2016年06月28日

「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」第22回 21.まとめ


「愛、自分の中の自分」(塩川香世 著)第22回目の配信です。
今回は「21.まとめ」、ページ数ではP153~P163までの部分です。


21 まとめ

さて、ここまで、「意識の転回とは何か」から始まって、「その作業は難しい」「なぜか」という説明を経て、しかしながら、「それをしなければ、本当のことが分からない」「それをするために、私達は、生まれて、そして、死んでいくという転生を繰り返してきた」といった事柄を、私自身の愚かさを交えながら、色々な角度から、語ってきました。
では、その難しい「意識の転回」は、どのようにすればできていくのかということが、皆さん、一番関心があることだと思います。
しかし、残念ながら、手っ取り早い方法もなければ、裏技もありません。あるのは、ただ一つ、「心を見る」作業を丹念に繰り返していくことです。
この作業がない人には、「意識の転回」はできません。
なぜならば、心を見ることを知らない人、見ようとしない人は、「形ある世界が本物で、それがすべて」だとする中で凝り固まっているからです。凝り固まっている以上、どうしようもありません。少なくとも、「心を見る」作業を真剣にやろうと思う人は、まだ今は、「形ある世界が本物で、それがすべて」だとする土台の上かもしれませんが、その土台が微かに揺らぎ始めているのだと思います。
そこで、「心を見る」作業というのを具体的に語ってみますと、自分を振り返って、反省すべきところは反省して、自分を正していくことが、「心を見る」作業ではありません。「心を見る」とは、その作業を通して、自分が瞬間的に出すエネルギーを感じていくことです。「私はエネルギーだ」ということを、実感していくことです。
まず、自分を産んでくれた母親に対して、どのような思いを広げてきたか、包み隠さずに、奇麗事に終わらないように、自分の思いをできる限り、出してみることから始めなければなりません。出してみるといっても、むやみやたらと外に向けて出しても、無用なトラブルの元です。
つまり、自分の不平、不満、その他諸々の思いを、例えば、目の前にいる母親に向けて直接に吐き出せば、まだ、その段階では、必ずトラブルが起こってきます。
互いに、「心を見る」作業をやっていこうとするならば、その中では理解されるかもしれませんが、それ以外では難しいです。無用なトラブルの収拾に時間とエネルギーを割くのは、得策ではありません。
とりあえずは、ノートに思いを書いてみる、書きなぐることを、やってみましょう。満点の母親など存在しません。みんな愚かなんです。そして、その愚かな母親の言動を見て、聞いて、みんな自分の思いがストレートに出てくるはずなのです。そして、実際にやってみれば分かると思いますが、母親に使ってきた思いは、自分の周りの人達みんなに使ってきた思いなのです。だから、まず母親の反省です。セミナーに集われた人達は、このことを繰り返しやってこられました。
具体的には、母親が自分にしてくれたこと、してくれなかったこと、逆に自分が母親にしてあげたこと、この三点に絞って、その都度母親との関わり合いの中で、自分はいったい、その時、どのような思いを母親にぶつけていったのか、包み隠さずに確認してください。
それと並行して、それぞれの宗教遍歴を振り返ります。例えば、今世は、宗教遍歴という大げさなものはない人であっても、誰でも、墓参りの一回や二回は、したことがあるでしょう。お正月に神社参拝の経験はどうですか。お墓の前で、または家の仏壇の前で、そしてお賽銭を入れて、手を合わせて、どのような思いを出してこられましたか。あるいは、人によっては、太陽を見て拝み、そしてまた、夜空に輝く星に願いをかけてこられたかもしれません。
とにかく、祈ってきたことや、願いをかけてきたことや、パワーを求めてきたことがなかったか、占いや呪いに興じてこなかったか、それらを思い出します。そして、なぜ、そういうことをしてきたのかと、自分に聞けば、必ず、何らかの理由が返ってくると思います。
「助けてほしかった」「救ってほしかった」「不思議な世界を知りたかった」「パワーがほしい。自分の思い通りになるパワーがほしい」等々というところだと思います。そうなれば、幸せになれると思うからこそ、自分の肉体を運び、時には、半端ではないお金を出してきたのです。そのあたりの自分の心の中を、じっくりと見ていけば、どれだけ欲の皮が突っ張った自分であったのか、必ず自分で分かってくると思います。
何はともあれ、まず実践することです。
どんな時も、自分から出てくる思いを、自分の中で確認して、そして、ふっと丹田呼吸の一つ、二つをして、目を閉じて、今、確認した思いに心を向けながら、「お母さん」と心の中で呼んでみてください。
「どうなる、ああなる、何を感じるか」は、ひとまず横に置いておいて、ただ、その作業を淡々と繰り返していくことが、極意と言えば極意であり、第一段階でしょう。
母親に使った心と、他力信仰に使った心を、丹念に、そして、ありのままに、自分の中で確認していくことをしていったときに、やがて、ふと、「何で自分は生まれてきたのか」「自分とは一体何だろうか」「本当にこれでいいのか」と、改めて、そういうような様々な思いが、心にどんどん過ぎります。それは今まで、何度も思い返してきたことかもしれませんが、ある時ふっと、そして、強烈に自分に響いてくるのです。
