍵である」の前半部分、ページ数で言いますと、151ページから175ページの部分の朗読です。


Ⅳ 正しい瞑想が鍵である

ここまで記してきましたように、私達人間には、自分達の本質、自分達のふるさと、愛に目覚めていくために、これまでの転生がありましたし、これからの転生という時間(タイムリミット三〇〇年)と空間が、それぞれに用意されています。
みんな愛から出て、愛に帰る中にあり、その軌道修正を自らに求めてきたのです。その軌道修正は困難を極めますが、必ず、必ず、現実のものとしてまいりましょうと固く、固く約束してきたことを、一人ひとりが、正しい瞑想を継続していくことで、自分の中に思い出してください。
真実は、たった一つです。愛の覚醒が待たれています。次元移行という意識の流れは、今、粛々として流れ、仕事を成しています。
どうぞ、一人でも多くの方が、そして一日でも早く、正しい瞑想をして、その意識の流れを自分の中に流してください。ともに帰れる喜びを自分の中で確認してください。
意識の転回、愛の覚醒という人生の唯一の目的を達成するためのキーワードは、「正しい瞑想」だということは、ご理解いただいていると思います。「正しい瞑想」を知らない人、できない人は、本当のことは何も分かりません。ということは、その意識の世界は闇黒だと申し上げてもいいでしょう。よって、是が非でも、「正しい瞑想」をしてください。
繰り返します。
「正しい瞑想」とは、田池留吉を思う瞑想です。田池留吉に自分の心の針を向けて合わせていく瞑想です。
田池留吉とは、自分の中の愛です。心のふるさと、愛です。
田池留吉という人名が付いていますが、お伝えしている通り、田池留吉氏ではありません。田池留吉とは、田池留吉の世界、意識の世界を言います。その意識の世界はあなたのふるさと、愛なんです。それが本当のあなた自身なんです。
だから、田池留吉を思うということは、愛を思うということ、本当の自分を思うということです。
正しい瞑想は、自分の中に喜びと温もりをしっかりと広げていけるたった一つの方法です。
正しい瞑想をすることが、正しい瞑想ができることが、自分を救いゆくたった一つの方法なんです。
このことは、正しい瞑想をしていけば、自ずと分かることです。これしかないことが分かります。
だから、さらに正しい瞑想ができるように、自らをいざなっていきます。それは愛のエネルギーです。自分の中の愛のエネルギーが自分をいざなっていくんです。
その様を瞑想の中で感じていけば、どれほど今という時がありがたい時なのか、そして、どんなに自分は恵まれた存在であるのかが、心に響いてきて、その思いは、さらに瞑想に拍車をかけていきます。いい方向に、いい方向に、自然に循環していくんです。
そうすれば、自分の外に何かを求めることは、全く違っていた、間違っていたことなど、はっきりと分かってきます。外に求めることがどんなに愚劣なものなのか、あなたの心ははっきりと伝えてくるのです。

いつも、いつも、田池留吉の世界に心を向けている自分であるかどうなのかということです。田池留吉以外のものは、みんなブラックです。
そう言い切れるまであなたは、自分の心の中の田池留吉の世界を信じていますか。知っていますでしょうか。
本当の喜びと幸せが自分の中で広がっていけば、どこにいても何をしていても、思えば嬉しいのです。思うだけで嬉しいんです。
何が、何で、そんなことはどうだっていいんです。自分の中はみんな知っているんだから、それに出会っていけば、自ずとそうなってくることが実感できます。もともと幸せだった自分を思い出し、復活させていけばよかっただけだったことが、本当に心で納得できます。
そうなってくれば、あとは、日々、自分の日常の中で無理をせず、自分のペースでゆったりと思いを向けていく喜びが待っているだけです。
それに沿って生活をしていけば、自分を自分がさらに喜びへ幸せへいざなっていくんです。
ああ、本当に幸せな人生だったと、心から、本当に心から湧いて出てくるような時間をできる限り、たくさん、たくさん持っていきましょう。
何も難しいことはありませんでした。本当に幸せは、そこら辺にゴロゴロと転がっていました。幸せを幸せだと思えないようにしてきただけのことでした。

瞑想をしましょう。正しい瞑想をしましょう。
そして、幸せな自分、喜びの自分、これからのこと、色々、色々、心で感じ心で味わってください。
正しい瞑想を継続、日常化して、本当の喜びと本当の幸せを味わっていきましょう。
正しい瞑想を通して、限りない温もり、限りない優しさ、限りない喜びの中で、こうして、今という時を迎えていることを、実感してください。
そして、間違い続けてきた自分の道を、自分の中の愛のエネルギー、パワーで、真っ直ぐに、ただひたすら真っ直ぐに、愛へ愛へと進めていきましょう。

さて、目に見えなくて、耳にも聞こえなくて、形も匂いも何もない世界に、たった一つある真実を知っていくために、「日々、正しい瞑想を」ということで、私自身も励行しています。
以下、日々の瞑想を通して、私の心に上がってきた思いを掲載させていただきました。

「自分の中にすべてがある。自分の中に温もり、優しさ、喜びがある。心を自分の中に向けていけば、本当の自分が応えてくれる。」
これを自分の中に確信すればいいんです。いいえ、みんな確信できるようになっています。
だから、確信できれば、あとはどんどん自分の中に針を向けていけば、もう自分達はどんなに幸せであるか、どなたの心にも響いてきます。素直に自分の周りを感じてください。素直になって、自分の心の声を聞いてください。母の思いを感じてください。
何ということもなかったんです。幸せな自分がそこにいるだけです。ありがとうと言っている自分がそこにいます。私達は、その自分とともに存在していくことを学んできたはずです。
だから、すごい学びなんです。学ばせていただいたこと、いただいていることに、感謝、感謝しかないでしょう。
嬉しいから瞑想をします。幸せだから瞑想をします。
思いを向けることが、本当の喜びであり、本当の優しさなんです。

私達は愛に帰る、本当の自分に帰る道筋にあります。
これは絶対の真実です。このことをあなたの心で知ってください、感じてくださいということなんです。本当に心で知っていけば、感じていけば、すべてが整っていたことはつぶさに感じられます。
そして、みんな愛の中にあった、もともと幸せ、喜び、温もりのエネルギーとして存在していたことが自分の心で分かります。自分の心で分かるんです。自分の意識の世界でキャッチできるんです。それを実感してください。そうすれば、人生、すべては喜びです。自分という存在は喜びだということが分かります。
喜びの自分を苦しみの自分に変えていった愚かさ、無知を感じて、感じて、そして、そこから喜びの自分とともに存在していく道に、一分、一秒でも早く出会ってください。

「どのようにして生きていけばいいのか。何を求めて生きていけばいいのか。どうすれば心から幸せだと思えるのか。本当のことは確かにあるんだけれど、それはいったいどこにあるのか。何が本当のことなのか。」
自分の中の疑問が氷解していく過程をこうして歩ませていただいていることが、私には本当に嬉しいこと、喜ばしいことです。
自分の外に探し求めてきたものはみんな、泡のように一瞬にして消え去っていった数知れない体験があるのに、それでも懲りずに自分の外に求めていってしまう心癖を打破することは、確かに難しいことでした。しかし、不可能なことではなかった。針の向け先が間違っていることを伝えてもらったから、それを素直に実践していけばいいだけのことでした。
「本当のことは自分の中にある。自分の中に本当の自分がいる。それが愛と呼んでいるものなんだ。自分は愛とともに、愛の中にあるんだ。」
心を中に向ける瞑想、内なる田池留吉、本当の自分に合わせていく瞑想の時間を重ねながら、長年の疑問に、こういう解答を引き出していった現実を前にして、益々瞑想に磨きがかかります。
プラス、プラスに転じていく瞑想の手応えを感じています。

我は神なりの下らないちっぽけな世界から、自分を一日も早く解き放してください。自分を自由にしてあげてください。
自分の中の苦しみ、哀しみ、閉塞感等々の暗くて重いエネルギーに愛、優しい温もりをお伝えください。ともにあることをお伝えください。私達は愛だったとお伝えください。お伝えできる喜びと幸せを、満喫してください。
上からの目線では何も伝わりません。ともにあることを優しさと温もりの中で伝えているか、いつも絶えず自分の中の針の向け先を確認しながら、一歩、一歩、慎重に、しかし、しっかりと歩みを進めてください。

心を向けていけばいくほどに、ただただ嬉しい。思うだけで嬉しい。宇宙は待っているし、だから、宇宙に思いを向けると、どんどん応えてくれます。それが本当に何とも言えない喜びです。
真っ暗な中で彷徨い続けてきた自分に、私は、今、こうして温もりと幸せ、そして愛へ帰る、本当の自分に帰る喜びだけを伝えることができるなんて、これこそ奇跡としか言いようがありません。そして安らぎを感じます。
肉という形を持っている私がここにあります。肉というものは、今世だけでも、習慣とか慣習とかといったものに自分をはめ込んできたんだから、肉の自分の思いはとても小さなものです。
しかし、私は全くそれとは違う自分を知っているし、感じています。だから、私はすうっとその自分の世界を心に広げていくことができます。
そうすると、本当に違うんです。自分の中に奇跡が起こったんです。その奇跡が喜びとなって、温もりとなって現実に、今、私の中に広がっていく体験を瞑想の中で重ねていくことができます。
だから、瞑想は喜び。瞑想だけが真実の世界を伝える術でした。
形も、色も、匂いも、言葉も何もない。ただ思いが広がっていく。その思いは優しさ、温もり、広がり、ともにある喜びの世界でした。

本当のことを知るために、本当のことを自分に伝えるために生まれてきたんだと、自分の心で本当に知ったとき、何もかもうまく仕組んできたと思わざるを得ないです。
仕組む、それは自分の計画ですが、自分の中はみんな知っていた、知ってこうして肉を持ち、肉の環境を設定、整え、自分をいざなってきたんだと実感です。
そのエネルギーはいったい何だろうかと思うとき、ああ、本当の自分が自分をいざなってきたんだと心で思えます。だから、瞑想は喜び。瞑想をすればただただ幸せと喜びを感じます。
どんなに苦しい中にあったとしても、こうして自分に本当のことを伝えることができる今がある、こんな時を迎えられる今が私には何ともありがたいです。
肉から見る世界、意識から見る世界、全く違っていた。本当にすごいとしか言いようがありません。
そういうすごい心の体験を重ねられるということが、喜び、幸せです。
それは、目を閉じて、心を向け合わせていくしかないんです。肉を持たせてもらったから、学ぶことができました。だから、ありがとうしかありません。

母の思いが伝わってきます。たくさんの母から思いが伝わってきます。
ありがとうだけしかありません。肉を持たせていただいてありがとう。
ありがとうと言えることが幸せです。
見ること、聞くこと等、五官によって入ってくるものに、心が動かないはずはありません。しかし、心の針を向けて思うことを学んできたんだから、その振幅は驚くほどに小さくなっているはずです。
いつも、そして、ふっと自分の中に戻る大切さを学び、会得し、自分の中に戻れる幸せと喜びを広げていける、こんな人生ほど幸せな人生はないと私は思っています。

「喜んで、喜んで、ただ喜んでいけばいい。」
気に食わない人、気乗りのしないこと、気に染まないこと、気をもむこと、その他、自分を汚してきた諸々を山のように積み重ねてきた数知れない転生。どんなにしても幸せが分からなかった。どんなにしても喜びはすぐに苦しみへ変わっていった。けれど、なぜなのか分からなかった。
そして、今世生まれてきました。そして、学びに繋がりました。そして、基盤を変えることが、そのなぜの疑問に答えることであることを学びました。一生懸命に学びました。学ばせていただける環境を喜びました。みんな自分で計画してきたことだけれど、私は自分の人生に、今世、初めて満足しました。
今は、宇宙を思うことを励行しています。宇宙を思うということは、愛を思い、田池留吉を思い、アルバートを思い、母を思い、ふるさとを思うこと。
「思うことがすべてで、思えることがすべてで、そして、喜んで、喜んで、ただ喜んでいけばいい。」
このことは、正しい瞑想を継続、日常化していかないと自分の心で分かりません。だけど、正しい瞑想を励行していけば、いとも簡単に誰にでも分かることでした。
そして、それからが本当の学びでした。肉もない、名前もない自分の仲間達に呼び掛け、ともに存在している喜びと幸せを、温もりの中で伝えていきましょう。

私は、死後の自分を感じ、死んだらどうなるのか、今、はっきりと自分の心で感じていくことが大切だと思っています。
それが一番、これからの自分にとって、大きな意味を成していくと思います。それを心で感じ、心に広げ、そのことをどんどんどんどん、そうだ、そうだと心で感じていくことが、自分にとって一番大事なことだと思うんです。
自分の死後は、今、現実的なものです。死んで自分はどうなるのか。
心の中で感じ、それが現実のものとして今、心で感じられること、その感じたものをしっかりと受け止めて、それを、自分の学びのポイントとしていく、自分の歩みを進めていく、その思いはとても大切だと思うんです。
だから、私は、自分の死後を呼ぶ瞑想、自分の死後を感じる瞑想、自分の死後と語る瞑想、そういう方向に心を向けて、その時間をたくさん持ちたいと思います。

最初から幸せだったと心で感じている今でしょうか。瞑想は喜びとなっていますか。心を向ければ、ありがとう、嬉しい、幸せとなっていますか。宇宙に心を向けていますか。宇宙を呼んでいますか。宇宙の波動を心で受けていますか。宇宙と対話していますか。心の底から突き上がってくる体験はどうでしょうか。
異語を発していますか。どうぞ、宇宙と思い、愛と思い、異語で語ることをやってみてください。異語は波動です。異語は宇宙のリズムです。
異語を発して、自分の中の宇宙が反応していくことを実感してください。宇宙は生きています。あなたの中で、あなたとともに生きています。そういうことをどんどん感じられる瞑想の時間を持っていきましょう。
瞑想は楽しいです。瞑想は嬉しいです。ともにある喜びが感じられます。そんな瞑想の時間を重ねていけば、自分とは何だろうか、自分の周りの人達や出来事とは何、生きているとはどういうことだろうか、死ぬとはどういうことか等々の問いかけを、自分の中でしっかりと検証しながら、着実に歩める喜びを実感できると思います。

自分の身近な人で、学びに触れた人で、もうすでに死んでしまった人がいる人は、その人達に意識を向けて現状把握していくことをやってみられたらどうでしょうか。
同時に自分の死後、死後の自分を語ることをしていけば、よりいっそう今、肉を持っている今が、大切だと実感できるのではないでしょうか。
私は、そういうことを活用しながら私の勉強を進めています。
私の場合、愛犬の死も体験していますので、もちろん、そちらのほうにも意識を向けています。
結果は言うまでもありません。分かり切っていることを実際にやってみるのも勉強です。その違いは歴然としますが、そういうことも自分の勉強の一つに加えることによって、生きているということ、死んでいるということ、その境目はなく、みんな意識であるということが鮮明に心に響いてきます。
色々と自分で工夫して、瞑想を楽しんでいきましょう。自分を救うために生まれてきたんです。自分に本当のことを伝えるために生まれてきたんです。そこのところ、一日も早くスイッチを切り替えて、瞑想ができる生活環境を整え、喜んで今、学んでいきましょう。

正しい瞑想をするには、やはり母の温もりです。温もりの中にどんどん自分をいざなっていく優しさ、パワーがあると、確認、確信する体験を重ねていくことです。そうしていくと、段々喜びと温もりが大きくなって、さらに自分を受け入れていく喜びを感じます。喜びと温もりの層が厚くなって、さらに心の針が合ってくるということ、つまり、正しい瞑想ができてくるということでしょう。それはまさに相乗効果です。

何をするために生まれてきたのか。何かをしなければならなかったんです。その何かが全部、全く全部違っていました。そもそも、生まれてきて死んでいくまでが人生だとしてきたことが間違いでした。
何かをしなければならなかった。その何かを知りたくて、だけど結局分からずに、世の中という流れに流され、染まり、小さな幸せと喜びに満足せざるを得ない、あるいは失意のうちに幕を閉じていくか、そんなことばかりを繰り返してきたように思います。
神とか仏とか宇宙のパワーとか、そんなもので幸せと喜びを手中に収めることができると信じてきた己の愚かさに、ようやく今世の肉を通して出会え、自分を知らずにきた愚かさに懺悔しかありませんでした。
だから、「あなたは愛です」というメッセージほどすごいものはないです。そのメッセージを心で受け、波動を感じ、波動で応えていく瞑想の時間を持つ、持てるほどすごいものはないです。
死ぬまで元気で瞑想三昧。何かをしなければならなかった。その何かを心で知って、豊かな、本当に心からありがとうと思える時間を、自分の中に広げていきませんか。田池留吉の意識が三次元にやってきたから、それが可能となりました。私はそれを心で知り得ました。だから道は真っ直ぐです。

