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12 真の意味で、強い人間でないと、真実を追究していくことなどできません
強い人間というのは、自分の本質が何であるのか、そこのところから目を逸らさずに、信じて、信じて、信じ切っていこうとする思いが、心の中から、マグマのように湧き出てくるまで、自分と真向かいになれる人を言います。豪傑ということではありません。
一方、弱い人間というのは、単に気が弱いとか、気は弱いけれど優しいとか、そういうことではなくて、自分自身を信じ切ることができない人を指します。自分を自分で見限る冷酷さが、弱い人間には分からないのです。
弱い人間は、気が弱いから、ダメだ、ダメだと落ち込んでいくのではなくて、自分を信じ切る信が弱くて、自分に冷酷無慈悲だから、ダメだ、ダメだと、自ら地獄の中に落ちていくことを選ぶのです。
優しさは厳しさです。厳しさは愛です。自分に対する絶大なる信頼のもとに、自分の中の愛が育まれていくのだと思います。
自分に対する絶大なる信頼、その絆を深めていくことが、これからさらに望まれることだと、私は理解しています。
自分を見つめるために、生まれてきました。肉体を持つことは絶対に必要でした。自分を掲げるために、肉体を使うのではなくて、肉体は自分を見つめるためにありました。自分を見つめるために、肉体が必要だったことに気が付けば、自ずとそれから以後の自分の思いが変わってきます。限りある時間の中で、何を優先していくか自ずと決まってきます。
もちろん、肉体を維持するために、社会の色々なことに対応していかなければなりません。今は、そういう社会になっているからです。しかし、今、自分は何のために、こうして肉体を持っているのかということが、自分の中で分かってくれば、その自分にとって必要なものは、すべて、整えられている、整うようになっていることが、感じられます。手許にあるもので、自分を見つめていけるようになっていることを、しみじみと感じて、満たされていきます。心が満たされていき、安堵感が広がっていきます。足らないもの、ないものを欲しい欲しいと求める思いが、段々と薄れていけば、逆に、すでにこんなに満たされていることを感じ、幸せ感が膨らんでいくはずです。
形ある世界に生きていると思っている間は、ないもの、足らないものばかりに思いが向きます。ないものねだりです。また、あっても、あってもここでいいということはありません。不足の思いが募っていきます。
それは、苦しみでしかありません。
自分(意識)のために、今、肉という形を持っていることがはっきりと分かってくれば、自分(肉)が自分(意識)を学ぶために必要なもの、それは経済的なものを含めて、すでにもう整えられていると分かってきます。自分(意識)を学ぶために、手元不如意などという事態は起こってきません。もちろん、それは単に、経済的なことだけではなくて、すべてにおいてそうだと感じます。
必要なものは、自分の周りに配置していきます。自分を見つめるのに必要なものは、すべて揃えていくのだと思います。なぜならば、人は、自分(意識)のために、肉という形を持つからです。意識の流れの中にある自分を振り返れば、それは納得です。なぜ、こういうふうになっていくのだろうかと自問自答すれば、答えは簡単に出てきます。自分が全部計画してきたに過ぎないことが、分かります。
形を見れば、どんなに大変な状態であっても、「越えられないものはない」ということです。それが、実感してくれば、勇気百倍です。偽物の自分ではなくて、本物の自分を信じていこう、喜びとともに勇気が湧いて出てくると思います。
「これが、私が私に目覚めるのに必要なことだった。」
そのように本当に思えたならば、その人は、きっと幸せです。自分に自分がありがとうと言える、こんな幸せな時間は、今までに一度もなかったはずです。優しい自分と出会える幸せ、喜びです。それは、心の底からふつふつと湧いて出てきます。そして、時には、心の奥底から突き上がってくる嬉しさです。自分に真摯に素直に自分と向き合える人間になりましょう。真の意味で強い人間でないと、真実を追求していくことはできないと言いました。つまり、次元移行という意識の流れにしっかりと乗って、自分をさらに見つめていくことができるのは、真の意味で強い人間です。愛が自分の中にあったと心で知っていくことが、自分を強い人間に蘇らせていくのです。