チャンス到来とばかりに、自分の存在そのものが全く間違っていたことを、否が応でも知っていく現象が起こってきます。文中にも記しましたように、それは、おそらく「人の生き死に」に関わってくる現象だと思います。そのチャンスをうまく活かすことができれば、それが第二段階となってくるでしょう。
本当に「心を見る」作業を、真剣にやってきた人は、そのあたりから、徐々に変わってくる兆しが見え出すのではないでしょうか。ほんの僅かかもしれませんが、それでも、その兆しが見え始めたというのは、自分の歴史の中で、大きな出来事です。
私自身も、拙著『ありがとう』の中で記しましたように、「人の生き死に」によって、大きく方向転換を、自分自身に促しました。自分の計画だったと言えばそれまでですが、「形ある世界が本物で、それがすべてだ」とする思いの向きを変えるには、やはり、この現象をおいて他にないと、私は思っています。
真実は、自ずと自分の中から伝わってきます。自分の中には、間違いなく「本物の自分」、すなわち「真実」が存在するからです。
そして、その「本物の自分」が「偽物の自分」を導いていることに、心から気付くには、もう天変地異という手段しか残されていないことを、私は感じています。
日々、安穏と暮らしている中では、「天変地異という手段しか残されていない」という言葉は、少々厳しくて乱暴な表現かもしれません。なかなか、現実のものとして受け止めることは難しいですが、意識の世界では、もうそのような流れになっています。いつまでも、形の世界を握っているわけにはいかないのです。形ある世界は、色々なところからどんどんその形を崩していきます。「とらわれている心を見てください」というメッセージを流しながら、喜びで崩れていくのです。
しかし、このことをいくら公言しても、今はまだ、殆どの人には理解できないことです。今の生活、今の家族、今の自分、それらをしっかりと握っている状態の中では、無理というものです。
そうです。今の状態では無理です。だからこそ、これからの時間の中で、様々な事柄が、しかも、予期もしない事柄、想像を絶する事柄が起こってくるのでしょう。天変地異の嵐は、みんなに公平に平等に配分されていくことでしょう。
しかも、これから起こってくる天変地異には、「形ある世界が本物で、それがすべて」だとする思いを、一気に崩していくほどの巨大なエネルギーを蓄えています。もう意識の世界は、そういう段階にきています。
それを、今現在どれだけの人が、心で感じておられるか分かりません。
しかし、止めることができない、変えることもできない意識の流れの中で、真実を知っていくシナリオがそれぞれにきちんと用意されています。
それを運命とか、宿命とかで片付けてしまっている場合もありますが、そもそも運命とかそういったものは存在しないと思います。すべてが自分で計画、予定してきた事柄です。決して偶然はありません。
また、運命に翻弄されたという表現は正しくはないと思います。翻弄されているのではなく、自分で翻弄しているのです。「真実に目覚めなさい」と、自分が自分に言っているのです。
それが分からずに、私達は運命のせいにしてきたのではないでしょうか。言うなれば責任転嫁です。そもそも、運命は誰が決めるのでしょうか。私達は、「運を天に任せる」と言います。また、「運命を切り開いて、困難を克服して、ようやくつかんだ栄光の道」というのもあります。
片や任せる、片や切り開く、何かどこかおかしいと思いませんか。矛盾していませんか。
そうです。実は、私達は今、何もかもおかしい状態の中にあるんです。
おかしい状態だから、おかしい結果が、あちらこちらから噴き出してきます。それがこれからの時間に、特に顕著になってくるということです。「根本が違っています。真実に目覚めなさい」という呼びかけが、声高らかになってくるということだと思います。
「真実は一つ」、その呼び声高らかに、ともに歩んでいこうとする意識の流れからのメッセージが、それぞれの心に響いていく日を、心待ちにしています。
毎日の生活の中に、しっかりと腰を下して根を張るのではなく、ただ、自分の意識の世界をしっかりと見るために、今、それぞれの環境の中に肉体を携えていることを、知らなければなりません。
「なぜ、生まれてきたのか」「何をするために、この世に出てきたのか」、その答えが自分の中で、はっきりとしてくるにつれて、自分が今、携わっている仕事、自分の家族、自分の健康のこと、その他自分の周りの事柄に対しての自分の思いが、変わっていくでしょう。自分とそれらのものとの関わり具合に、変化が出てくると思います。そうした時に、さらに、自分とはいかなる存在であるのか、もう一歩突っ込んで自分に問いかけてください。あなたの中は知っています。あなたの中の愛が答えてきます。波動で答えてきます。それはただただ喜びです。喜んで、喜んでいこうという思いが、はっきりと、自分の心で感じられる時が、やってくるでしょう。それを素直に真っ直ぐに受け止めて、自分の中からの促しに沿って存在していってください。

posted by ユーティーエーブック at 08:04| 奈良 ☔| Comment(0) | 「愛、自分の中の自分」(全24回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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