「すべては真実の自分に目覚めるために。愛である自分に目覚めるために。」
今のこの肉体を持って、学びに触れ、学びを進めてきた時間を朝の半身浴でふと思いました。
前記のメッセージのシナリオを自分に用意してきた現実を思い起こし、形として現れ、それを促し、また形は消えていき、その中でそのメッセージは忠実に遂行されてきたんだと感じられます。
日々瞑想を重ねていけば、本当に意識の流れは何の狂いもなく流れていて、その中にあったことに気付いていくようになっていることを感じます。
すごいと思いました。どんなに間違い続けてきても、どんなに苦しみ続けてきても、待ち続けて信じ続けている自分の存在に気付くように、気付くように自らを促している、そんなことが実感として心に響いてきます。
心の針を向けて合わせていく瞑想をしていればそれでいい。それだけ。私は本当にそう思います。愛、宇宙、田池留吉、アルバート、お母さん、それが私のふるさとでした。私のふるさとを思い、瞑想をするだけです。

幸せと喜び、温もりは自分の中にあった。それは本当だったんです。だから、心を向ければよかっただけでした。いつでも、どこでも、どんな時も、自分はその中にあったんだということでした。
こんな単純なことが、こんな簡単なことが、なぜ、長い、長い間、分からなかったのか。本当にそう思います。そして、分からなかったから、苦しい転生を繰り返してきたことも頷けます。
嘘みたいだけれど、本当です。心の向け先ひとつでした。ただそれだけでした。温もりと喜びの中で広がっていきます。

日々、生活のリズムが一定していて、そして、ありがとうの思いが自然に出てくる生活。そんな時間が過ぎ去っていく中で、ただ思うは意識の流れ。宇宙とともにある今を、喜んで、喜んで、ただひたすらに瞑想をします。
肉を本物として存在してきた転生の結果、ようやく宇宙という自分のふるさと、帰るべきふるさとを心に広げていける転生に出会いました。
宇宙を思うとき、私は本当に嬉しいです。異語で語り合える時間がたまらなく嬉しい。肉という形を纏った私の中で、宇宙達の喜びがつぶさに感じられます。私達は、温もりと喜びが湧いて出てくる世界にあったことを、確認しています。だから、瞑想は喜びだけです。
心を向けることが、どんなに素晴らしいことなのか、どんなにすごいことなのか。私の中の田池留吉、アルバートの意識とともに、この道を、ただひたすら真っ直ぐに前進あるのみです。
それが私の切望してきたこと。そして、意識の流れの計画。愚かな肉を携え、ようやく自分の計画を知っていく時間となりました。ありがとう。

posted by ユーティーエーブック at 19:52| 奈良 ☀| Comment(0) | 「愛、心のふるさと」(全7回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月03日

「愛、心のふるさと」第5回


今回は、「愛、心のふるさと」(塩川香世 著)、第3章「愛へ帰ろう。心のふるさと、愛へ」の後半部分、ページ数で言いますと、124ページから149ページの部分の朗読です。


誰しも耳に心地良い言葉を聞きたいし、優しい態度で接してもらいたいでしょう。あえて、厳しいことを言われたり、冷たい態度を受けたりすることを望む方はいないと思います。
耳に心地良い言葉、優しい態度は、確かに励まされ、癒され、元気づけられていくかもしれません。しかし、それは一時的なこと、そして、案外そういうことは、自分の心を見るチャンスを摘み取ってしまうことになるかもしれません。
だから、肉的なことで一喜一憂しないで、いつも自分の中に心の針を向ける習慣を身につけることに専念しましょう。それは、自分と自分の対話です。そこから引き出されたものを、さらに自分の糧にして、自分の歩みを進めていくようにしてください。
自分と自分の対話ということですが、たとえば、こういったことです。
「本当の自分とは何ですか。本当の自分はどこにありますか。本当の自分を知っていますか。存在を確認していますか。信じていますか。その度合いはどの程度ですか。自分のこれからが見えていますか。」
「自分の展望は明るいですか、暗いですか。肉体を持っている間、何をしていきますか。」
「今、心に引っかかることはありますか。棘のようにチクチク痛みますか。心を残すようなことですか。」
「今、一番関心があることは何ですか。何か望むことはありますか。」
「今、幸せですか。生きてきてよかったと思えますか。生きていくのは大変だと思いますか。」
まだまだ色々な問いかけがあると思います。どんどん自分に問いかけて、そして、返ってくるものから、また自分の歩みを進めてください。
自分と自分の中の対話。自分と自分のお勉強。自己確立です。
自分の心を見て、自分の出すエネルギーを知って、間違ってきた自分のエネルギーの質を変えていくように、変えていくように仕向けているのは、自分の中の愛。その愛に目覚める。目覚めれば、思うだけでそのエネルギーは仕事をしていく。そうして数限りない意識達とともに、次元を超えていく計画をしっかりと遂行していく。そのルートが自分の中ではっきりと確立していることを自己確立と言います。
その自己確立の中でこそ、本来の自分の姿が、現状がはっきりとしてくると思います。そして、そこからまた一歩、自分の歩みを進めていけばいいとなってくるでしょう。
そんな時間と空間がそれぞれに用意されているのだから、それがどんな状態を呈したとしても、それは、みんなプラスなんです。形の上からはマイナスであっても、やがてそれは必ずプラスに変わっていきます。もともと、プラスの要因しかないんですから。マイナスは必ずプラスに変わっていきます。私達の本質は愛、すべては愛の中にあるからです。
それに目覚めるように、目覚めるように、肉体というものを正しく活用して、そこから得る情報によって、しっかりと自分の心を見ていくようになさってください。喜びで心を見ていきましょう。

日々、淡々と一定のリズムの中で暮らす。そして、その中で、自分と自分の中の対話を楽しみ、自分が今、ここにこうして肉を持っている現実を、ただ素直に喜び、それを自分の糧として、これからの自分の時間に思いを馳せていく、そういう道筋、確かな自分の道筋を自分の中で確認できる、これほど幸せなことはないでしょう。
意識の世界には形はないんです。目に見えません。そして無限です。それが私達の本当の姿です。目には見えない世界のことだから、自分の心で感じて、感じたものを信じていく以外にないのではないでしょうか。
そして、確かに、聞いて分かる、納得するという内容の話でもないけれど、どうすれば、どうしていけば、そして、どうなることが、本当に自分が望んでいることなのかは、みんな自分が一番よく知っているはずです。
自分の動く心を見て、自分が瞬時に流すエネルギーを感じて、そこから自分の中が何を求めているのか、徹底的に自分から答えを引き出していくことしかないのです。
どんな思いで、今世生まれてきたのか、来世生まれてくるのか、瞑想の中で何度も、何度も確認してください。そして、その思いが自分を導いているんだと知ってください。そんな自分に忠実に存在してください。
肉を生かすための人生ではありません。本当の喜びはどこにあるのか、本当の幸せは何なのか、過去死んだ自分から、そして、来世生まれてくる自分から学んでいきましょう。
「間違った輪廻から抜け出して、必ず、必ず、本当の喜びと温もりの中に戻っていく道を歩いてまいりましょう。」
本当の自分からのメッセージです。これは本当の自分と交わした固い約束です。どうぞ、あなたの心で受けてみてください。受けていけるあなたに蘇ってください。

正しい瞑想の正しいとは、心の針の向け先を言います。
ここまで、意識の流れというものがあって、それは、すべての存在に、心のふるさと、愛へ帰ろうという呼び掛けを発信しているということ、それを心で知っていくには、自分達の意識の変革が必要だということ、そして、それを促していくために、正しい瞑想をしてくださいということを記してきました。
正しい瞑想とは、言うまでもなく、あなたの内なる田池留吉に心の針を向けて、合わせて、思うということです。次章のタイトル通り、すべては正しい瞑想ができるか否かにかかっています。
一〇〇点満点の瞑想ができなくても、ほんの少しでも、ほんの微々たる程度でも、内なる田池留吉に心の針が合ってくれば、それは本当にすごいことだと納得するでしょう。
ただし、いくら正しい瞑想をしようと思ってみても、それを阻止しようとするたくさんのブラックのエネルギーを抱えて生まれてきたのが私達ですから、そう簡単にはできないのが現実です。
それでも、それでも、していかなければならないんです。だから、する方向に是が非でもいってください。
そして、正しい瞑想、田池留吉を思って瞑想をしていけば、あなたの心から、お母さん、アルバートと必ず出てくることを確認してください。
あなたの心は、必ず、必ず、アルバートと呼んでいきます。そして、宇宙を呼んでいきます。そして、この宇宙を思う、思えることが、たまらなく嬉しい、懐かしいとなってきます。

今、突然ですが、アルバートという言葉を出してみました。
宇宙という言葉は、第Ⅱ章より頻繁に出てきますが、アルバートという言葉は、この箇所が初めてです。
そこで、アルバートとはいったい何だろうかとか、また、宇宙とは、世間で言っているあの宇宙とはどうも違うようだが、今ひとつよく分からないとか、思われている方もあるでしょうから、「アルバート」と「宇宙」について、少々説明をさせてください。

①アルバート
アルバートは、田池留吉と同様に人名ですが、それらは、ただ単に人の名前というのではなくて、真実の波動の世界の総称だと思ってください。
そもそも、真実の波動を伝えるために、その意識の世界が肉という形を持ったのは、今世が最初でした。田池という家に生まれたその子は、留吉と命名されたので、真実の世界=田池留吉となりました。
そして、その真実の波動の世界が今度、肉という形を持つのが二五〇年後という計画です。その時の名前がアルバートです。
そういう意味で、田池留吉も、アルバートも人名には違いありませんが、それよりも、その名称は、真実の波動の世界を指している、田池留吉、アルバートと言えば、意識、波動、エネルギーなんだとご理解ください。
そうすると、田池留吉の肉がある今世の時間は、どんなにすごい時間なのかということになりはしませんか。
今世から、二五〇年後にアルバートという波動が肉を持つまでの間、皆さんがこの地球上に転生をしてきても、真実をお伝えする人は誰も現れないということです。
その間、皆さんに何度転生があるのでしょうか。その転生のたびに、また心を落としていくのでしょうか。そういったことも、本当に真剣に思ってみてください。

②宇宙
もちろん、世間一般に言われているあの宇宙ではありません。宇宙もまた、意識、波動、エネルギーです。
従って、宇宙は、私達の外にあるのではなくて、私達の中にあるんです。言ってみれば、私達は宇宙そのものなんです。
ただし、私達は本当の自分である愛から遠くに存在し続けてきたので、私達の中の宇宙は闇黒の宇宙となってしまいました。自分達の中に闇黒の宇宙を作り続けてきたんです。
田池留吉もアルバートも私達の中にある世界、宇宙です。それは、たった一つの真実の世界。もともとあった宇宙です。
そして、闇黒の宇宙も私達の中にある世界。ただし、それは自分が心を見て、どんどん正しい方向に心を向けるように努めていかなければ、どこまでも闇黒の宇宙のまま。田池留吉、アルバートの宇宙とは決して相和することはできません。
つまり、闇黒の宇宙を心に抱えたままでは、次元移行という意識の流れには乗れないということなんです。
従って、私達の中にある宇宙という波動、エネルギーが、どんどん田池留吉、アルバートの波動、エネルギーの中に溶け込んでいくことが必要となってきます。それには、正しい瞑想が何よりも、何よりも必要なものなんだということです。

さて、アルバートと宇宙についての説明より、正しい瞑想がいかに大切であるか、ご理解いただけましたでしょうか。
正しい瞑想ができるようになって、どんどん田池留吉の波動、アルバートの波動、それは、自分達の心の中にもともとあった宇宙なんですが、その宇宙の波動を感じていただきたいと思います。
田池留吉の波動、アルバートの波動ということですが、それらは、決してバラバラのものではありません。すべては愛でした、愛の中で一つ、ということを伝えてきます。
その波動は喜びです。温もりです。温かいんです。優しいんです。広いんです。そこを本当に心で感じ知っていけば、「宇宙は、私達の帰るたった一つのふるさとでした」ということが、自分の心で分かってきます。
そして、それが「愛」ということでした。
私達が帰るたった一つのふるさと、私達はそれを「母なる宇宙」と呼んでいますが、その母なる宇宙へ帰る、つまり、愛へ帰る旅路の途上にある自分達だったことを心で感じてくれば、もう誰が何と言おうが、ただただ、ひたすらに田池留吉を思っていこうとします。それがたった一つの喜び、幸せだということが、はっきりと心で分かるからです。
このことは、あなたの頭では決して分からないことですが、正しい瞑想をするように、するように、自分を仕向けていけば、あなたの中から、アルバート、そして宇宙、愛、お母さんと呼ぶ、いいえ叫ぶ、何とも言えない嬉しい思いが、異語とともに飛び出てきます。ここを体感すれば、「瞑想は喜び、本当に喜び」となってきます。
異語とともにとありますが、異語とは、日本語、英語、中国語とかいうものではありません。異語には主語もなければ述語もありません。
デタラメを言っているように聞こえますが、それは私達の中の宇宙という意識が、自分達の思いを伝えているんです。それを波動としてキャッチできれば、それぞれの心にストレートに響いてきます。
あなたも異語で、どんどんと自分の思いを語ってみてください。語っていけば分かります。実践を通して心で感じてみてください。

もちろん、私の中では、すでに、田池留吉と言えばアルバート、アルバートと言えば田池留吉、田池留吉の宇宙はアルバートの宇宙、アルバートの宇宙は田池留吉の宇宙となっています。
田池留吉の意識は、その肉を持って、アルバートの波動を伝えに来てくれたんです。このアルバートの波動を、全宇宙が待っていることを、私の意識の世界は知っています。だから、内なる田池留吉に心の針を向けて合わせていけば、必ずアルバートと呼ぶたくさんの宇宙達を感じます。
意識の流れはアルバートとともにです。田池留吉の意識は、アルバートの意識。田池留吉を思うことは、アルバートを思うこと。私は、そのように自分の中ですでに結論付けています。
私の中では、田池留吉とアルバートを切り離すことはできません。田池留吉に心の針を向けて合わせるということは、アルバートを思うことなんです。
アルバートと呼ぶことが嬉しくて、田池留吉の異語はアルバートの波動を伝えてくれていて、そして、母なる宇宙を伝えてくれていて、だから、ただただ、田池留吉を思い、アルバートを思うことが喜びとなっています。
そういう状態の中で、宇宙を思い瞑想すれば、私の中の宇宙は限りなく広がっていくことを感じます。それを表現すれば、次のような感じです。私の中の宇宙達が語ってくるんです。

「田池留吉、アルバート、私達はともに次元を超えていく意識でした。私達は田池留吉、アルバートのもとに一つの意識でした。」
私は宇宙に心を向けると、心の中の宇宙達がそのように語ってくるのを感じます。ともに、ともに歩いていく存在。ああ、ああ、私の仲間。喜び、喜び、喜びです。
「ともに連れだって、心の中を、ああ、私達は見ていきます」と伝わってきます。
私は、今肉を持っています。この肉を持ちながら、宇宙を呼んでいます。
広く、広く、どこまでも広がっていく私の中の宇宙。宇宙を呼ぶことが私の切なる思いでした。宇宙に心を向け、ともに帰ろうと、母の温もりへ帰ろうと呼び掛けていくことが喜びでした。
「心の中の田池留吉、アルバート。優しい母の温もりの中へ私達は帰ります。愛へ帰る道をどんどん歩いていくこと、どんどん突き進んでいくこと、ともに、ともに歩いていける喜びだけを心に感じ、私達は、存在していきます。」
このことを固く約束してきたことを、私は、今世、思い出しました。
ともに、ともに語り合える仲間を心に呼び寄せ、私は必ず帰っていきますと、この三次元で転生を繰り返し、私は、そのように自分に約束してきたことを思い出したんです。
田池留吉、アルバートの意識の世界に私達は本当に一つ。温もりの中へ、喜びの中へ帰る意識だと、私の中に愛溢れるエネルギーが、本当にあったことを今、心から伝えられる喜びだけが響いてきます。
私は、本当にこの世界を感じ幸せです。田池留吉、アルバートの世界は私の中にありました。ああ、ありました。私達は喜び、喜び。
喜びで、喜びで存在していくエネルギーとして、心の中をどんどん広げてまいります。

今、宇宙を思う瞑想の一例を挙げさせていただきましたが、これは決して特別なことではなく、もうすでにどなたの心の中にも響いてきているはずなんです。意識の世界は一つなのだから。
約束を思い出したと語りました。あなたは今現在どうでしょうか。自分との固い約束を思い出しましたか。その自分の思いに触れれば、おそらく、きっとあなたも自分の中の宇宙達に、どんどん呼び掛けていくでしょう。「愛へ帰ろう。私達のふるさと、愛へ」と。

