2016年05月31日

「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」はじめに


今日からは、2015年6月発行の「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」(塩川香世 著)を読み進めていきたいと思います。第1回目は、「はじめに」の部分を著者である塩川香世さんに朗読していただきます。ページ数では、1ページから12ページの部分です。

はじめに

あなたは、「意識の転回」という言葉を、耳にしたことがあるでしょうか。
そもそも、「意識」という言葉を、あなたは日常的に使っていますか。
「何かを意識する」とか、あるいは「意識を変える」とかいうふうに、使われているかもしれません。
しかし、「意識の転回」という言葉は、どうでしょうか。なじみが薄いと思います。「意識の転回」とは何だろうか。初めて聞いたと思われる方もあるでしょう。
確かに聞き慣れない言葉です。そこで最初に断っておきます。
約三十年前から、あるセミナーが開催されてきました。そして、そのセミナーのテーマは、次のような内容でした。
「私達人間の本当の姿は目に見えません。肉体という形は私達人間の本当の姿ではありません。私達は、意識、波動、エネルギーとして永遠に存在しています。」
このテーマをクリアするための絶対条件が、「意識の転回」ということなんです。
上記のカギカッコで括られた文章は、どなたも自分の頭では決して理解できない内容です。しかしながら、それは、どなたも自分の心で理解できるのです。心で理解する。頭ではなく心で。ここが大きなポイントです。
そして、このテーマをクリアするにはとありますが、そもそもクリアする必要があるのかと言われるかもしれませんが、そうです、どなたもみんなクリアする必要があります。だから、私達は、今世もまた産まれてきたんです。産んでいただいたんです。自分の本当の姿を心で知るために産まれてきた、産んでいただいたということを、まず、心に留めておいてください。
ここでセミナー云々のところまで、話を戻します。大阪府南河内郡在住の現在御歳八十八歳の老人、田池留吉氏という人を中心に、このテーマについて、セミナーが主に日本各地で開催されてきて、三十年余りの年月を経て今に至っています。
「意識の転回」という言葉は、そのセミナーで使われてきた言葉なんです。
セミナーの中で、「意識の転回」とはどういうことなのかということを、「コペルニクス的転回」を例にとって繰り返し説明がありました。
この「コペルニクス的転回」というのは、皆さんご存じだと思います。いわゆる天動説と地動説のお話です。そうです。太陽が地球の周りを回っているという考え方(天動説)と、地球が太陽の周りを回っているという考え方(地動説)のお話です。言うまでもなく両者は全く違います。
このように、「コペルニクス的転回」に例えられた「意識の転回」とは、考え方の根本を一八〇度変える、転回をすることだと思ってください。
根本を一八〇度変えるということですから、それは、ただ単に考え方を変える、転回するというのでなくて、物の見方、考え方の土台を全く変えるということなんです。この土台というところがポイントなんです。土台を全く変えるということがポイントなんです。
そこで、物の見方、考え方の土台を全く変えるとはどういうことなのか、どうしていくことなのか、どうすればそれがスムーズに捗っていくのかということを、これから語っていきたいと思います。
田池留吉氏は、セミナーの中で、「目に見えて、耳に聞こえて、手に触れることができる形ある世界がすべてだ。そこに人間の喜びと幸せがある」とする物の見方、考え方を天動説に見立てました。そして、「いや違う。そういう世界はいずれ消え去る世界であり、私達人間の本当の喜びと幸せは、そのような世界にはない」とする物の見方、考え方を地動説に見立て、私達人間は、この天動説から地動説への転回を自分の中で起こすために、生まれてくるんだと語りました。
「人間の本当の喜びも幸せも、そして、人間という存在そのものも、『意識の転回』なくして、絶対に分からない。」
これが学びの中心部分、結論です。
