2016年06月27日

「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」第21回 20.平々凡々ながら、我が道を行きます


「愛、自分の中の自分」(塩川香世 著)第21回目の配信です。
今回は「20.平々凡々ながら、我が道を行きます」、ページ数ではP145~P152までの部分です。


20 平々凡々ながら、我が道を行きます

私は、口八丁、手八丁の類の人間ではありません。
優しい言葉をかけ、優しい態度を示し、互いに頑張っていこうと声を掛け合う人は、とっつきやすいかもしれません。私は、どうもそういうことは苦手だから、とっつきにくいみたいです。以前から、「あんたの考えていることが、私にはあまり分からない」と、母親に言われてきました。
私は、面倒見はよくないし、逆に人から口を挟まれることも、あまり好みません。生真面目でもなく、几帳面でもありません。邪魔くさがりで、面倒なことは嫌いです。多分に自己中心的なところがあります。
また、私は、どちらかと言えば、一匹狼に近いと自分自身を評価しています。それだけに、一つ間違うと、地獄の奥底に転落です。あまり人の言うことを聞かないからです。自分で納得しない限り、聞いているようで聞いていない、調子を合わせているようで、そうでない、そのようなところがあります。
しかし、それが、案外、学びを遂行していくという点において、プラスに作用したと思っています。
一見、短所なところも長所に作用していったのは、やはり、自分の中に、真実に出会いたいという純粋な熱い思いがあったからだと、私自身は思っています。
「この世のどこかに、真実はある、必ずある。」
何の取りえもない私ですが、この思いを心に感じてきたというのが、ただ一点のいいところであり、すごいところと言ってもいいかもしれません。
その実現を見ることがないということは、あり得なかったと確信している今、その思いだけが、平々凡々な私を導いてきたことを感じます。
また、その思いがあったからこそ、多分に自己中心的な私であっても、何とか曲がりなりに、そして、大きなトラブルを起こすことなく、社会生活に馴染んできたのだと思います。
いいえ、それどころか、ただ我が道を行くことを許されていることを痛感して、これほど幸せなことはないと、私は常々感じているところです。
社会のため、会社のため、家族のため、そんな大そうな心意気など、何もない私ですが、自分の痕跡をしっかりと見つめ、自分のこれからを、しっかりと見つめていこうとすることに、エネルギーを注いでいることだけは確かです。
また、私は、怖がりで臆病だけど、考え方はしっかりしています。自分の理念というか哲学を持っています。だから、あまり人に、世間に、なびいていかないのでしょう。
もともと、私には、自分で選び、自分で遂行していこうという思いがありました。それによって、自分に降りかかってくるものは、自分で対処していかなければならない、結局は、何事も自分のことは、自分以外に解決はできない、自分が納得しない限りダメだ、転生を重ねた結果、そのような思いを強くしていったのだと思います。
自分の理念、哲学が、今世ようやくにして、自分の中で納得できるものと出会えたということで、私自身、大変喜んでいます。
今世、私達に本当のことを伝えてくれたのは、田池留吉氏という人でした。田池留吉という一人の人間を通して、真実の世界に触れさせていただいて、本当に感謝しかありません。この出会いがなければ、私達には本当に明るい未来なとなかったと言えるでしょう。
私は、田池留吉氏の伝えてくれたことを、心で理解していると思っています。意識の世界の私達はひとつであることを、具体的に感じている、つまり、確信していることは事実です。
それは、決して曖昧模糊なものではなく、「私達はひとつ」だという私の感覚は、まさに明確なものであり、現実的なものです。
だから、二五○年後の出会いは必ずあり、しかも、その出会いがあって、すべては、そこから始まっていくことも、私は知っています。今世の出会いも、非常に大きな喜びですが、来世の出会いは、それにも増して、いいえ、比べることができないほどの大きな喜びであることも、もちろん感じています。
そのような背景を抱えて、私は、田池留吉氏と接しています。私は、田池留吉氏を師と仰ぎ、鏡として自分の中に掲げる思いで、見ているのではありません。そのような低次元で、田池留吉氏を見るということは、本当におこがましい限りだと思っています。私にとって、田池留吉という存在は、その程度に留まるものではないからです。
出会いは非常な喜びでした。千載一遇の出会いでした。ずっと探し続けてきたものを、田池留吉氏は、単刀直入に端的に表現してくださいました。私の意識の世界に多大な衝撃を与えていただいたのも、事実です。
そのことにより、私は、自分自身に目覚めさせていただきました。そして、今、自己確立の道を、淡々と歩んでいる幸せと喜びの中にあることを、確認しています。平々凡々ながら、今、その道を一歩一歩、歩む喜びに、私の中は湧き返っていると思います。
確かに続いていくこれからの時間の中で、それは、さらにより鮮明に、自分の中で感じていくことができるだろうと確信しています。
だから、私は、これから二百五十年、三百年に至る時間が待ち遠しいです。
どんどん自分の中と出会っていって、そして、どんどん自分の中の愛に目覚めていき、私達は愛の中にひとつという思い、エネルギーを流し続けていける存在なんだと伝えていけばいいからです。
たくさんの意識達が呼応してくるこれからの時間に思いを馳せ、私は私の信じる我が道を行きますと明言できる今を、ただ喜んでいます。



posted by ユーティーエーブック at 09:00| 奈良 ☀| Comment(0) | 「愛、自分の中の自分」(全24回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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