意識の世界は一つだと記しました。
過去の死んだ自分から、そして、来世生まれてくる自分から学んでくださいとも言わせていただきました。
意識の世界は、形の世界のように、過去、現在、未来が順番にあるのではなくて、現在、今があるだけなんです。今という一点の中に、過去も未来もあります。
だから、今、あなたが心をどんどん見て、心をどんどん田池留吉の意識の世界に喜びで向けていけば、あなたの過去も未来も変わっていきます。
そして、過去のあなたが、未来のあなたが、今のあなたに伝えてきます。
そんな過去のあなたと、未来のあなたとともにある喜びの中で、今という一点に私達は一つということを、ぜひ、瞑想を通して実感していただきたいと思います。
この章の締めくくりとして、二つの文章を掲載します。
今の私と、過去の私、そして、来世の私が一つになって、ともに「愛へ帰ろう。心のふるさと、愛へ」の思いを確認し合っていると思います。
今の私が語っているのかと思えば、それは過去の私だったり、来世の私の思いなのかと思えば、それは今の私の思いだったりしていると感じていただければ幸いです。

お正月に神社に行った。お墓参りをした。仏壇に手を合わせた。宗教団体の教祖を心に入れた。南無阿弥陀仏と唱えた。そして、アマテラスに仕えてきた自分。伊勢神宮には結婚の報告を。そして、奈良の大神神社には、年に何度も訪れた。
たくさんの、たくさんの間違いを繰り返してきた。だけど、今の私の心の中にあるのは、ありがとう、ありがとう、ありがとう、私は愛に帰ります、私のふるさと、母なる宇宙へ帰ります、この思いだけです。
だから、私は、今こうして、肉体を持っています。田池留吉の意識と出会わせていただきました。学んでまいりました。
千載一遇のチャンスだと、千載一隅の出会いだと心で知りました。田池留吉の意識、アルバートの世界、その宇宙、母なる宇宙の波動、心で感じさせていただきました。
どんどん心を向けていく喜びを感じています。私の中で、田池留吉、アルバートの世界は広がってまいります。限りなく広がっていく意識の中で、ともに歩めることを喜んでいる私があります。
間違い続けてきました。祈り、願い、宇宙を支配し、自分の保身のために、我が一族の保身のために、虫けらの如く殺傷してまいりました。
政治を動かす影の力となり、神の言葉を発してまいりました。すべてがブラックの世界。心を闇に売り渡し、私は、地獄の奥底の底の、底の、奥底に真っ逆さまに落ちていくだけの転生でした。
しかし、私は、懲りずに、何度も、何度も同じ間違いを繰り返し、こうして、今、一つの肉体を持たせていただいています。
今世、私は、自分のすべてを懸けてきました。心を田池留吉、アルバート、お母さん、温もりに、しっかりと向けることを拒否してきた私にとって、それを遂行していくことは、とても、とても困難なことでした。しかし、「今世、私は、自分のすべてを懸けてきた」という自分の内なる思いが、それを可能にしたんです。
「今世を外せない。」
今世は、私にとって、たった一つの、そして最後のチャンスでした。
今世、私はここを外せば、もう、再び、自分の本質に出会う、愛へ帰る道へ自分をいざなうことは、殆ど難しい状況でした。その背景を全部抱えて、私は、今世の肉体をいただきました。だからこそ、田池留吉の学びに食らいついてまいりました。
今世は、そういう状況から、二十年という時間を必要としましたが、ようやく、私の中にも、「自分が愛でした。私はこの道を真っ直ぐに歩いてまいります」と確信が芽生え、その芽生えが育ち、今、自己確立の道を喜び、喜びで歩いていく状況にあります。
私は、心から田池留吉を信じています。アルバートにどれだけ出会いたかったか。アルバートの波動をどれだけ心の中に広げたかったか。その思いは、私自身、一番よく知っています。
だから、田池留吉がアルバートの波動を伝えにきてくれたということを、私はどれだけ喜びで受けていったか。アルバートを待っていた私にとって、田池留吉を信じているかいないか、そういう思いを向けられること自体が、愚かなことだと、私は、言い切れます。
私は田池留吉とともに歩いてまいります。田池留吉の世界は、私の世界です。アルバートの世界は、私の中にあります。アルバートの中にあった私。その私をどんどん知っていくことが、喜びへ帰る道。愛へ帰る道。
母なる宇宙への思いをしっかりと心に受け止め、私は一歩、一歩着実に歩みを進めています。だから、私は田池留吉、アルバートを思う瞑想をします。宇宙を思う瞑想をします。
瞑想は喜びです。ただただ喜びです。

二五〇年後の私が語ります。
私は今、まだ肉体を持っていないけれど、二五〇年後の私です。
私は、今、心の中にアルバートを呼んでいます。私達の心の中にあったふるさとへ帰ろうと、私はこの喜びをずっと、ずっと待ち続けてきました。二五〇年前、私は一つの肉体を持ち、ようやく、この喜びの道を自分の中に見出し、そして、今に至っています。
私の境遇はとても苦しかったです。しかし、それもみんな、みんなこの喜び、温もりの世界を心に広げるためでした。
私は、今とても幸せです。ああ、この肉体をいただいたことを、本当に喜んでいる私があります。
ああ、この肉体は、すべて愛に帰るために用意されていました。
心を繋いで、繋いで、繋いで、二五〇年前の私から、今の私へ、ようやく、ようやく、しっかりとした足取りで、宇宙達とともに次元を超えていく道が目の前に広がっています。私達の心の中の喜びは、爆発しそうです。
ありがとうございます。こんなに幸せでよかったのでしょうか。
私の過去すべてが一斉に喜びに目覚めて、今、私はその思いを心いっぱいに広げています。
たくさんのありがとう、喜びを胸に、私達は次元を超え、再び、この地球上には転生してきません。ともに、約束してきた私の仲間達。その喜びが私の心の中に広がっています。
私達は愛へ帰る存在でした。愛が私達。私達の中に愛があった。このことを、ただただひたすらに、伝え続けてくれた母の意識、田池留吉、アルバートの意識にありがとうの思いだけを伝えます。
アルバート、私達は次元を超えてまいります。アルバート、ありがとうございます。アルバート、あなたと出会えてよかった。あなたの意識の世界と出会えてよかった。
アルバートを呼んできた私達宇宙の思いとともに、私は今、あなたの中へ帰っていくことを確認しています。
時を経て、今、私達は一つの世界を心に広げ感じています。嬉しいです。嬉しいです。日本の国は、今はもうないけれど、日本の国で、田池留吉とともに学び、私達は一つの世界を知りました。
苦しかった転生を、すべてその一つの愛の中に包み入れ、私達はともに、ともに真実の道を着実に一歩、歩めることができるんです。
私達の意識、私達の存在は永遠です。

posted by ユーティーエーブック at 10:15| 奈良 ☁| Comment(0) | 「愛、心のふるさと」(全7回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「愛、心のふるさと」第4回


「愛、心のふるさと」(塩川香世 著)、第3章「愛へ帰ろう。心のふるさと、愛へ」の前半部分の朗読です。
ページでは、87ページから124ぺージの部分になります。


Ⅲ 愛へ帰ろう。心のふるさと、愛へ

心のふるさと、愛へ帰ろう。
まだ、あなたの中に、この思いが響いてきていないかもしれません。
ただ、絶えず、どんな時もこの呼び掛けがなされているということは事実なんです。
だから、これから、色々な現象を通して、このメッセージがたくさんの人の心にストレートに響いてくる時がやってきます。
形の世界の総崩れと申しましょうか、まさに、すべてが根底からひっくり返るエネルギーが働いてまいります。ということは、人間の心の奥底に眠る闇が噴き出してくるということです。
愛はパワーなんです。愛は本当のパワーなんです。
パワーは、すべてを喜びに帰していく仕事をしていきます。
何が喜びで、何が幸せかということが分からなくなり、見えなくなってしまった人間の心の深部まで、ズバッと轟いていくような仕事です。
「心のふるさと、愛へ帰ろう。」
力強い呼び掛けは、あなたの中から発信されていきます。
あなたの中から噴き出してくる闇は、みんな、みんな自分達のふるさと、愛へ帰りたいという、心からの叫びだからです。
その叫びを、本当に受け止めていけるような人間になっていきましょう。人間復活と申しましたが、それが愛へ帰る大きな第一歩となります。
長い、長い、気の遠くなるような長い時を経て、ようやく、その第一歩を自分の中に踏み出すチャンスが、今のこの時間とご理解ください。
真実に触れた意識達の働きは、これから地球上に様々な現象をもたらしていきます。
異常気象しかり、人間の異常な行動しかり、心の闇の噴き出しは、もはや留まることはありません。
出して、出して、噴き出して、総崩れの中で、私達は何を叫ぶのでしょうか。
神を恐れながら、しかし、神に救いを求め、神のしもべとなってひれ伏してきた人間は、神には何の力もなかった、仏にも何の力もなかったと、最後は神、仏、何とかのパワーなどを、みんな自分の心から放していくようになっていきます。
しかし、そこに辿り着くまでは、それは、それは大変厳しい時間が用意されています。どこまでも、どこまでも闇黒の世界が、想像もできない闇黒の世界が広がっていくんです。
厳しい現象は、愛へ帰りたい、愛へ帰るんだ、愛へ帰ろう、の意識の目覚めを、どんどん起こしていきます。
闇をどんどん押し上げてくる喜びのエネルギーの噴出。
その喜びのエネルギーの存在に心から気付いて、本当に心で知るまで、闇はどんどん、どんどん噴き出していくでしょう。
中途半端ではいけません。徹底的に、自分の地獄を見ていく、知っていく必要があるでしょう。
もう十分に地獄は見てきた、知っていると言われる方も、いるかもしれません。
それは確かにそうかもしれません。しかし、これからは、これまでとは違うんです。これまでは、醜悪な地獄絵図の中に自分を落として、落として、さらに落としていくだけでした。全く真っ暗闇の奥底に沈んだままの状態で、その中でのた打ち回っていただけでした。
しかし、これからは、私達人間は、そこから自らを浮上させていく大きな転機をそれぞれに迎えるのです。
それは、今という時間を境にして、意識の世界に大きな変化があったからです。
意識の流れというものが厳然としてあり、それは粛々として大きな仕事を成しているとする目覚めがあったからです。

この世の地獄、これほど醜悪な、愚かしいものはない、辛酸をなめ尽くしてきた体験、経験は、実は私達の心の奥底に眠っています。
だから、みんな自分の心を見ていくことが嫌なんです。
基本的には、人間は、自分の心を見るということを拒否していきます。
ただ、どんなに拒否しようとも、そして、認めたくない自分の闇の世界であっても、これから、それはしっかりと自分の眼前に展開していきます。
だから、見ざるを得ないんです。そして、認めざるを得ないんです。
「心を見なさい。見ていくんです。しっかりと心を見なさい。」
そんな呼び掛けが自らの中から発信されていきます。
すべての存在が愛だからです。愛でないものは何一つないということを、心で知っていくように、これから現象界は、さらに大きく動いていきます。人間の心の奥底に眠る深淵な闇の世界。そこをみんなオープンにしていかなければなりません。洗いざらい出し尽くさなければなりません。
しかし、何も恐れることもなければ、憂うこともありません。
愛という本当の温もり、本当の喜びで、その世界をしっかりと抱き抱え、包み込んでいくように意識の流れは動いてまいります。
愛というエネルギーは確かに存在します。そしてまた、本当は闇の世界など存在しませんでした。
みんな、みんな愛だったと目覚めていくために、これからの時間が用意されていることを知っていきましょう。

「はじめに」のところでありました、偉人、賢人、愛の人など、どうでもいいんです。
それよりも、地獄に落ちてきた自分に、本当に優しく、どれだけ本当のことを伝えることができるか、心のふるさと、愛を伝えることができるか、そして、いかにして地獄にあった自分が喜びの自分に蘇っていくことができるか、本当の自分を取り戻すことができるかということです。
私達人間はみんな、それを成し得れば、それでいいんです。
私達人間はみんな、そのために、肉体を母にもらってきたんです。
何度も、何度も、自分の地獄と、地獄にいる自分と対面するために。
地獄、地獄と言っていますが、天国がないように、実は地獄などありません。存在しません。
あるのは、自分を知らない、愛を知らない冷たさ、愚かさ、無知、そんな自分の世界です。
それを地獄と言っています。
自分を知らないんです。自分がどんな存在であるか、全く知らずに、いいえ、それどころか、私達人間は、自分を捨て去り、切り捨て、見捨てて、偽物の自分を自分だと思い込んできたんです。これほど愚かなことはないではないですか。
しかし、これまで私達は、自分は立派だと、自分は正しいと、人間ほど素晴らしい存在はないと、豪語してきました。
そうしてきた結果、どうですか。
なぜ、いつまでも、いつまでも、戦争をしているんですか。人殺しをしているんですか。
愛する家族、友達を目の前で殺されて、互いに互いを傷つけ合って、なぜ自分達は正しいんですか。
正義を振りかざして人を殺していくんです。何が正義なのでしょうか。
人間は、神と呼びました。神の力を信じてきました。仏の加護があると信じてきました。
それでは、いったい神の力とは何でしょうか。仏の加護とは何でしょうか。
本当に神に力があるならば、本当に仏の加護があるならば、なぜいつまでも、戦火に逃げまどい、貧困に苦しむような生活を続けなければならないのでしょうか。
昨今の日本の国においても、異常な事件、事故が次から次へと起こっています。暗いニュースばかりです。そして、異常気象です。
色々な事が、まだまだ起こってくるでしょう。天候は不順になり、生活環境は、益々劣化していくでしょう。
そして、人間の心は荒んでいく一方です。自分を捨て去った心の中にある闇の部分が、これからさらに露わになってきます。
膿は全部吐き出さなければなりません。人間の心に巣食う深淵な闇は、目を疑い、耳を疑いたくなるほどのものです。
形の世界の総崩れを、私達人間はみんな体験していかなければならないようになっています。
自分に目覚めていくには、心のふるさと、愛へ目覚めていくには、それこそ、私達自身が作ってきたものを根底から覆すことが必要だからです。
形の世界の総崩れから、人間の心は何かを学び取っていきます。
「神はあるのか。仏は存在するのか。神、仏が本当にあるならば、なぜこんな阿鼻叫喚の世界が現実、自分達の前に広がっていくのか。
もしかして、神にも、仏にも、どこそこのパワーにも、本当はこの窮状を救う力はないのではないか。」
やがて、人間の心の中に、そのような思いが芽生えてきます。
それを、愛のエネルギーは見事に引き出してくれるんです。
「そうだ。そんなものに何のパワーもなかった。」
その事実をしっかりと、はっきりと自分の目の前の体験より心で感じ取り、学び取って、自分の中から、この答えを導き出していくことが、私達人間には絶対に必要です。一人ひとりが自分の中で気付いていくことが絶対に必要なんです。
そうでないと、人間の欲の賜物である神、仏、パワーの世界を心から解き放つことは到底不可能です。

どんなに時代が巡り、社会が変化しても、自分達の中に作ってきた神、仏、偽物のパワーの世界の言いなりになって、ただただ闇のエネルギーを垂れ流して、自らを苦しみの奥底に沈めてしまった状態に、何ら変わりはなかったというのが、これまでの私達の転生の数々でした。
間違った輪廻の中で、ずっと苦しんできたんです。自分を自分で苦しめてきたんです。誰が悪かったのでも、何が悪かったのでもなく、自分が無知だったんです。自分自身が間違った輪廻を繰り返してきただけのことでした。
しかし、この地球上に、今何十億の人達が肉体を持っているにもかかわらず、この事実には、全くと言っていいほど触れることはできていません。
それほど、人間の心は地に落ちてしまった、自ら作った闇黒の世界から抜け出せないでいるという現実を、まず知ってください。
自分の周りの現象から、自分の心が叫び出す思いを感じ取っていきましょう。
形の世界は一瞬にして崩れていくけれども、そして、それと同時に、形の世界の幸せ、喜びも一瞬にして消え失せてしまうけれども、決して消えないものがあるんです。
その決して消えない、色褪せないものがいったい何であるのかを、しっかりと見極めることなくして、明るい展望は開けてこないことだけは知っておいてください。
愛はすべての暗闇を一気に流していく力があります。真のパワーです。喜び、温もりこそが真のパワー。
これから、この地球に転生してくる人間達を待っているものは、過酷なまでの現象です。それでも、その現象は、愛に帰りたい、本当の自分に目覚めていきたい、目覚めていこうとする、心からの叫びが形となったものなんだということに全く間違いはありません。