しかしながら、「私達は、意識、波動、エネルギーとして永遠に存在しています」と唐突に言われても、実際は、そう簡単には分かるわけもなく、納得などできないと思います。
今、現に、肉体という形を持っているのに、それが私達の本当の姿ではなく、私達は、本当は目に見えないものなんだと言われても、それをそのまま鵜呑みにすることはできない、無理というものです。実感が湧いてきません。目に見えない世界は、文字通り目に見えないんだから、そんなものはあるのかないのか分からないというのが、現実のところだと思います。
確かに世の中には、心が敏感で色々なことを感じる人はいます。目に見えない世界があることを心で感じておられる人もいるでしょう。昔から、霊魂と通じ合うとか、霊媒とか、そういうことはあったようです。今は、さしずめ何とかのパワーでしょうか。とにかく、目に見えない世界、形がない世界のことを語ってきた人は、昔から存在していました。だからといって、その人達が、目に見えない世界、形がない世界だけを本物だと思ってそうしてきたのかと言えば、そうでもなさそうです。それどころか、実はそういう人達ほど、本当は最も危険なのです。
なぜか。
それは、まだ、自分の中で、「コペルニクス的転回」すなわち、意識の転回が始まっていないからです。つまり、それはどういうことなのかと言いますと、その人達は、「目に見えない世界、形がない世界がある」と語っておきながら、自分自身については、今、肉体を持っている自分が自分だと思っているんです。当然、その人達の物の見方、考え方は、形の世界を本物とする土台の上にあります。その土台の上で、目に見えない世界のことを語り、霊だとか魂だとか、宇宙のパワーを感じたとか、霊界と交信しているとか、本当にいい加減なことを語っているに過ぎないんです。いいえ、事態はそんな単純なものではありません。そうすることによって、みんな自分の中からどんどん、どんどん、ブラックのエネルギーを放出している、垂れ流している状態なんです。しかも、そのことがどういうことなのか、何を意味しているのかさえ知らずにいます。だから、そうしているうちに、まず、自分自身の雲行きが段々おかしくなっていくんです。それはお定まりのコース、当たり前のことなんです。
雲行きがおかしくなるというのは、例えば、俗に言う心が敏感であって、一般の人には見えないものがその人には見えたり、聞こえないものがその人には聞こえてきたりしたときに、その人達はみんなそれで、自分を表していくんです。自分は特別だと思っていくんです。自分というのは、もちろん、目に見える自分です。そして、殆どの人達は、見えた、聞こえたということに有頂天となり、振り回されていきます。自分を動かし、操っている正体は何かということには気にも留めずに、また分かろうとも、知ろうともせずに、私にはこんなことが見えるんだ、聞こえるんだという部分だけを誇張してしまいます。だから、そういう状態を野放しにしていると、その人達には、間違いなく病院行きか、何か事件かトラブルを起こすだろうという結末が待っています。なぜならば、その人達は、自分の中の思い、中から聞こえてくる声にのみ従っていくからです。そして、実はその思い、声というものは、先ほど触れたブラックのエネルギーなんです。その状態は、ブラックのエネルギーに突き動かされているといった、全くの操り人形、危険な傀儡状態です。だから、ふと気が付けば、自分を傷つけ、他人をも傷つけてしまっていたという状態になっているんです。最近、巷では、訳の分からない事件が頻繁に起こっていますが、それはこういうことだと思います。
そして、そのような操り人形、傀儡状態にある人達は、それ以上に、もっと大きな間違いを犯していきます。何かを感じるがゆえに、人を導いていこう、救ってあげよう、私には大きな使命があるという大それた間違いを犯しやすいのです。つまり、この場合も同じです。自分の心を見るということを知らないから、そこに働くエネルギーがマイナスであることに、なかなか気付けずに、自分の中から語ってくるブラックの世界のままに、人を導いていこう、救ってあげましょうと、今の自分の肉体を動かしていきます。もちろん、その人達は、ある種の使命感に燃えているのだから、誰もそこに働くエネルギーがマイナス、つまりブラックだなんて思いもしていません。自分は正しいんです。自分は偉いんです。