私達人間は、母のお腹を通って生まれてきます。
体外受精だとか、試験管ベビーだとかの不妊治療の結果、肉体を持ってくる意識も確かに存在しますが、その意識達も、いつも、いつもそのようにして肉体を持ってくる訳ではありません。
そして、たとえ、体外受精であっても、母の子宮の中で、母の意識をしっかりと伝えてもらって、今度こそ、今度こそ、愛に目覚めていくんですよと、この世に出していただくという過程を経ていきます。
だから、肉体を持つということはすごいことなんです。そんなすごい体験を何度もさせていただいたにもかかわらずに、田池留吉という人が生まれてくる今世まで、私達はみんな地獄の住人でした。
数え切れない間違った転生を繰り返して、心の中には積りに積ったヘドロの如き闇。しかし、その自覚のないままに、長い、長い時間を経てきました。それが私達人間の実情です。
地獄の住人ということは、私達はみんな自分の中の愛を捨てた、つまり、自分自身を捨てたということです。
しかし、自分の中の愛を捨て去っても、母の意識は、私達に、愛に目覚めてくださいと、肉体をくれるのです。何度、裏切り続けようが、限りない優しさ、温もりで、私達を信じ待ってくれている、それが本当の母の思いでした。
その本当の母の思いに触れながらも、愛を捨てた私達は、なかなか、なかなか、その母の思いをストレートに受け止めることはできませんでした。聳え立つ己の意識は、繰り返し、繰り返し、母の意識を足蹴にしてきたのです。
これは、今のその肉体をくれた母に対して使ってきた心、出してきた思いを見てみれば、一目瞭然です。
母を見下し、母を恨んできた心、思いは、生まれてくるどの人の心の中にもしっかりと残っていました。だから、生まれてくるんです。生まれてくるということはそういうことなんです。
それが、にわかには信じられないと思うのならば、偉人、賢人、愛の人ということで、歴史上に名前を連ねた人達にも、自分を産んでくださった母親に対して、どんな思いを出してきたか、どんなエネルギーをぶつけてきたかということを、語っていただいたらいいんです。
世間で一応の評価を受けている人達が、いったいどんなことを語ってくるかということです。
もっとも、この作業については、あなた自身が、その人達の意識、波動をきちんと受信できるかどうかということはありますが、私達人間を含むすべての存在の本質は、意識、波動、エネルギーなので、本来はどなたもみんな意識と意識の交信ができるんです。
ただし、これは全部、自己責任だということをご了承ください。
自分の心の状態が不安定なのに、闇雲に意識の交信をしていては、互いに闇同士なので、闇のエネルギーをただ助長していくだけです。それでは、自分自身の末路が哀れな状態になりかねないので、その点は要注意です。
しかし、記したように、何度、裏切り続けようが、限りない優しさ、温もりで、私達を信じ待ってくれている本当の母の思いに触れ、その母の思いを心にしっかりと受け止めているならば大丈夫です。
どんどん、意識を向けて、そして自分の心で、現実を確認してください。

たとえば、あなたに、この人は偉い人なんだ、悟った人なんだ、あるいは立派な功績、業績を残して自分の人生の師として仰ぎ見ている人なんだ、自分もあのような志を立てていきたい、と思う意中の人があるとしましょう。
では、あなたはどうして、その人をそういう羨望の目で仰ぎ見るようになったのでしょうか。
その人と、あなたは直接に会って話をしたというのでしょうか。
中には、もうすでに死んでしまって、一〇〇年、二〇〇年、いいえ、一〇〇〇年以上の時を経ている人もいるでしょう。
もしかしたら、あなたは、その人を文献等で知って、つまり、そこで得た知識と、世間の評価と照らし合わせて、あの人は立派な人だと、自分の中でイメージを膨らませて、仰ぎ見ているだけなのではないでしょうか。
そこで、そういう一連の知識とか評価というものを、少し横に置いておいて、ということは先入観を持たずに、あなたの心をもっと柔軟にしていくんです。
柔軟というのは、いい意味、正しい意味において、あなたの心をもっと敏感にということです。
心を敏感にして、その人、たとえば立派な人だと自分が思ってきた人に思いを向けてみるんです。
そうすれば、その人の人となりとか、略歴とか細かいことは分からずとも、その人が、今現在苦しんでいるか、そうでないかが分かります。
もっと言うならば、そこからくる波動です。エネルギーです。それを感じてみましょう。
それは暗いのか、明るいのか。温かいのか、冷たいのか。荒々しいのか、穏やかなのか。
実は、そういうものを識別できることが、とても重要なことなんです。
重要であるとともに、そういうものを判断の基準にするべきなんです。
そこで、これまでに何度も書いてきたことを思い出してください。
私達はこの肉、見える姿、形が私達ではないということ、私達の本当の姿は、意識、波動、エネルギーであるということを。
その人を本当に知るということは、その人の流している波動、エネルギーを知るということになります。
目で見て、耳で聞いて、集めた色々な情報を基にしたところの世間一般の人物評価と、その人に実際に思いを向けたときに、自分の心に伝わってくるその人の波動というものに、大抵はギャップ、大きな隔たり、違いがあります。
これは、心が、いい意味、正しい意味で敏感であれば、本当はどなたにも分かることなんです。
そのあなた自身の心に伝わり響いてくる思いを、あなたの判断の基準にしてください。
そうしていけば、世間で一般に語られていることと現実は、本当に大違いだということが、世の中にはざらにあると自ずと分かってきます。
それでもあなたは、世間一般の評価を受け入れて、自分が偉いと思ってきた人を、これまでと同じように崇敬していくのでしょうか。
それは、あなたの自由ですが、そうするということは、その人の意識とともに、あなたの意識の世界もこぞって、地獄の奥底の底に真っ逆さまに落ちているということだと言っても、決して言い過ぎではありません。
だから、世間の評価はもういいんです。この世の中は濁流です。肉を本物とした中で、何をどのようにしようとも、真実の世界は見えてこない、明るい展望は決して開いてこないことを、しっかりと心に叩き込んでいきましょう。
それよりも、自分の心をしっかりと見て、何を間違えてきたのか、なぜ間違ってきたのかを知っていく方向に、自分のエネルギーを使ってください。そうしながら、思いを向けるということ、思うということの大切さを知っていきましょう。
自分の心はみんな知っています。
ただし、「心」といっても、ここで言う「心」とは、今、あなたが考えているようなちっぽけなものではありません。
私達人間の本質は意識、波動、エネルギーなんです。その世界は、無限に広がっていく世界なんです。
それを基準に、「心」というものを考えてください。当然、そこで言う「心」というものは、普段、私達が心の中とか、胸の内とかということで、イメージしている「心」というものとは、格段の違いがあることになってくるでしょう。

今、一つの例えとして、自分が尊敬する人、人間ですね、そういう人達に意識を向けていけばどうですかと書きましたが、たとえば、人間以外、犬とか猫とか鳩とか、木々、植物などにも意識を向けてみてください。
それらは語ってきます。波動を伝えてきます。
そして、それらの波動と人間の流す波動の違いはどうなのか、自分の心で感じてみてください。
たとえば、こんなのはどうでしょうか。
瞑想をしているとき、ふと海底火山という言葉が浮かんできたので、そちらのほうに意識を向けてみました。

私達の思いを感じてください。私達の出番を、今か今かと待っています。喜びで、喜びで私達は自分達のエネルギーを噴き上げていきます。
私達のエネルギーは愛のエネルギーです。この地球上に肉を持った意識達、肉を持たない意識達、すべてに次元移行を伝えていきます。そのエネルギーを私達とともに感じていってほしい、感じていっていただきたいと思います。
いたずらに恐怖して、自分を落とし込めることがないようにしてください。私達は愛に帰る喜びの道筋をしっかりと歩いてまいりましょう。
心の中を見つめてください。私達は海底火山。あなた方と無縁のものではありません。
かつて私達とともにこの海の底に沈んだ意識達、たくさん、たくさんございます。そして、その意識達が再び肉を持ち、このように学びに集っている現実もお伝えしたいと思います。
私達、海底火山の思いをお伝えします。ともに、ともに愛に帰る道をただひたすら歩いてまいりましょう。間違ってきた道を歩き続けてきた意識達の目覚めを促していきたい、促していこうとしています。
意識は確実に流れています。愛のエネルギーは確実に流れています。厳然としてあります。この大きな広がりのもとで、ただただ一つ。
愛に目覚める道を、ただただひたすらに歩いていきましょう。

また、社会現象の一つであるエボラウイルスに思いを向けてみました。

私達、エボラウイルスの思いを聞いてください。
私達が、あなた方を苦しみの奥底に陥れるはずがございません。
私達の本質は愛なんです。人間達の心の中には、私達の思いが届かないようになってしまいました。私達は恐れる存在ではございません。確かに私達は人間の命を奪ってしまうでしょう。そんな威力があるかもしれません。
しかし、私達は警告を発しているのです。苦しい、苦しい心の中を見てくださいと。
エボラウイルスに思いを向けたときに、私達の思いを心から受け止めてくださる人が、いったいどれほどいるのでしょうか。
私達は、ただただ憎まれものです。厄介者です。私達を消し去ることしか考えていません。なぜ私達が存在しているのでしょうか。
私達は愛なんです。人間の心の中に届いてほしい。この波動を届けたい。エボラウイルスは、私達の思いを聞いてくださいという思いの表れなんです。そうなんです。私達の思いを聞いてください。私達はエボラウイルスという形となって、ただただ思いを伝えたかったんです。思いを感じていただきたかった。苦しい、苦しい心の中を見てほしかった。ただただそれだけです。命を容赦なく奪っていくような存在、恐れられている存在ではありますが、私達の思いは全く違っています。
私達は愛でした。そのメッセージを伝えんがために、エボラウイルスという形になって、私達は警告を発しているんです。
心から、心からこの思いを受け取ってください。ああ、受け取ってください。エボラウイルスを恐れることなく、ただただ心を向けていただきたい。
優しい母のほうに心を向けていただきたい。苦しい中にあるのではなく、あなた方は愛なんですと、ただ私達はそのようにお伝えします。

このように、海底火山と思えば、海底火山が語ってきます。エボラウイルスと思えば、エボラウイルスが語ってきます。
そして、それらは、私達人間に必要なメッセージを伝えてくれているんです。だから、決して興味本位で、あるいは恐怖心で思いを向けるのではなくて、意識の世界の真実を学んでいくために、その時、その時の色々な社会現象に思いを向けていくことは必要だと思っています。そうです。思いを向けるんです。一瞬思ってみるんです。
そうしたとき、目で見て、耳で聞いて集めた情報、それを分析したものと、色々な社会現象にストレートに思いを向けて自分の心に響き伝わってくるものとは、全く相容れないことが分かってくると思います。
特に、これからの私達にとって、天変地異というものが大きく関わってきます。天変地異、それは、自然現象だけではなく、それを含む自分の内外を大きく揺らす現象と思っていただいていいと思います。
そういう、いわゆる天変地異という現象は、果たしてどんな波動を伝えてくるのでしょうか。
その波動を正しく受信できれば、いいえ、受信できるように、そして、それらの現象によって、自分の意識の世界は転機を迎えることができるんだ、それらは自分を大きく変えていけるチャンスなんだと信じていければと思います。ただ恐怖の思いにおののくだけでは……と思います。
私は、意識の流れに思いを馳せるとき、キーワードとして、「次元移行」という四文字と「天変地異」という四文字が浮かんできます。そして、それに関連して、「日本沈没」という四文字が浮かんできます。
もちろん、天変地異は、世界各地でこれからも起こってきます。地球は生きているんです。地殻変動、海水温上昇等々で、陸地が沈み、また新たな陸地が現れていきます。その中の一つの現象が日本列島沈没という現象です。
地球も意識ですから、これからこの星はどういう状態になっていくかを語ってきます。そして、そのことを通して、愛に帰ろうというメッセージを伝えてくれるんです。それは、形の上からは無残としか言いようがありませんが、すべては愛の中の出来事であり、決して、恐怖の坩堝に私達を陥れる出来事ではありません。
今、例として挙げた海底火山とか、エボラウイルス、また地球にしても、そこから感じられる波動が優しいんです。
はっきりと真実を伝えてきますが、根底にあるものは、喜びと温もりです。愛に目覚めよという毅然とした思いがしっかりと感じられます。
地球上の小さな島国、日本に、田池留吉という意識が肉を持って、本当のことを伝えに来てくれて、そして、私達もまた肉を持って学ばせていただいたことから、この日本列島に思いを向け、喜びで沈んでいく日本列島の思いを受けていきましょう。
その前兆現象は、もちろん、すでにあります。
とりあえず、あなたが今、生活をしている場の意識を受けてみてください。そうしたとき、あなたの心の中にどんな思いが出てくるか、天変地異のエネルギーをもっと身近に感じ、意識の流れにしっかりと思いを馳せてください。

先ほど、肉体を持つということはすごいことなんだと書きました。
自分が何を間違い、なぜ間違ってきたのかということを知っていくためには、私達には、肉体という形がどうしても必要でした。
見て、聞いて、日々、様々な情報に接することによって、心は揺れ動いています。揺れ動く心があると知ることがいいんです。
もちろん、その揺れは大きいときも小さいときもあります。穏やかな心地良い揺れを感じるときも、ドーンとその落差が大きいときも、それぞれの生活の中であるでしょう。
とにかく、心は絶えず動いているんです。つまり、私達は、絶えず思いを発している、エネルギーを流していることを自覚できればと思います。
そして、発する思い、流すエネルギーを確認していく習慣をつけてください。そうすれば、色々なことが自分の中で分かってきます。
目に見えること、耳に聞こえることによって動く自分の心。
苦しくとも、辛くとも、しっかりと見ることを励行していきましょう。
恨みや呪いや怒りの心、不平、不満、愚痴る心、見下し、羨望、諦め、牛耳る心、まだまだたくさんあるでしょう。
実は、それらのいわゆる闇、ブラックの思いは、次から次へと出してくれるのを待っています。それらは全部自分自身です。自分が肉だと思って転生を重ねてきた結果のたくさんの自分です。
今、肉体を持って、自分の中でそういうたくさんの自分を知っていけることは、本当に喜びなんです。
実は、それらの思いは、みんな、愛に帰っていくことを待っているんです。
だから、そう伝えてあげたら、みんな、ありがとう、ありがとうと、あなたの心の中へ返してくれます。
どんなに自分達のふるさと、愛へ、温もりと喜びの世界に帰りたかったか、あなたの今の肉体を通して、あなたがあなたに語ってくるんです。
それをきちんと受け止めていけるように、いい意味、正しい意味で敏感なあなたになっていきましょう。優しいあなたになっていきましょう。
今、持っている一つの肉体を指して自分だとするところから、自分自身を解き放してください。狭い小さな中に自分を閉じ込めないで、もっと、もっと開いていくあなたの心、あなたの意識の世界、あなた自身を知ってください。

瞑想をして、自分の存在理由が分かればいいではないですか。
瞑想をして、自分がなぜ生まれてきたのか、産んでいただいたのか、心に響いてくれば、こんな幸せな喜ばしいことはないでしょう。
肉、肉で形の世界を本物として活動している人達は、しっかりと生きているようで、本当はみんな彷徨っています。
そして、彷徨いながら、苦しみ続けながら、自分が彷徨っていることも、苦しみ続けていることも分かりません。知りません。全く無知な状態です。それは自分が死ねば分かるのですが、元気で活動している間は、自分の死は考えにくいものです。
天国、地獄があると聞いているから、死ねば天国に行くのか、地獄へ行くのかと、その程度で、本当に死んだ先はみんな靄がかかっている状態です。だから、今を刹那的に生きているという人が殆どではないでしょうか。
「苦しくて、辛くて、悲しくて、やるせないことが人生には往々にしてあるんだ。だからこそ、そういうことが自分の周りに起こらないように祈るし、願う」「幸せになりたいんだ」「人と人との絆を大切にして、今ある命を大切にしなければならない」等々。
小さく、小さく生きている人が殆どではないでしょうか。
その濁流の中に今いることをしっかりと確認しながら、あなたは愛を思う瞑想をしっかりと励行です。
「私は愛です」と中から響いてくる時間と空間を、しっかりと持てるようになってください。
「すべては愛。愛しか存在しない」と響き伝わってくる波動を、心で感じられるようになっていきましょう。
限りなく広がっていく中に、無数の自分が存在していて、その無数の自分とともに、ただひたすらに愛へ帰っていこうとする道を見つけるために、私達は過去何度も生まれてきたんです。数知れず母に産んでいただきました。
「愛に帰りたい」とする自分の思いに、そして、「愛に帰ってきてください」とする母の思いに、もう皆さん、しっかりと応えていきましょう。

自分の本質、愛のエネルギーを愚弄してきた自分が、その自分の本質の愛に目覚め、喜び、温もり溢れる自分に帰っていくためには、どんなに凄まじいエネルギーを垂れ流し続けてきたかを、本当に心の底から知ることが第一でした。
愛を知らない、捨てた私達、本当の喜びと温もりを捨てて、地の底に落ちた私達だったけれど、自分の作ってきた闇黒の世界が本当の自分に帰ろうと、必死になってもがき苦しんで叫ぶ思いを拾い、抱き抱え、包んでいけば、それらの闇黒の世界が放つ喜びと温もりから、本当の喜びと温もりを知っていくんだ、その喜びと温もりが、どんどん本当の自分を蘇らせていくんだということでした。
地の底に落ちてしまった私達は、そういう方法でしか、自分の本質に辿り着けないんです。だから心を見て、自分の出すエネルギーを感じていくことが、どんなに自分にとってすごいことなのか、まさにそれこそが究極の愛だと感じます。
どうぞ、正しい瞑想を重ね、自分の中の喜びと温もりを心から味わい、「私は愛です」という思いを深めてください。
自分の中から湧いて出てくる喜びと温もり、優しさを信じて、信じて、それだけを信じていきましょう。

私達は、真実の波動の世界を学ぶ機会を得ています。
波動の世界は言葉で表現できません。言葉で正しく伝えることはできません。だから、波動を正しく受信できるように、日々、正しい瞑想を重ねてください。
瞑想は喜びです。正しい瞑想を重ね、本当の喜び、本当の幸せ、本当の温もりを心に感じ、深めていきましょう。
本当に、瞑想で始まって瞑想で終わると言ってもいいほど、瞑想、瞑想、瞑想だけです。正しい瞑想だけです。正しい瞑想ができるように自分を仕向けていくことが、今、肉を持っているあなたの仕事です。
それ以外は、適当に、程々に、生活を楽しく営んでいけばいいだけです。力を入れて、エネルギーを注いで、肉体細胞を痛め付けてまで、肉の仕事をする必要はないんです。本当に心の向け先が合ってくれば、悪戦苦闘をしなくても、自分の生活は整ってきます。
巷では、困った時の神頼み、溺れる者は藁にも縋るといったことが堂々とまかり通っています。殆どの方は、いつまでも、どこまでも、外に、外に求めていくだけです。
その一方で、自分の中へ思いを向けていくことを学んだことは、それは、それはすごいことだと思います。自分というもの、自分という存在を、正しく認識していくための今なんだと分かれば、こんな幸せはなかったと痛感するでしょう。
日々、刻々と世界のあちらこちらで、様々な事態が起こっています。そこに渦巻く愛と相反するエネルギーが仕事をしています。しかし、その源は、まさに愛のエネルギーなんです。
私達みんながみんな、愛へ帰ろうという流れの中にあることを知っていくには、まだまだ、まだまだ、時間がかかるでしょうが、確実に、愛のエネルギーは仕事をしていることを、日々、起こってくる様々な事件、事故、出来事を通して伝えてきますから、自分の中へ、中へ思いを向ける瞑想の時間を大切にしてください。

posted by ユーティーエーブック at 10:01| 奈良 ☁| Comment(0) | 「愛、心のふるさと」(全7回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月02日

「愛、心のふるさと」第3回


「愛、心のふるさと」、3回目の今日は、前回に引き続き「第2章 ともに帰ろう」の後半部分、P45~P85を、著者・塩川香世さんとともに読んでまいりましょう。

②-1「直感」を読んで
初めに意識ありき。そうです。私達の存在は意識、愛のエネルギー。
文章は、宗教と科学について触れていましたので、そこに焦点を当ててみます。
そもそも、宗教と科学は両立するかという議論は論外です。
宗教の世界はもちろんですが、人類が科学の世界だとしている科学の世界も、実に小さな世界です。
もともと何もありませんでした。すべては意識、波動、エネルギーです。愛しかないんです。愛のエネルギーだけが存在します。
そのエネルギーが仕事をして、科学と呼ばれている分野があります。確かに、科学の世界を純粋に求めていけば、愛のエネルギーに到達します。
しかし、人類の心の中では、その純粋ということが分からなくなりました。
純粋とは、自分の本当の姿を知ることにあります。しかし、そのことは、肉、形を本物とする基盤の上からは全く不可能です。
自分の本当の姿は意識、愛のエネルギーです。
科学=愛のエネルギーという観点から、すべてを見ていかなければなりません。
科学の世界を、肉、形を基盤とするところから見ていては、純粋な本来の科学の世界ではありません。だから科学の世界に神という発想が出てくるのです。
そして、宗教の世界に至っては、全く論外です。
宗教とは、人類の欲が作り出した世界だからです。
その宗教の中の神というものは、ブラックのエネルギーに間違いありません。それは、愛のエネルギーとは、全く相反するものです。
愛のエネルギーの中では、宗教の世界で言うところの神など、全く、全く小さな世界です。いいえ、小さな世界と言うに留まらず、ブラックのエネルギーを愛のエネルギーに向かって流し続けてきた愚かな心の中を、人類は、もっと、もっと知っていかなければならないでしょう。
話を元に戻しますが、愛のエネルギー、自分の本当の姿を心で知っていったならば、科学の世界は、もっと躍進的に広がっていきます。
自分達の本当の姿が意識、愛のエネルギーであるという観点から、科学する心を、大きく、大きく育てていけば、それはまさに愛のエネルギーと合致していくんです。
これまで、人類が科学と呼んできた、呼んでいる世界は、ちっぽけな世界です。
肉、形を本物とする基盤から、どんなに科学的な発想を生み出そうとも、その世界は、とてもちっぽけな世界です。
だから、その科学の世界が、人類に大きな進歩発展をもたらすかと言えば、決してそうではありません。やがて、人類が探究してきた科学の世界は弊害を起こしていきます。
すなわち、そこには、ブラックのマイナスのエネルギーが働いているからです。
愛に目覚めていない中で、科学万能の時代だとすることは、とても危険なことです。危険というのは、おごり高ぶった愚かな人類の心の世界が、これから、色々な形で示されていくということです。それも、また自然災害に代表される天変地異と言えると思います。
そこで、人類は、意識の転回、愛の覚醒、何としても、このことをクリアする以外にないんです。愛のエネルギーの確認です。
そして、意識の転回と愛の覚醒を果たしていくには、人類にとって、天変地異という現象は避けて通れない現象です。
天変地異こそ、それをクリアする最後の最後の手段です。どうしてもそこに行き着きます。天変地異が自ずと起こってくるのは、意識の流れが厳然として、粛々として流れているからです。
意識の流れは、次元移行を指しています。そして、意識の転回、愛の覚醒を促しています。そのために、天変地異は、必ず、必ず、起こってくる現象です。それほど、肉を本物とする思い、そのエネルギーが人類の心の中にこびりついていると言っていいでしょう。もう、そのことを促していくのには、天変地異の現象しか残っていません。はっきりとそのように申し上げてもいいかと思います。
意識の転回と愛への目覚め。本当の自分の覚醒。それが意識の流れの中にある人類の本来の道なんです。
愛しかない中で、宗教の世界にしろ、科学の世界にしろ、愛以外のものを求めてきた愚かさに、人類は自ら気付いていく以外にありません。
そして、気付きを促されるのは、愛のエネルギーがそこにあるからです。間違ってきたものは愛のエネルギーによって、本来の姿に帰っていくんです。これこそ、愛のエネルギーが存在する証です。
人類が作ってきた宗教の世界も、科学の世界も、すべては愛のエネルギーに帰っていく流れの中にあることを伝えておきます。


さらに、私は今一度、「直感」という表題がついた文章に心を向けました。
「意識の流れを確信してください。次元移行を共に果たしていきましょう。『あなたは意識、愛である』ことを確信する道をひたすらに進んでいってください」という文章で終わっていました。

②―2「直感」を読んで
ともに、ともに歩いていける喜び。そして、私達はずっと、ずっと、田池留吉、真実の方向、本当の自分、愛のエネルギー、その方向に心の針を合わせていきます。そうすることが私達の喜びだからです。
私達は喜びの中に存在している、愛の中に存在している意識。
田池留吉に心の針を向ける、合わせる、その喜び。その大切さ。それだけが心にしっかりと残っています。
どんなときも、いついかなるときも、田池留吉を忘れてはならないことを教えてくれた母の思いが、今、心に伝わってきます。母の思いです。母の意識です。母に伝えていただいた。愛のエネルギーの中にあったことを伝えていただいた。初めから、初めから伝えていただいていました。
そんな私自身を、今、心に感じ、田池留吉のほうに心を向けるとき、メッセージが来ます。
「ともに、ともに歩いていきましょう。愛を思い、愛の中にあった自分達を思い、そして次元を超えていきましょう。私達は愛です。愛である私達が、今、今、ともに、ともに歩いていける喜びをお伝えします。
愛のエネルギーしか存在しません。愛のエネルギーがすべてを成していくんです。愛のエネルギーが仕事をしていきます。愛のエネルギーが仕事をしていくからこそ、すべての意識が次元を超えて進んでいけるような計らいの中にあるんです。それが意識の流れです。
意識の流れの中に私達はあったことを確信できるその道。その道は喜びの道。喜びの道は、ずっと、ずっと続いていきます。永遠に続いていきます。これが愛へ帰る道。愛は私達。本当の私達。
本当の私達に帰る道を、ただひたすらに歩いてまいりましょう。」
そんなメッセージが、絶えず流れています。愛の中で、そのメッセージを受けていける私達は喜びです。


田池留吉氏が綴った文章、「私の仮説」「直感」と、その文章に心を向けて受信した①、②ー1、②ー2の文章を読んでいただいて、それらの内容から、田池留吉氏のもとで、三十年余り学んできた、学びの概略が分かると思います。

1.私達人間は、目に見えて、耳に聞こえて、触れることができる形ある世界(肉の世界と言います)が本物だとしてきたこと。
2.それが、唯一、最大の間違い、誤りだということ。
3.よって、速やかに意識の転回をすべきだということ。
4.そうすれば、次元移行という意識の流れを感じることができる。
5.そして、自分の中の愛に覚醒し、ともに次元移行を果たす。

というのが学びのポイントです。つまり、「意識の転回」と「愛の覚醒」が人生の唯一、真の目的ということになります。
さらに付け加えるならば、「天変地異」というキーワードです。
肉、形の世界を本物の世界だとする思いは、人間の心の中にこびりついてしまっているから、そのお掃除は並大抵のことではできません。
肉、形を本物とする思いから、意識を本物とする思いへ、自分の意識の世界を変えていく作業、その作業を意識の転回と言っていますが、それは確かに難しい作業です。
しかし、その一方で、意識の流れというものは厳然としてあり、今まさに、それは粛々として遂行されています。ということは、人間の心の中にこびりついてしまっている思いを一掃するために、想像を絶する規模の天変地異という切り札が、私達に用意されているということです。

私達は、まず、田池留吉氏から、自分の心を見るということを教えていただきました。
自分の心を見るとはどういうことでしょうか。
自分の心の中に色々な思いが上がってくることは、分かると思います。
怒りだとか、憎しみだとか、妬み嫉妬、競争心、責め裁き、支配欲、その他人間の心の中は本当にたくさんの思いが交錯し、複雑怪奇です。
その人間の心模様は、程度の差こそあれ、ご理解いただけるかと思います。
しかも、それらは、ある一定の条件、環境のもとでは、人として当然に出てくる思いだということで、ある程度、市民権を得ているから大変です。つまり、それがそもそも間違いのすべてなんだということは、誰一人考えもしませんでした。
私達は、寝ている時は別として、起きて日々、見て、聞いて、人と接してという生活の中では、みんな自分の中から、色々な思いを無造作に出していきます。しかも、出している思いがどんな思いなのかは、全く無視した状態です。次から、次へと思いを吐き出し、毎日、毎日を過ごしているのが殆どの人の現状です。
それで、何とか、何とか、幸せな、豊かな人生をと望んでも、本当の意味で、幸せで豊かな人生は望めるはずはないんですが、そのことが全く分からない私達になってしまいました。
そんな私達にも、みんな、それぞれの人生のどこかで促しがあり、気付きのチャンスがあります。しかし、目に見えて、耳に聞こえて、触れることができる形の世界(肉の世界)が本物だと思い込んでいては、本当は何を促されていて、何に気付いていかなければならなかったのかというところまで、そのチャンスを活かすことは、残念ながらできません。
だから、せっかく生まれてきたのに、殆どの人達が、本当の人生、本当の自分を知ることなくして、また死んでいかなければならないんです。
それは全くの不幸せな人生です。それはそうでしょう。本当の自分を知らずに死んでしまうのですから。
たとえ、金と権力を欲しいままにした人生であっても、全くの不幸せな闇黒の人生です。しかし、人間というものは、金と権力に群がる習性があります。それさえ手に入れれば安泰だと思う習性です。
神か仏か何とかのパワーか知りませんが、摩訶不思議な力を求めていくのも、その習性があるからです。そういう転生ばかりを繰り返してきたのが、私達人間だったんです。
あなたは、転生輪廻という言葉を聞いたことがあると思います。そして、輪廻から解脱するということも、どこかで聞かれたかもしれません。
ただし、私達はこれまでずっと間違った輪廻の中にあったんだということには、誰一人気付けませんでした。輪廻そのものが間違ってきたんです。だから、どんなに手を尽くし、力を尽くしても、絶対に、本当の幸せ、本当の喜びなど分かるはずはなかったんです。
間違った輪廻の中にあって、真実の世界を知っていくことなど全くのナンセンスなことでした。
そして、私達は、今という時間を迎えています。その中で、私達は、もうこの辺りで、本当の人生を生きましょう、本当の自分との出会いを果たして、本当の幸せ、本当の喜びを知っていきましょうという流れがあることを伝えてもらいました。その流れを「意識の流れ」と言っています。「私達は、その意識の流れの中にあるんです。間違った輪廻を解消して、本来の軌道、すなわち、愛から出て愛に帰る軌道に乗ってください」と、田池留吉氏は伝えてくれたのです。

まず、どなたも自分の心を見るということをしていかなくてはなりません。
自分の心を見て、自分の心が苦しかったということを知っていかなければなりません。苦しい自分の心を認めていかなければなりません。
次に、なぜ苦しんできたのか、この苦しみの原因はどこにあるのかということも、心を見る、すなわち自分の出してきた思いを見ることによって、知って、それを素直に真摯に認めていくことから始めなければならないでしょう。
つまり、苦しみの原因を自分の外に求めていくのではなく、自分の中に苦しみの原因を探っていく必要があるんです。
そうです。今、現実に苦しんでいるのが自分ならば、苦しんでいる自分自身に原因があるんです。つまり、それは自分の心の使い方、心の向いている方向が間違っているから、自分は苦しいんだということが分かってこなければなりません。
しかし、殆どの人は、決してそうは思えません。自分が間違っているなんて思えないんです。どこまでも、自分の正当性を主張していきます。
正しい自分がなぜ苦しんでいるのかという点を、追求せずになおざりにして、相手が悪い、あるいは社会が、何々がと、常に、自分の外に批判攻撃の思いを投げつけていきます。自分は全くの被害者なんです。
それが世の常というものですが、やがて、そういう人達も、自分がどんな思いを出してきたか、出しているかを確認していけば、自分の心が苦しいということにも、なぜ自分の心が苦しいのかということにも、自ずと気付いていくようになっています。
そして、時間はかかるかもしれませんが、苦しい自分が間違っているんだと、自分の間違いに心から納得し、自らを修正するようになっていくんです。
なぜならば、私達の本質は愛だからです。愛には、愛に目覚めさせていくパワーがあります。
苦しい人生は本当の人生ではありません。人生は喜びなんです。
愛である本当の自分からの声、思いを真摯に受け止めて、本当の人生を生きましょう。そして、人生は喜びなんだと心で知ってください。