中から届く思いがそう伝えてくるんです。中からそう語ってくるんです。あなたには大きな使命がありますよと。あなたは特別なんですよと。そうなってしまうと、狭い、狭い、そして暗い真っ暗な中にすっぽりとはまってしまって、悲しいかな、無知とエゴと欲で突き動かされていることに、全く気付けません。それどころか、それらを自分の中でどんどん膨らませて、何かを感じるがために、その目に見えない形のない世界から聞こえてくる声を、もっと知ろうとしていくし、もっと知って、もっと語っていきたいという欲の思いを募らせていくのです。人には見えないもの、聞こえないものが、見えて聞こえて感じてくれば、自分は特別だから、素晴らしいからそうなるのだと思っていくのです。そして、不幸せにも、自分には大きな使命があると大真面目に思ってしまい、信じ込んでしまい、人を導き、救うことが良いこと、正しいことだと思ってしまうのです。それが、いわゆる宗教の世界の教祖、開祖、指導者達が通るお定まりのコースです。
形の世界を本物だとする土台の上からは、なぜ人を導き、救っていくことが間違いであるのかは、絶対に分かりません。だから、そうなってしまえば、大きな使命がある人など存在しないということなど、その人達には納得できるわけはないし、絶対に分からないでしょう。
分からないどころか、それが己を掲げる思いであり、己を表す思いであり、ブラックの世界だなどとは、到底認めることはできません。自分がどれほどの悪臭を放っているのかなどということについて、全く受け入れ難いことであり、到底承服できないはずです。
しかし、形の世界を本物とする土台、自分を肉だとするところからは、間違いなく悪臭の立ち込めた真っ黒なエネルギーが噴き出しているのです。そして、その真っ黒なエネルギーが、様々な現象を起こしていくのです。もちろん、それは間違っていますよというサインに他なりません。言い換えれば、それは、気付き、促しの現象です。だから、形を見ればマイナスの現象と映りますが、その根底に流れるものはプラスの波動なんです。
本来は、マイナスの現象などないんですが、形の世界を本物とする土台からは、当然、崩れていく形の世界ばかりを見ていきますから、それはマイナスとして受け取ってしまうということです。
繰り返します。すべての現象は本来プラスなんです。にもかかわらず、なぜプラスとして受け取れないのか、なぜそこから正しく学び取ることができないのでしょうか。それは、受ける側に問題があるからです。受ける側の土台に問題ありということです。
さて、ここで話を戻します。
セミナーが開催されて、三十年以上の年月を経てきました。その間、何百回と、セミナーが開催されてきました。どれだけの時間とエネルギーを割いてきたことでしょうか。それだけの年月を掛けても、残念ながら、現実は、その中心部分である「意識の転回」がなかなかなのです。
なぜだと思いますか。そして、なぜ、「意識の転回」がなされなければ、本当のことは分からないのでしょうか。
「私達の本質は、意識、波動、エネルギーです。」
こんなたった一行のメッセージなのに、これを心で分かることは非常に難しいのです。
「誰も何もあなたを救うことはできない、あなたを救うのはあなた自身です。」
これも、セミナーで言い尽くされてきた文言です。
これと同じようなことを、どこかで耳にされたり、目にされたりした人もあるでしょう。
しかし、人間を形あるものとしてとらえた土台から発せられた言葉と、人間は形ではないとする土台から発せられたそれとでは、語る文言は同じでも、その中身が全く違います。つまり波動が全く違うんです。中身とは、言葉ではなくて、波動です。
それでは、あなたが流す波動は、プラスなのでしょうか。それともマイナスなのでしょうか。
そのことを含めて、「意識の転回」が、すべてのキーワードだということを、私なりに語ってみますので、少し、時間をください。

posted by ユーティーエーブック at 10:07| 奈良 ☀| Comment(0) | 「愛、自分の中の自分」(全24回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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