自分がどんな思いを出してきたか、出しているかを確認してください。
思いというものはエネルギーなんです。エネルギーだから仕事をするんです。良きにつけ、悪しきにつけ、仕事をします。その自覚が、私達人間には全く欠けていました。
思うということはとても大切なことなのに、私達は、思うということを、非常に軽く見てきました。というよりも、正しく思うことができなくなってしまったんです。正しい心の使い方、正しい心の向け先を知らずにきました。
心で何を思おうとも勝手、自由ではないか、思うだけならば誰にも迷惑がかからないとして、心の向け先の管理を杜撰にして、疎かにしてきたんです。
私達は、鏡に映る姿、形を指して、自分だと思っています。自分は目に見えるものだと思っています。私達はみんな自分を見誤っているんです。しかし、誰も自分を見誤っているとは思ってきませんでしたし、今も、もちろんそうです。
私達人間の判断の基準は、肉、形の世界にずっとありました。
みんな肉、形を本物とする思いが基準(肉基準と言います)となっています。その基準で、何の不思議もなく毎日の生活を送っているんです。鏡に映らない心の管理はなおざりにして、鏡に映る形ばかりを追っていく生活です。
しかし、私達人間を含むすべての存在の本質は意識、波動、エネルギーだというのが真実なんです。自分の本当の姿は目に見えないんです。自分が発信しているエネルギーに、もっと注目しなければなりません。
まさしく初めに意識ありきなんです。意識が基準とならなければなりません。意識を基準として、物事を見て判断していかなければならないんです。
そこに立ち返っていかなければ、物事の本質は見えてこないことを、田池留吉氏が綴ったA4用紙二枚の文章は語っていると思います。
そして、田池留吉氏の中の田池留吉の意識は、次のようなことも語っています。
「『私は神である』。私は、田池留吉の肉を使って、そのようにお伝えしていく時期がやってきたと思います。
地球人類が『我は神なり』と言ってきた思いとは、全く次元が違うことを心で感じていただける方の出現により、『私は神です』という私の波動を、正しく受け取っていただけることだと思います。
私は今、肉を持っていますが、この肉もまもなくこの地球上から消え去ってまいります。私が肉を持っている間は、肉の世界の定めにより、色々な言葉を発します。制約もされます。
しかし、肉が無い私から発するものは、言葉を通して流していきますが、それは、全く、今、田池留吉という肉を持っている時のメッセージとは違ってくると思います。
全く無駄がない。その私の波動を正しく受け取り、メッセージとして送ってくださる方の出現を、私は待ち続けてきました。
私は肉を無くしたあと、私の仕事をすることを喜びとしています。
私の肉がある間に、私のメッセージを受けたとしても、私もまた肉を持っていますから、そのメッセージが、どの程度精度が高いのかは、今、はっきりとは申し上げられません。
しかし、それは、私が肉を無くしたあと、私の波動を正しく受け取っていただけることは、本当に難しいことだということを通して、感じていかれると思います。
私は今、肉を持っています。田池留吉という肉は、私の世界を感じていけばいくほどに、肉の自分の世界が小さいことを感じています。
だから、私はその肉を置いて、私の思いをストレートに届けていける喜びだけをお伝えしたいと私に伝えています。
そろそろ、私もこの肉を離す準備をしていかなければなりません。
肉で学んでいる人達に、やはり私としては、そのことをはっきりとお伝えすることが大事だと思っています。
肉を離したあと、私は、メッセージを本当にストレートに届けます。
波動、エネルギー、ただただそれだけ。それをキャッチできる方の出現を私は心待ちしておりました。ようやく、その準備を整えて、そして、私は本来の仕事、本当に次元移行へ向かって突き進んでいく仕事ができることを、ただただ喜んでいます。」

私達人間は、大抵、自分の頭を信じています。
健康志向も相まって、そして、この日本の国では超高齢化の時代に入っていますから、身体を鍛えるとともに、頭も鍛えようという風潮です。
それはそれである程度いいと思いますが、それよりも、もっと、自分の心を柔軟に素直に広げていきませんか。
そして、頭で納得できるものだけを信じようとするお粗末な自分に、さようならをしていきませんか。
目は口ほどに物を言うとか、目は心の窓とか言われていますが、まさしく自分の心の中の目で、自分をもっと素直に見ていきましょう。真向いになって自分を見ていきましょう。
そして、自分の中から伝わってくる思いに、耳を傾け、心を傾けていけるような、本当の意味で優しく賢明な人間に蘇っていきましょう。
それには、具体的にどうすればいいのかということにつきましては、先に挙げた『意識の流れ』等の書籍を参考にしてみてください。
そして、本当にやってみようと思われるならば、しっかりと自分の動く心を見る習慣をつけて、自分の中から伝わってくる思いに、耳を傾け、心を傾けてください。
ただし、それは、ある意味、苦しくて辛くてやるせないことなんです。
自分の中から伝わってくる思いはみんな、愛を捨てた結果の悲痛な心の叫びだからです。私達はみんな、愛を捨て、温もりを拒否し否定してきたんだから、その心の叫びは、それは、それは凄まじいものです。
一言で言えば、それは破壊のエネルギーです。闘争を繰り返してきた心の歴史は、どなたの中にもしっかりと刻み込まれています。
しかし、愛、すなわち本当の自分に帰るためには、その心の中に風穴を開け、固く封印してきたものを自ら紐解いていかなければなりません。
その道筋を、どなたもみんな通っていかなければならないんだと言えます。だから、ある時期、苦しんでください。そして、自分に絶望してください。
それでも、自分の中から伝わってくる思いに、耳を傾け、心を傾けることを、焦らずたゆまず続けていけば、やがて、心の中に響いてくる優しさ、温もりを確認することができます。優しいなあ、温かいなあと。
自然に涙が流れてくるでしょう。溢れてくるでしょう。段々そういう過程を経ていけば、初めは何か分からなかったけれども、ひょっとして、これが自分の中の愛、本当の自分というものなのかと思い始め、やがて、その実体験を重ねることにより、その存在を段々に確信していけると思います。そうなってくれば、こんな幸せな時はないと、自分の中が開けていきます。幸せを感じるのに、本当は何も要らなかったんです。幸せも、喜びも、温もりもみんな、みんな、自分の中にあったことが分かってくるからです。

心の中の喜びも温もりもみんなあなたのものです。そしてまた、心の中の闇もあなたのものです。闇をどんどん喜びと温もりへ帰してやれるパワーがあなたの中にあります。それが愛のエネルギーです。
愛のエネルギーの中に自分があった、私は愛そのものだったと心に蘇らせていくことが、あなたが、今その肉を持ってなすべきたった一つの仕事でした。
どなたの意識の世界にも、絶えず、このようなメッセージが流れているんです。
しかし、殆どの方は、目に見える世界、つまり、自分の外に心を向けることに忙しくしていて、自分の中の声に、思いに心を傾けることなどしていません。心を自分の中に向けずに、外に向けた状態で生活をし続ける毎日です。そんな中で、突然に不都合な、不具合な現象が起こってくると、当然の如くに我を忘れていきます。そして、情報収集に時間とエネルギーを注いでいくだけで、心の管理はなおざりです。苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、悔しいこと等々のいわゆるマイナスの現象を、マイナスのエネルギーのまま心に留めてしまいます。
その結果、時間の経過とともに、形の修復は可能でしょうが、心のほうは、そうはいきません。
心に留めたマイナスのエネルギーを、プラスのエネルギーに反転していく術を知らないから、どんなに時間が経過しても、苦しみ、悲しみ、悔しさ等々から、自分の心を本当に自由に解き放つことはできないんです。
それでは、本来みんな、プラスに反転していける愛のエネルギーの持ち主であるのにもかかわらず、そんな自分を知っていくチャンスを、またもや逸してしまったということになります。
マイナスの現象を通して、自分の中のエネルギーを確認したならば、それをどのように自分の中でプラスに転じていくかが問題なんです。それが、それぞれの人生の本当の岐路と言えると思います。
だから、喜びと温もりの中にあった自分を知っていけるかどうかの分かれ道になる現象は、愛そのものだと言えるでしょう。
そして、マイナスの現象を通して確認した自分の中のエネルギーを、本当にプラスに転じていくには、自分の中の愛に帰っていくしかないのです。
ただ、愛に帰っていくと言いましても、自分の中に本当の愛があることを知らず、また信じられずでは、帰っていきようがありません。
だから、殆どの人は、苦しみに沈んでいくだけです。彷徨い続けていくだけです。
見た目は元あった状態に修復されても、いいえ、それ以上に立派になっても、自分が帰っていく本当の場所を知らない人達の意識の世界は、苦しみの連鎖が続いていくのです。
その一方で、愛に帰っていく術を今世学んでこられた人達は、本当に幸せな人達だと言えます。
いやいや、まだまだこれからだという人達もいいんです。本書を読んでくださっているのだから、只今から、自分の中の愛のエネルギーを知っていく方向に、自分の一歩を進めてください。

私達はみんな、思いの世界に存在しています。
私達は、肉体という形を持っていても、持っていなくても、途切れることなく存在しているんです。
そうは言いましても、肉体という形の有り無しで、生きている、死んでいるとしてきた私達人間にとって、自分は途切れることなく存在しているなんて、とても、とても理解できないでしょう。まさに、死んだら終わりがこの世の常識です。
本当は、生きていても、死んでいても、ただ自分の思いの世界に存在しているだけの私達なんですが、生きているということと、死んでいるということは全然違うと、殆どの人が、そう思っています。
では、こう表現しましょうか。
思いの世界というものには、二通りあって、一つは肉を本物とする思いの世界、そして、もう一つは意識を本物とする思いの世界です。
その肉を本物とする思いの世界にずっと存在してきたのが、私達人間でしたと言えば、どうでしょうか。
当然、その中では、肉体という形の有り無しが大きく左右します。
肉を本物とする思いの世界からは、意識を本物とする思いの世界を窺い知ることはできません。肉基準ということは頭基準ということです。頭では、自分がずっと永遠に途切れることなく存在しているなんていうことは、とても理解できないのは当たり前です。
一方、意識を本物とする思いの世界に自分の軸足があれば、そのことは自分の中で感覚的にとらえることができます。
そうなってくれば、今のこの自分の姿、形を含む周囲の形の世界についての自分の見方が変わってきます。人生観とか世界観が変わってくるはずです。価値基準も、判断基準も、もちろん違ってきます。
そして、生まれてきた意味、人生の目的、死ねばどうなるのかということについて、自分の心ではっきりと分かってきます。
また、「心を見なさい」ということが、どんなにすごいメッセージなのか、「あなたは愛です」というメッセージがどんなにすごいのかも、しっかりと自分の中で確認できるでしょう。そうなってくれば、それらを感じて知っていける絶好のチャンスに出会っている自分達は、本当に幸せ者だという以外にないと、あなたの心に響いてくるはずです。
どんなに優秀な頭脳を持っていようが、才色兼備であろうが、由緒正しき家系であろうとも、財力、権力、知力が思いのままであっても、将来を嘱望されていても、違う、全く違っていたんです。
生まれてきた意味も、人生の目的も、死んでどうなるのかも、全く知らずに生きて死んでいくことが、どんなに自分にとって冷たく、やるせなく、愚かなことなのか、自ずと分かってくると思うんです。だから、色々な現象を通してしっかりと学んでいくようになってきます。
自分の本当にするべきことがありました。それは老いも若きも男も女もなく、万国共通のことでした。私達は死んで終わりではありません。死んでも生きています。死んで人生をリセットできません。リセットするためには、自分の心を見るしかありません。

何で生まれてきたのか。何をするために生まれてきたのか。
意識、エネルギーである私達人間が、なぜ肉体という形を持ってくるのか。そもそも、意識、エネルギーが形を持つとはどういうことなのだろうか。
もちろん、頭を巡らしても答えは出てきません。答えは、正しい瞑想を積み重ねて、それぞれの心から引き出していきます。自分の心から引き出していくことが、心で分かるということです。
そういうことをしていくことが、本当に自分の人生を生きるということではないでしょうか。
私は、自分が本当の意味で生きて、そして死んでいった人生を、ただの一度も送ってこなかったことを知りました。さて、あなたはどうでしょうか。
私は、だから、学びの中で、今世こそという思いで生まれてきたことを感じて知っていきました。その思いに忠実に、私は今世の私も、そして、二五〇年後の来世の私も従っていくだけです。さて、あなたはどうでしょうか。

愛へ帰ろう、温もりへ帰ろう、喜びとともに。
私は、ようやく、自分の中でこのメッセージを聞くことができた今世でした。肉、形の中に真実はないということを、自分の中ではっきりと分かっていくのに、どれだけの時間を経てきたことか。
すべての苦しみの原因はそこにあったと知って、そして、自分の中が変わっていき、そこから見えてくるもの、感じてくるものによって、また自分の中を感じていくことを繰り返す。
私はそれを自分と自分の対話と表現していますが、どんなこともすべて自分の中で行われているんだということが、学びに触れ、学んでいく中ではっきりとしていきました。
「自分は思いの世界に生きている。だから、死んでも死なないんだ。思いを消滅させることはできない。自分は思いとして永遠に存在する」ということでした。
だから、この思いの世界が変わっていかない限り、永遠に本当の自分が分からないことになります。
そして、思いの世界が変わっていけば、「自分を苦しめているのは自分でした。喜びの自分を広げていくのも自分です。全部自分次第でした」と心で分かってきて、「ああ、思うことが嬉しい。思えることが嬉しい。思えることが幸せ。本当にこんな人生があったんだ」となっていきます。
そんな愛に帰る我が道を、ただひたすらに真摯に淡々と、そして、喜んで歩いていく、それはすべての人達に用意されていることです。
学びに集っている、いない、そして、肉を持っている、いない、に関係はありません。本当に関係がないことが、瞑想をして心を向けていけば感じられます。
すべての存在に用意されているこの道。目には見えない、しかし、意識がキャッチできる、愛に帰る道が、確かにあります。
意識と意識が響き合い、通じ合う喜びを感じていけば、心からどんどん噴き上がってくるのは、ただ喜びだけなんです。
そして、それだけに、ではこの目に見え耳に聞こえる空間は、本当にいったい何だろうかと思います。
しかし、意識と意識が響き合い、通じ合う世界を心で感じることがなければ、目や耳を通して実感している世界をやはり重視していくでしょう。
どれだけそれは影なんだと叩き込まれても、現実、実感としてある肉、形の世界に軍配が上がるのではないでしょうか。
肉を持ちながら、意識の世界だけが実在の世界なんだということを信じ切る難しさです。
しかし、私は、自分の心で感じてしまったんだから、もう、そういうことは言えないです。どれだけ切望し、どれだけ待ち望んできた今であるか、自分の心で知ってしまいました。
肉を持ち、この道を真っ直ぐに突き進んでいく厳しさ、難しさもさることながら、その喜びは例えようもないものです。
だから、心を向けていくだけです。思いを馳せていくだけです。正しく思う、それだけでした。

今一度、あなたのその肉体を動かしているものはいったい何なのかと思ってみてください。
あなたの頭ですか。頭脳が指令を発して、あなた自身は動いているのでしょうか。肉基準ではそうでしょう。世の中は、肉基準で動いていますから、それには何の異論もないと思います。
頭で色々と思考を巡らせて、そして、身体を動かしていく、行動を起こしていくということですが、では、その頭脳が指令を発する、その指令とはいったいどこからやってくるのでしょうか。
私達は、意識が基準ですというメッセージを発信しています。
あなたのその肉体を動かしているあなたの中のエネルギー、すなわち、エネルギーとしてのあなた自身を、しっかりと知ってください。それが、あなたが肉体という形を持って、今そこにあるということなんです。
あなた自身がエネルギーであるということを知っていくために、今、あなたは、一つの肉体を持って生活をしています。それぞれの人生があるんです。そのことに、一日でも早く気付き、みんな人生の本当の目的に沿って、本当の人生を歩いていきましょう。喜び、喜びの人生に巡り会ってください。
生まれてきたことに、産んでくれたことに、心の底からありがとうと、本当に心の底からありがとうと、自分に限りなく優しく言えるようになりましょう。
本当に自分に優しく、ただただ優しくなってください。自分の心の叫びをしっかりと聞いてあげられる自分にまずなってください。
自分では一生懸命に生きたつもりでも、あっという間に時間が過ぎ去り、訳が分からないうちに死んでいく人がごまんといます。
今世、学びに集っている人達も、何度も、何度も嫌というほど、そういう転生を繰り返してきたんです。本当の自分を知らずに、偽物の自分に磨きをかけて、全く下らない時間を費やしてきたものです。
いいえ、それどころか多大なるヘドロ、悪臭を垂れ流し放置してきました。しかも、そのことを全く知らずに存在してきました。これほど無知なことはありません。あなたはどれだけ、自分は無知でしたと気付いておられるでしょうか。
あなたのその肉体は、今のあなただけのものではないことを感じてください。今のその肉体にすべてを託してきた自分の思いを感じてください。
そして、その肉体をただひたすら愛に帰る道にいざなうために活用してください。
肉体は大切です。大切なものです。ただし、その思いと、肉が自分だとする思いとは相容れないことをしっかりと知って、自分が決めてきた愛に帰る道と出会ってください。
みんな、こうして生まれてきて今があるんです。産んでいただいたんです。この千載一遇のチャンスをしっかりと活かしてください。
日々、正しい瞑想を重ねていく中で、自分の心の中の喜びと温もりが信じられるように、そして、その世界が自分の本当の世界だったと確信が持てるようになってください。「私は愛そのものでした」と信を深めていってください。ともに歩みを進めていきましょう。

本当はみんなそれぞれに、愛へ帰る道を行こうとしています。
スムーズに行っている人もあれば、そうでない人、そんな道があることさえまだ知らない人、気付いていない人、様々です。
様々ですが、中の意識達はみんな必死になって愛へ帰る道を行こうとしています。それはみんなに共通のことです。
みんなとは、学びに触れている、いないにかかわらず、また、肉を持っている、持っていないにかかわらずということです。
なぜならば、愛へ帰る道、愛に戻る道しかないからです。それ以外に何もないからです。
みんな愛。愛の中に存在していることに気が付けば、喜んで、喜んで、ただ本来の自分に、愛に目覚めていきます。そして、さらに目覚めさせていくように自分をいざなっていきます。
だから、すべてがよしなんです。すべてがプラスなんです。マイナスなんて存在しない。マイナスはプラスでした。
肉、形から見れば、そんなことは絶対に思えません。マイナスはマイナス。マイナスとプラスは違う。それが肉基準の見方、とらえ方でした。
それを徹底的に自分に伝えてくれるものが、これから起こってくる天変地異というエネルギーでしょう。天変地異はこれからです。二五〇年に至る時間、激震の時間です。
どうぞ、その中で、肉基準と意識基準の違いをしっかりと確認して、次元移行という意識の流れに自分を乗せてください。

posted by ユーティーエーブック at 14:32| 奈良 | Comment(0) | 「愛、心のふるさと」(全7回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「愛、心のふるさと」第2回


「愛、心のふるさと」(塩川香世 著)、第2回目の配信です。今回は第2章「ともに帰ろう」前半部分、ページ数ではP13~P45までの部分です。

Ⅱ ともに帰ろう

さて、この章では、まず、「はじめに」のところで触れた田池留吉という人を紹介したいと思いますので、田池留吉氏自身が綴った次の文章を読んでみてください。A4用紙二枚の分量です。それぞれに、「私の仮説」「直感」という表題が付いています。
田池留吉氏が、これまで三十年余りの年月の中で、誠心誠意伝え続けてくれたことが、そこにみんな書かれています。

①「私の仮説」
私は、直感的に物事の本質をとらえようとする傾向があります。
意識についても、「初めに意識ありき。意識は愛、愛は波動、エネルギー、愛は永遠、無限、無形にしてパワー、愛は確実に仕事をしていく」と仮説を立てます。
私は、直ちに仕事にかかります。真実の追求が、我が人生となっていきます。
私の仕事は、実験と体験、そして実証と確信を経て、「私は愛です。あなたも愛です。一つ」と発信していくことと心得ます。私の仕事は、今、順調に捗っています。死ぬまで元気で仕事をしていきます。今の私の心は、喜びと幸せとありがとう、ありがとうで一杯です。
すべてが愛、存在も現象もすべてが愛です。意識が人間というもの、もろもろの形を持った時から、人間は肉を本物とする思いを徐々に大きくしてきました。現時点では、地球人類の殆どは肉を本物とする思いで固まっています。真実が全く見えなくなってしまっているのです。ますます遠心的な状態になっています。
中心は愛です。すべては中心に帰ろうとしています。本来の求心的な状態に戻そうと、愛のエネルギーは働いています。意識は流れています。求心的が真、遠心的は偽。遠心的なエネルギー、マイナスのエネルギーを、求心的なエネルギー、プラスのエネルギーに変えようと、意識は確実に流れています。次元移行に向けて順調に流れています。
愛は、愛を捨て去ったものにも、忘れ去ったものにも、常に愛のエネルギー・波動を伝えています。愛に帰ってくるように、求心的であるように、マイナスの現象として伝えています。従ってマイナスの現象は実はプラスの現象なのです。
マイナスの現象をマイナスととらえれば、さらにマイナスの現象となっていくのですが、愛の目覚めへの現象、プラスの現象ととらえれば、プラスの現象と変わっていくのです。
愛は愛から出て愛に帰っていくのです。地獄とは、愛を忘れ去り捨て去った人間が作り上げた世界です。それでも愛は愛の目覚めへと流れています。転生は愛の目覚めへの旅路とでも言いましょうか、壮大な営みです。
愛は頭では分かりません。心でしか分かりません。
心を見ていきましょう。正しい瞑想を重ね、日常化していきましょう。それしかありません。決意と実践が重要です。
宇宙に向けて語り掛けていきましょう。発信していきましょう。
「あなたは愛です。私もあなたも愛です。一つです。」

②「直感」
直感「初めに意識ありき。意識は愛、愛はエネルギー、波動、パワー、エネルギーは仕事をする。愛は無限、永遠に存在する」は、どうしてなのか。
私が二十歳前後の頃、マックス・プランク著『自然科学と宗教』を使ってドイツ語の授業を受けた。宗教は「はじめに神」が、科学は「後に神が」と述べてあったと思います。また、当時、若い者の間で、「宗教と科学は両立するか」をテーマにして盛んに討論が行われていました。しかし、私は、どちらかと言うと宗教的な生き方をしていました。聖書、般若心経などがいつも手元にありました。
四十七歳が転機になりました。自分の思いが声となって響いてきました。「私が説いてきた愛は贋物だ」と。全く白紙に。そして、母親の反省、瞑想となっていきました。その時から、何か自分が知りたいことが、真実が、分かってくると思うようになってきました。そして、直感がとなってきました。後は、耳を傾けてくれる人がいれば話していきました。そして、仮説、実験、実証、確信と進んでいきました。
現在は、どうしても意識の転回と愛の覚醒をと心から思っています。死ぬまで、そして、死んでからも、正しい瞑想と愛のエネルギーの確認と愛の覚醒を伝えていこうと思っています。
意識の流れを確信してください。次元移行を共に果たしていきましょう。
「あなたは意識、愛である」ことを確信する道を、ひたすらに進んでいってください。


「私の仮説」「直感」の文章を読まれてどうでしたでしょうか。難解な言葉は何一つ使われていませんが、中身、内容はずっしりと重いです。
田池留吉氏とともに、十年、二十年、三十年と学んでこられた人達は別として、初めてこれらの文章を読んだ人達や、田池留吉氏について、そして学びのことについて、殆ど知らない人達にとっては、文中、「肉」「意識の流れ」「次元移行」「意識の転回」「愛の覚醒」「正しい瞑想」「宇宙に向けて語り掛ける」という言葉や表現は、少々勝手が違うという感は否めないかもしれません。しかし、そういうことは、読み進めていってくだされば、段々に自分の中でなじんでくると思います。
まずは、本書をざっくりと読んでみてください。一つの章の中で、一行開けて文章を区切り、文頭を大きく太字で記しています。そのうちどの箇所でも、何か心に感じるところがあれば、そこを何度も、何度も読み返してください。
できれば本書の他に、『意識の流れ』『意識の転回』『磁場と反転』『あなたは愛です』等の書籍も活用して、本書の内容をぜひ心で分かっていただきたいと思っています。
そういうことですので、初めて本書と出会う人で、前記の文章の中身、内容が、自分の心の中にストレートに入ってくる人がいるとは、率直なところ期待しておりません。
仮にそういう人で、この文章を読んだだけで、うーんなるほどと頷き、本当に心から共鳴できる人であるならば、きっとその人に注目していくでしょうが……。
そうかと言って、そんなに難解なことではないんです。犬や猫などの人間以外の生きとし生けるものはみんな知っていることなんです。
ただ、人間は、頭で考えますから、その分、真実を遠ざけているだけのことです。
先ほど田池留吉氏とともに、十年、二十年、三十年と学んでこられた人達と書きましたが、その人達の中にも、まだまだ頭を回している人達を見受けます。学びの内容を頭で理解しようとするのです。それでは田池留吉氏が本当に言わんとするところは絶対に分かりません。
頭ではなく、心で分かってくださいということなのですが、私達はどうしても頭を優先させてしまう傾向にあります。
文中にもありましたが、本当のことは私達の頭では絶対に分かりません。しかしながら、正しい瞑想というものを重ねていけば、老いも若きも、男も女も、国籍がどうであれ、肌の色がどうであれ、人間みんな分かることなんです。
ただ、正しい瞑想を知らないから、あるいは、正しい瞑想ができないから、この文章の中身、内容を、本当に心から感じて知っていくことができないということになってきます。
当然、その人達は、今現在不幸なんです。たとえ、巨万の富があり、権力、知力等に恵まれた状態であっても不幸です。一番肝心な自分とは何かを知らないからです。
この辺りのことをご理解いただくことはなかなか難しいと思いますが、それを重々承知のうえで、こうして長い年月ともに学びを進めてきた人達も、今日初めてこんな世界があることを知った人達も、みんな、みんないっしょに、自分達の本質である愛に目覚めていこうということなんです。
目覚めていきましょうと、誰か一人が呼び掛けているのではなくて、そういう方向に、今、粛々と流れている「意識の流れ」というものがあることを田池留吉氏は伝えてくれました。
この田池留吉という人について、一介の老人とだけ紹介しましたが、ここで、もう少し付け加えておきます。
田池留吉氏は御歳八十八歳です。大阪府立高等学校の校長職を、その定年まであと一年を残す時期に退職され、それ以後、宿泊を伴うセミナーを、月一回、あるいは二回のペースで、全国各地において開催されてきました。近年は諸事情から、セミナー開催地を一箇所に定め、回数も年に五回となり今に至っていますが、それも二〇一四年(平成二十六年)十二月に開催予定のセミナーが最後ということになりました。
田池留吉氏が、これまでと同じ規模のセミナーで、ともに学んでいくということは、一応それで終了ですが、もちろん、その意識は、田池留吉氏自身が書かれているように、死ぬまで、そして死んでからも、真実の世界について真っ直ぐに伝えていきます。
さて、田池留吉氏が開催してきたセミナーの主旨は、「私の仮説」「直感」にみんな記されていると書きました。
また、田池留吉氏は、常々、「学びは人生です」と言われていたので、それらの文章に綴られていることは、セミナーの主旨と同時に、氏の人生の姿勢でもあります。
セミナーで伝えていただいた内容については、頭を重視してきた私達には、最初はどうしても面食らうというか、違和感、抵抗感があるというのが率直な感想だと思いますが、その一方で、なぜか心惹かれるということなのでしょう、セミナーに参加する人が、段々に増えていきました。ただ、田池留吉氏が伝えようとする世界は、いわゆる宗教、哲学、精神世界の範疇に入るべきものではなく、使われている言葉や表現は同じでも、中身、内容は全くそれらとは異質のものであるということを、それぞれの心で分かっていくことが、どうも難しいということでした。
言い換えれば、既存の宗教、哲学等の枠内で、そして、その延長線上でとらえている人が多いというのが現実なのかもしれません。

田池留吉氏が伝えようとしている世界は、欲と全く合わない世界です。
心で分かろうと思えば、欲で満たされた自分の心を自ら変えていく必要があります。そして、その点をクリアしていけば、田池留吉氏の指し示す方向には、ただただ喜びだけが存在していることが、どなたの心にも感じられるようになっています。
そうです。粛々と流れている意識の流れの中に、本当はみんな存在しています。
自分の本質である愛に目覚めていけば、ともにある喜びと幸せというものが、どなたの心にも響いてきます。
それが本当の温もりなんです。本当の優しさなんです。そして、本当の安らぎと言えると思います。
ここを感じ知っていけば、日々の生活の中で、心が揺れることがあっても、静かに丹田呼吸の一つ、二つをしているうちに、自分の心に響いてくる世界にすっと戻っていけるようになってきます。
心を揺らす出来事がどんなものであっても、決していつまでもマイナスとして自分の中に留めません。つまり、いつまでも苦しみ、悲しみ、嘆き、悔やみ、悩んでいくことはないでしょうということなんです。
形の上からはマイナスに見えることも、それとは裏腹に、そこから、ともに愛へ帰っておいでという優しさ、温もりを感じるからです。その呼び掛けというか思いが自分の心に響いてくるんです。
しかしながら、現実は、なかなかそうはいきません。生活の中で、悲しいこと、辛いこと、許せないこと等々のいわゆるマイナスの現象が起こってくれば、大抵の人は、目の前の出来事を現実のものとして受け入れることにまず時間を要します。そして、受け入れなければと思いつつも、受け入れ難い現実を目の前にして、自分の中の時間がそこで止まったかのように、いつまでも、その現象にとらわれていきます。
そこから先へ自分を進めていけない苦しさ、辛さ、やるせなさを味わっていく人が多いと思います。しかし、それでも生きていかなければならないので、目の前の表面的なことで、一時的に自分の心の苦しさを誤魔化していきます。心を紛らわせていくしかないのです。
よく、時が解決してくれると言われていますが、心の中の傷は、しこりとなって、芯となって依然として残り、やがて人は死を迎えるのです。
そして、死んでしまえば、そういうことも、ああいうことも、みんな忘却の彼方になるかと言えば、決してそうではありません。
自分の出してきた思いというものは、きちんと清算しなければ永遠に残っていくんです。
しかし、誰も、そんなことを聞いたことはないと思います。そうです。誰一人、そんなことをこれまでに教えてもらったことはありませんでした。そういう中で、「自分達の本質は、意識、波動、エネルギーであり、永遠に存在するものだ」と、田池留吉氏は、真っ直ぐに伝えてくれました。
それが、今から遡ること、三十年余り前のことでした。
田池留吉氏のもとで、長い人で三十年余りの年月、学んでこられたという経緯があります。
そういう人達、今日初めて本書を読まれた人達、あるいはごく最近学びに集ってこられた人達と、色々あると思いますが、真実に目覚めていくタイミングは、そういうことにあまり関係がないことを含んでいただきたいと思っています。
要は、その人が、いつ、どれだけ真摯に素直に、本当に自分と向き合うかということなんです。それを、ふるさとの替え歌の歌詞で言えば、自分と約束してきたことを、いつ、自分の中でしっかりと思い出していけるかということなんです。
もちろん、自分と交わした約束があったなんていうことは、あなたの頭に記憶されている訳ではありません。しかし、あなた自身は、意識のあなたは知っています。
そのあなたと、真摯に素直に向き合いましょう、向き合えるようになってくださいということです。


ところで、私自身も「私の仮説」「直感」の文章を何度か読ませていただきました。そして、心を向けてみました。以下の文章は、私の心に響き伝わってきた思いです。その思いを、私は日本人だから日本語で表現しています。
もし、私がドイツ人ならばドイツ語で、中国人ならば中国語で表現します。この作業をチャネリングと言います。頭で構想を練って書き上げたものではありません。そして、これは、概ね本書全体に言えることだとご理解ください。

①「私の仮説」を読んで
私は、田池留吉の意識です。初めに意識あり。愛はエネルギー。愛はパワー。愛は温もり。愛は永遠。そんな言葉を、私は田池留吉の肉を通して、皆さんにお伝えしてきました。
そして、その言葉通りに、私は仕事をしてまいりました。
心の中の喜び、温もり、愛のエネルギーに目覚めましょう。
私達の本当の姿は愛なんです。私は、そのような思いのまま、セミナーを続けさせていただきました。
そして、私の仕事は順調に捗っています。私は、今、この肉を持っておりますが、私の姿は目に見えません。そんな私の意識の世界に心を向けてくださいと、肉を持った皆さん方に語り掛けてきました。
とても、とても、難しいことを語り掛けてきました。
しかし、皆さんは、たくさんの現象の中で、たくさんの転生の中で、このことに目覚めていくことについて、強い決意のもとに、肉を持ち、そして私と出会い、この学びをしてきた人達なんです。
その人達に向けて、私は、死ぬまで、最後の最後まで、「私は愛です。愛は一つ。私達の世界は一つ」、そういうことを語り掛けていきます。
もちろん、死んでからも、このメッセージを波動として、エネルギーとして流し続けていきます。
私の波動を、どうぞ、ご自分の心で感じてみてください。
波動、エネルギーは、あなたの中に、あなたの心の奥底に届いているはずです。
その波動、エネルギーの世界を、あなた方が、どれだけ自分のものとしていくか、自分の中を目覚めさせていくか、自分の中の愛を目覚めさせていくか、それは、ひとえにそれぞれにかかっています。
たくさんの転生を重ねてきたあなた方です。
どうぞ、しっかりと、今一度、心を見ていきましょう。
自分達の本当の姿を自分の中ではっきりと分かるような、そんなあなた方になっていただきたい。私は、今、このようなメッセージを送っています。
田池留吉の意識の世界は、波動、エネルギー、愛のエネルギー。すべてを癒していきます。すべてを愛へ、愛へといざなっていきます。
そのパワー、そのエネルギーは、確かなものとして、宇宙へ、宇宙へ流れていっています。
そして、次元移行という意識の流れの中で、この愛のエネルギーは、益々現象化していくでしょう。
目覚めを起こしていく現象化です。
天変地異という具体的な現象が、皆さんの目の前に待っています。
それはすべて、愛のエネルギーです。喜び、喜びのエネルギーです。
プラスのエネルギーです。マイナスではありません。しかし、肉を持った意識は、すべてをマイナスとしてとらえていきます。
マイナスは、マイナスを呼んでいきます。だから、天変地異は、段々、段々、そのエネルギーを大きくして、目覚めてください、愛に目覚めてください、あなた方の本当の姿に目覚めてくださいと、すべての意識達に呼び掛けていくでしょう。
このことは、皆さんの心の中に、もう、すでに届いています。
どうぞ、心を向けてください。田池留吉の世界に心を向けてください。
田池留吉の世界は、一つです。ただただ一つの世界。愛のエネルギーの中にあった私達だということを、どうぞ、どうぞ、心で気付いて、気付いて、そして、感じて、感じて、心で感じたものを信じていってください。
私は、今、すべての意識に呼び掛けています。
すべての意識に愛のエネルギーを流し続けている存在です。
田池留吉の存在は、あなたの心の中に、時には優しく、時には厳しく、時には激しく、そして、いつも、いつも優しさと温もり、喜び、そんなエネルギーを流しているんです。
どうぞ、心を見ていきましょう。
ところで、私は、求心的、遠心的という言葉を使って、意識の世界、愛について、説明をさせていただいています。
求心的とは、自分の心の中に針を向けて、自分の中の愛を求めていく姿勢、生き方、存在の仕方、そういうことを指しています。
その反対は遠心的です。肉という形の世界のみに、喜び、幸せ、自分の存在を求めて彷徨い続けていく人生、そういう生き方、そういう存在の仕方を遠心的と、私は表現させていただきました。
遠心的に生きるとは、自らを地獄に突き落としていく生き方です。
幸せ、喜びをと求めているようですが、それらは全部自らを破壊していきます。いいえ、自分だけではなくて、自分の周りの人達、そして、この宇宙すべてを破壊していくんです。そのエネルギーを自分の中からどんどん、どんどん垂れ流していきます。
遠心的な存在の仕方は、自分に、大変冷たいです。すべての意識達に、大変冷たいです。破壊、破滅、堕落、そういうエネルギーを流し続けているということです。
どうでしょうか。そう思えば、地球人類殆どすべての人達が、遠心的な生き方をしているのではないでしょうか。
政治、経済、文化、教育、ありとあらゆる分野で目覚ましい発展、進歩を遂げてきた人類の歴史ですが、しかし、その果てにあるのは、いったい何でしょうか。
愚にも付かないことばかりに、自分の時間とエネルギーを費やして、そして、すべてを破滅、破壊の中に引きずり込んでいく生き方、遠心的な生き方をされていることに、一日も早く、本当に一日も早く気付き、そして、自分を、自分の歩みを求心的な歩みに変えていきましょう。
待ち望まれています。待って、待って、待ち尽くされています。
心の中を見ていきましょうと、私はずっと、最初から伝えてきました。
心を見るということは、とても大切なことです。いいえ、これしかないんです。
人類は自分を知らずに、ずっとずっと、長い、長い転生を繰り返してきました。自分の心とはいったい何でしょうか。自分とはいったい何でしょうか。
自分の本当の姿を捨て去り、忘れ去り、それでもなお、幸せを、喜びを、真実をと狂いに狂ってきた人類の歴史の中で、ようやく、ようやく、人類にほんの少し明るい兆しが見え始めてきたんです。
それが、今世、この田池留吉の世界に触れ、この真実の歩みを進めていこうとする今という時です。
どうぞ、心をしっかりと見ていってください。
肉、形を本物とする基盤から、自分の中の愛を捨て去り、忘れ去り、どこへ、何を求めてきたのでしょうか。本当にしっかりと自分の心を見つめていってください。
それが、この学びに集い、自分を学んでいこうと決意を秘めてきた人達の仕事なんです。
自分を知っていく。それが、とても、とても大切なことです。
自分を知っていきましょう。自分の流してきたエネルギーを感じていきましょう。そして、本当の自分の存在に気付いていきましょう。
本当の自分とは何でしょうか。
愛のエネルギーを心に感じて、そして、その本当の自分の姿を自分の中でしっかりと確認していくこと、そのために、今の肉体を持って学びに集ってきたことを、心でしっかりと感じていってください。
もちろん、私は、今、学びに集っている人達だけにメッセージを発しているのではありません。
肉を持つ意識、持たない意識、そして、今、学びに集っていない意識、これから二五〇年、三〇〇年の間の転生を経て、私達と出会う意識、そういうすべての意識達に、私は、愛のエネルギーに目覚めてくださいと、心を向け語っています。
愛は流れています。真実の世界は、今、滞りなく、順調に流れています。
次元移行という意識の流れの中を、どうぞ、しっかりと、しっかりと自分の心で感じ、そして、感じた心を信じて、一歩、一歩、自分の歩みを前に、前に進めていくようになさってください。
私達は愛です。すべては一つです。愛のエネルギーの中で、私達はすべて一つなんです。このことを心から信じられるようなあなたに蘇っていくこと、それが、これからもずっと、ずっと待たれています。
「私の仮説」の冒頭、私は、直観的に物事をとらえようとする傾向にあると書きましたが、それは、田池留吉の意識の世界からのものだと感じています。
私は、自分の実験、体験を経て、自分の中で確信を重ね、重ねて、「愛は存在する。すべてが愛。愛のエネルギー、波動の中にすべての意識達が存在する。愛しかない。宇宙には愛しか存在しない。愛はエネルギー、愛はパワー、愛は永遠なり」、そういうことを私はこの肉を通して伝えてきました。
田池留吉の意識の世界を心に感じてくださいと、今、真っ直ぐに私は伝えます。こうして、田池留吉の世界が肉を持った今こそ、真実の世界を心で知っていく絶好のチャンスなんです。そのチャンスを、皆さん、それぞれに自分で作ってきたとお考えください。
そして、そのチャンスをしっかりと活かしてまいりましょう。
しかしながら、それもまた、それぞれ皆さんにかかっていることも、いわゆる自己選択、自己責任のもとであることも、私は重ねてお伝えしておきます。
たくさんの、たくさんの現象。たくさんの、たくさんの転生。
すべては愛の中の出来事です。すべては真実に目覚めていくための出来事です。
心して、そして、喜んで、喜んで、真正面から受け取ってください。
すべては愛に帰るため、ただひたすら愛に帰るため、本来の自分の状態を取り戻すため、蘇らせるために、自ら設定してきた出来事です。
すべては喜び。愛の中にしか私達は存在しません。なぜならば、私達自身は愛だから。
その愛を心で感じ、心で知ってください。心で感じ、心で知ったことを信じて、信じて、これから存在してまいりましょう。
私達は、この愛のエネルギーの中で、しっかりと自分を見つめるために、今、このようにして存在していることを、心で感じてください。
瞑想、正しい瞑想をお伝えしました。
これしかないんです。肉を持った意識達が、肉を本物としてきた長き転生、その長き転生の中で培ってきた他力のエネルギーを、しっかりと自分の中で見つめ、そのエネルギーを愛に帰すたった一つの方法が、正しい瞑想です。正しい瞑想を重ねていくこと、それしか方法はありません。
心で、心で分かることです。心で、心で感じていくことです。
実験、体験、実証、確信を経て、すべては愛の中にあったことを、どの方も、どの方も心で感じていってください。
最後に、私は「宇宙に語り掛けましょう。発信していきましょう」という言葉で締めくくりをさせていただいています。どうでしょうか。
ご自分の心を宇宙に向けて瞑想をされているでしょうか。宇宙を思ってみてください。あなたの中の宇宙です。宇宙は待っています。たくさんの、たくさんの宇宙。たくさんの、たくさんの肉を持たない意識達。
ともに歩いていきましょうとあなたの心の中で、呼び掛けていってください。
まず、あなたが、ご自分が愛であること、愛のエネルギーであるご自分だと心に確信したならば、その愛のエネルギーを宇宙に向けて流していってください。
簡単です。宇宙を思えばいいんです。「私は愛です。あなたも愛です。私達は一つです」、このメッセージを宇宙に向けて、どんどんどんどん流してまいりましょう。
私達は喜びです。喜びで存在していることを、どうぞ、心で感じていってください。
「私は、宇宙へ、宇宙へ、愛を流す存在である」、そのように確信できるあなたは、どれだけ幸せであるか、私はあなた方の心の中に伝えます。
私、田池留吉の意識の世界と出会い、ともに、ともに歩みを進めていけることを喜んでいってください。
宇宙は愛へ向かって、次元移行をしています。
次元移行の意識の流れの中で、すべては愛に帰るエネルギーであることを目覚めさせていく、その時間と空間を用意してきました。
これから、さらなる喜びが待っています。どうぞ、すべてを喜びとして受け入れてください。すべてを喜びとして、受け取ってください。
愛を発信していきましょう。愛は愛をさらに大きくしていきます。
愛は愛を目覚めさせていきます。
愛しかない世界、愛しかない波動の世界を、どうぞ、心で存分に感じていってください。
私達は愛でした。ともに、ともに歩める喜びの存在でした。
私は、初めに意識ありき、そのように皆さんにお伝えします。
愛が初めでした。初めも終わりもありません。ただただ愛があるだけなんです。その愛が全く分からなくなった人類にとって、私は、とても難解なことを伝えてきたと思います。
しかし、心で感じ、心に目覚めていく意識達の存在を、私はここでしっかりと伝えていきたいと思います。
変わってまいります。宇宙は変わってまいります。次元移行へ、着実な歩みを進めている宇宙の喜びを、愛のエネルギーの中で、どうぞ、それぞれの心で感じていってください。
宇宙を思う瞑想です。宇宙へ愛を流せる存在だという確信、その確信を経て、ともに、ともに歩いていける意識であることを、私はいつも、いつも伝えています。
どうぞ、心を見ていくことから始めましょう。心で感じることから始めましょう。
瞑想、正しい瞑想をして、この喜びの波動を心で感じていってください。私はそのことだけをお伝えします。
これからさらに、宇宙が変わってまいります。宇宙に愛が流れ出している今、宇宙からの呼び掛けも、さらに、人類に届いてくるでしょう。
ともに、ともに、歩める喜びだけが存在します。
次元移行へ、ともに、ともに歩いてまいりましょう。心の中から私はそのようにお伝えします。

posted by ユーティーエーブック at 12:35| 奈良 | Comment(0) | 「愛、心のふるさと」(全7回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月15日

「愛、心のふるさと」はじめに


p.3〜p.12の朗読です。

「愛、心のふるさと」塩川香世 著

Ⅰ はじめに

私達は愛から出てきて、愛へ帰っていきます。それが私達の本来の姿だったんです。本来の輪廻でした。
しかし、私達は、転生をするたびに、本来の輪廻から大きく外れていきました。
愛を捨てて、本来の自分を捨てて、私達は地獄の奥底に落ちていきました。
落ちて、落ちて、何度生まれ変わり死に変わりしても、その地獄から抜け出すことができなかったんです。
だから、「人生は苦だ」と、誰かが言いました。
それを聞いた人が「そうだ」と、もっともらしく語り継いできたんです。
違うんです。人生は喜びだったんです。喜びしかなかったんです。
しかし、愛、自分のふるさと、本当の自分を捨て去った心には、「人生は喜びだ」という真の意味など分かるはずがありませんでした。
そんなことより、目先の栄華を自分に引き寄せることばかりに一生懸命でした。
人生の成功者、この世の成功者、それはいったい本当にあるのでしょうか。
偉人、賢人、愛の人として、歴史上、たくさんの人物名が列挙されています。
しかし、本当にその中に、真の偉人、賢人、愛の人が存在するのでしょうか。

自分の本当の姿を知って、自分の人生を喜びで生きてきた人など、全く皆無でした。
これが、田池留吉氏とともに学びを進めてきた結論です。
みんな、これまでこの地球上に転生してきた人達みんな、全部、全部、愛から出てきて、愛へ帰っていくことを心で知り得なかったんです。
だから、苦しみました。悩みました。悲しみました。嘆きました。
そして、どんなに栄耀栄華を極めた人生であっても、また真の道を究めようと鋭意努力し、煩悩を断ち、厳しい修行を自らに課しても、その肉体を離した瞬間、真っ暗闇の奥底に急降下していくんです。
自分の本当の姿を知らずに、死んだら終わりだ、人生一度切りだとしてきた人間の心の中は、本当に生きても地獄、死んでも地獄のまま。どこにも天国などありません。
「安らかに召されました」「成仏されました」。もう、そんな嘘っぱちなことは言わないようにしましょう。
天国など、どこにもないんです。成仏とはいったい何でしょうか。
本当の自分を捨て去った人間に、天国も成仏も何もありません。
あるのは、生きても地獄、死んでも地獄の闇黒の世界だけです。
しかし、世間一般には、こんなことは全く通用しません。
全く通用しない、訳が分からないことを語っているほうがどうかしているのではなくて、それほどまでに人間というものは、地に落ちてしまったということなんです。
私達人間は、なぜ生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのか、自分とはいったいどんな存在なのか、自分は死んだらどうなるのか、そういうことを全く何も知らずに、ただその時、その時を生きてきただけのことです。
いいえ、私はその時、その時を、ただ生きてきたのではなくて、一生懸命に生きてきたとおっしゃる方もあるでしょう。
しかし、その時、その時を、一生懸命に生きることに終始して人生を終えていくだけでは、本当の人生を生きたことにはなりません。
本当の自分に出会うことのない人生は、闇黒の人生なんです。
どんなに外観を整え、立派に見せても、自分の本質である意識の世界は闇黒のままです。
自分自身が闇黒の世界に沈み込んでいるのに、世のため、人のためと、いかにも善人ぶったことは、もう、どこかで本当にジ・エンドにしなくてはなりません。
「本当に、世のため、人のために尽力すると言うならば、まず自分の闇黒の世界をしっかりと知り、そこから自分を脱出させる方向に、全力を尽くすべきだ」と、大阪府南河内郡河南町大宝に住まいする一介の老人、田池留吉氏という人が誠心誠意伝えてくれて、時はすでに三十年余を経て、今に至っています。

この世の常識、慣習、道徳、規律、規範等々で、自分の心を縛り付けて、金、神、権力だけを求め続ける哀れな姿に成り果ててしまったのが、私達でしたというところから、まず出発しましょう。
それが、人間復活の道の第一歩だと私は思うんです。
人としての道を説くならば、人間復活の道を真摯に歩くべきだと私は提唱します。
では、人間復活の道とはどんな道なのでしょうか。
それは冒頭にあります。愛から出て愛に帰る道です。
その道を自分の中で見つけ、確立することが、本来の私達のするべきことでした。
どうでしょうか。
あなたは、自分の本当にするべきことをして、死んでいけるのでしょうか。
それとも、自分の本当にするべきことをしないで、また死んでいくのでしょうか。
あなたの周りを見てください。本当に幸せな人がいますか。
みんな顔で笑って、心で泣いているのではないでしょうか。
その自覚すらない人がごまんといます。
自分の心の叫びに耳を傾けることなく、あなたの今の時間を終えていっていいのでしょうか。
愛、心のふるさとに目覚め、そして、「人生は喜びでした」と心から知ってください。
自分の本当にするべきことをして死んでいくのが、真の偉人、賢人、愛の人です。

さて、前置きが長くなりましたが、ふるさとと言えば、大抵の人は生まれ故郷を思い浮かべます。
自分が生まれて育ったところ、あの山、あの川、懐かしい場所として、ふるさとを心に思い起こす人も多いでしょう。
懐かしい場所とともに、懐かしい顔も浮かんできます。お盆、お正月は、いつも帰省ラッシュのニュースが取り上げられ、飛行機、鉄道の混雑ぶり、車の渋滞ぶりが伝えられても、やはり、ふるさとでのんびり過ごしたいということでしょう。
そういうふるさともあります。
ええっ?ふるさとって他にまだあるのですか。
そう、そうなんです。実は、そういうふるさともいいけれど、もっといいふるさとがあるんですよ。いいえ、私達にとっての本当のふるさとは、たった一つだということを知っていただきたいと思っています。
そこで、私は、ふるさとの替え歌を作ってみました。

ともにともに帰ろう
遙か彼方ふるさと
愛は今も心に
思い出そう約束

帰っておいで我が家に
どんなときも待ってる
ここが君のふるさと
愛へ帰ろふるさと

たったひとつ真実
やっとやっと出会った
超えていこう喜びで
とわにひとつ我が友

愛へ帰る喜び
愛を思う喜び
心の中に喜びが
みんなひとつこの道

皆さんもよく知っているあの「ふるさと」のメロディーで、この替え歌をぜひ、ぜひ、口ずさんでみてください。
口ずさみながら、もっといいふるさとって、いったいどこにあるのか、本当のふるさと、たった一つのふるさとって何?と思ってみてください。
さあ、それでは、そのもっといいふるさと、本当のふるさと、たった一つのふるさとについて、これから語っていくことにしましょう。

posted by ユーティーエーブック at 16:27| Comment(0) | 「愛、心のふるさと」(全7回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする