2016年05月04日

「愛、心のふるさと」第6回


今回は、「愛、心のふるさと」(塩川香世 著)、第4章「正しい瞑想が鍵である」の前半部分、ページ数で言いますと、151ページから175ページの部分の朗読です。


Ⅳ 正しい瞑想が鍵である

ここまで記してきましたように、私達人間には、自分達の本質、自分達のふるさと、愛に目覚めていくために、これまでの転生がありましたし、これからの転生という時間(タイムリミット三〇〇年)と空間が、それぞれに用意されています。
みんな愛から出て、愛に帰る中にあり、その軌道修正を自らに求めてきたのです。その軌道修正は困難を極めますが、必ず、必ず、現実のものとしてまいりましょうと固く、固く約束してきたことを、一人ひとりが、正しい瞑想を継続していくことで、自分の中に思い出してください。
真実は、たった一つです。愛の覚醒が待たれています。次元移行という意識の流れは、今、粛々として流れ、仕事を成しています。
どうぞ、一人でも多くの方が、そして一日でも早く、正しい瞑想をして、その意識の流れを自分の中に流してください。ともに帰れる喜びを自分の中で確認してください。
意識の転回、愛の覚醒という人生の唯一の目的を達成するためのキーワードは、「正しい瞑想」だということは、ご理解いただいていると思います。「正しい瞑想」を知らない人、できない人は、本当のことは何も分かりません。ということは、その意識の世界は闇黒だと申し上げてもいいでしょう。よって、是が非でも、「正しい瞑想」をしてください。
繰り返します。
「正しい瞑想」とは、田池留吉を思う瞑想です。田池留吉に自分の心の針を向けて合わせていく瞑想です。
田池留吉とは、自分の中の愛です。心のふるさと、愛です。
田池留吉という人名が付いていますが、お伝えしている通り、田池留吉氏ではありません。田池留吉とは、田池留吉の世界、意識の世界を言います。その意識の世界はあなたのふるさと、愛なんです。それが本当のあなた自身なんです。
だから、田池留吉を思うということは、愛を思うということ、本当の自分を思うということです。
正しい瞑想は、自分の中に喜びと温もりをしっかりと広げていけるたった一つの方法です。
正しい瞑想をすることが、正しい瞑想ができることが、自分を救いゆくたった一つの方法なんです。
このことは、正しい瞑想をしていけば、自ずと分かることです。これしかないことが分かります。
だから、さらに正しい瞑想ができるように、自らをいざなっていきます。それは愛のエネルギーです。自分の中の愛のエネルギーが自分をいざなっていくんです。
その様を瞑想の中で感じていけば、どれほど今という時がありがたい時なのか、そして、どんなに自分は恵まれた存在であるのかが、心に響いてきて、その思いは、さらに瞑想に拍車をかけていきます。いい方向に、いい方向に、自然に循環していくんです。
そうすれば、自分の外に何かを求めることは、全く違っていた、間違っていたことなど、はっきりと分かってきます。外に求めることがどんなに愚劣なものなのか、あなたの心ははっきりと伝えてくるのです。

いつも、いつも、田池留吉の世界に心を向けている自分であるかどうなのかということです。田池留吉以外のものは、みんなブラックです。
そう言い切れるまであなたは、自分の心の中の田池留吉の世界を信じていますか。知っていますでしょうか。
本当の喜びと幸せが自分の中で広がっていけば、どこにいても何をしていても、思えば嬉しいのです。思うだけで嬉しいんです。
何が、何で、そんなことはどうだっていいんです。自分の中はみんな知っているんだから、それに出会っていけば、自ずとそうなってくることが実感できます。もともと幸せだった自分を思い出し、復活させていけばよかっただけだったことが、本当に心で納得できます。
そうなってくれば、あとは、日々、自分の日常の中で無理をせず、自分のペースでゆったりと思いを向けていく喜びが待っているだけです。
それに沿って生活をしていけば、自分を自分がさらに喜びへ幸せへいざなっていくんです。
ああ、本当に幸せな人生だったと、心から、本当に心から湧いて出てくるような時間をできる限り、たくさん、たくさん持っていきましょう。
何も難しいことはありませんでした。本当に幸せは、そこら辺にゴロゴロと転がっていました。幸せを幸せだと思えないようにしてきただけのことでした。

瞑想をしましょう。正しい瞑想をしましょう。
そして、幸せな自分、喜びの自分、これからのこと、色々、色々、心で感じ心で味わってください。
正しい瞑想を継続、日常化して、本当の喜びと本当の幸せを味わっていきましょう。
正しい瞑想を通して、限りない温もり、限りない優しさ、限りない喜びの中で、こうして、今という時を迎えていることを、実感してください。
そして、間違い続けてきた自分の道を、自分の中の愛のエネルギー、パワーで、真っ直ぐに、ただひたすら真っ直ぐに、愛へ愛へと進めていきましょう。

さて、目に見えなくて、耳にも聞こえなくて、形も匂いも何もない世界に、たった一つある真実を知っていくために、「日々、正しい瞑想を」ということで、私自身も励行しています。
以下、日々の瞑想を通して、私の心に上がってきた思いを掲載させていただきました。

「自分の中にすべてがある。自分の中に温もり、優しさ、喜びがある。心を自分の中に向けていけば、本当の自分が応えてくれる。」
これを自分の中に確信すればいいんです。いいえ、みんな確信できるようになっています。
だから、確信できれば、あとはどんどん自分の中に針を向けていけば、もう自分達はどんなに幸せであるか、どなたの心にも響いてきます。素直に自分の周りを感じてください。素直になって、自分の心の声を聞いてください。母の思いを感じてください。
何ということもなかったんです。幸せな自分がそこにいるだけです。ありがとうと言っている自分がそこにいます。私達は、その自分とともに存在していくことを学んできたはずです。
だから、すごい学びなんです。学ばせていただいたこと、いただいていることに、感謝、感謝しかないでしょう。
嬉しいから瞑想をします。幸せだから瞑想をします。
思いを向けることが、本当の喜びであり、本当の優しさなんです。

私達は愛に帰る、本当の自分に帰る道筋にあります。
これは絶対の真実です。このことをあなたの心で知ってください、感じてくださいということなんです。本当に心で知っていけば、感じていけば、すべてが整っていたことはつぶさに感じられます。
そして、みんな愛の中にあった、もともと幸せ、喜び、温もりのエネルギーとして存在していたことが自分の心で分かります。自分の心で分かるんです。自分の意識の世界でキャッチできるんです。それを実感してください。そうすれば、人生、すべては喜びです。自分という存在は喜びだということが分かります。
喜びの自分を苦しみの自分に変えていった愚かさ、無知を感じて、感じて、そして、そこから喜びの自分とともに存在していく道に、一分、一秒でも早く出会ってください。

「どのようにして生きていけばいいのか。何を求めて生きていけばいいのか。どうすれば心から幸せだと思えるのか。本当のことは確かにあるんだけれど、それはいったいどこにあるのか。何が本当のことなのか。」
自分の中の疑問が氷解していく過程をこうして歩ませていただいていることが、私には本当に嬉しいこと、喜ばしいことです。
自分の外に探し求めてきたものはみんな、泡のように一瞬にして消え去っていった数知れない体験があるのに、それでも懲りずに自分の外に求めていってしまう心癖を打破することは、確かに難しいことでした。しかし、不可能なことではなかった。針の向け先が間違っていることを伝えてもらったから、それを素直に実践していけばいいだけのことでした。
「本当のことは自分の中にある。自分の中に本当の自分がいる。それが愛と呼んでいるものなんだ。自分は愛とともに、愛の中にあるんだ。」
心を中に向ける瞑想、内なる田池留吉、本当の自分に合わせていく瞑想の時間を重ねながら、長年の疑問に、こういう解答を引き出していった現実を前にして、益々瞑想に磨きがかかります。
プラス、プラスに転じていく瞑想の手応えを感じています。

我は神なりの下らないちっぽけな世界から、自分を一日も早く解き放してください。自分を自由にしてあげてください。
自分の中の苦しみ、哀しみ、閉塞感等々の暗くて重いエネルギーに愛、優しい温もりをお伝えください。ともにあることをお伝えください。私達は愛だったとお伝えください。お伝えできる喜びと幸せを、満喫してください。
上からの目線では何も伝わりません。ともにあることを優しさと温もりの中で伝えているか、いつも絶えず自分の中の針の向け先を確認しながら、一歩、一歩、慎重に、しかし、しっかりと歩みを進めてください。

心を向けていけばいくほどに、ただただ嬉しい。思うだけで嬉しい。宇宙は待っているし、だから、宇宙に思いを向けると、どんどん応えてくれます。それが本当に何とも言えない喜びです。
真っ暗な中で彷徨い続けてきた自分に、私は、今、こうして温もりと幸せ、そして愛へ帰る、本当の自分に帰る喜びだけを伝えることができるなんて、これこそ奇跡としか言いようがありません。そして安らぎを感じます。
肉という形を持っている私がここにあります。肉というものは、今世だけでも、習慣とか慣習とかといったものに自分をはめ込んできたんだから、肉の自分の思いはとても小さなものです。
しかし、私は全くそれとは違う自分を知っているし、感じています。だから、私はすうっとその自分の世界を心に広げていくことができます。
そうすると、本当に違うんです。自分の中に奇跡が起こったんです。その奇跡が喜びとなって、温もりとなって現実に、今、私の中に広がっていく体験を瞑想の中で重ねていくことができます。
だから、瞑想は喜び。瞑想だけが真実の世界を伝える術でした。
形も、色も、匂いも、言葉も何もない。ただ思いが広がっていく。その思いは優しさ、温もり、広がり、ともにある喜びの世界でした。

本当のことを知るために、本当のことを自分に伝えるために生まれてきたんだと、自分の心で本当に知ったとき、何もかもうまく仕組んできたと思わざるを得ないです。
仕組む、それは自分の計画ですが、自分の中はみんな知っていた、知ってこうして肉を持ち、肉の環境を設定、整え、自分をいざなってきたんだと実感です。
そのエネルギーはいったい何だろうかと思うとき、ああ、本当の自分が自分をいざなってきたんだと心で思えます。だから、瞑想は喜び。瞑想をすればただただ幸せと喜びを感じます。
どんなに苦しい中にあったとしても、こうして自分に本当のことを伝えることができる今がある、こんな時を迎えられる今が私には何ともありがたいです。
肉から見る世界、意識から見る世界、全く違っていた。本当にすごいとしか言いようがありません。
そういうすごい心の体験を重ねられるということが、喜び、幸せです。
それは、目を閉じて、心を向け合わせていくしかないんです。肉を持たせてもらったから、学ぶことができました。だから、ありがとうしかありません。

母の思いが伝わってきます。たくさんの母から思いが伝わってきます。
ありがとうだけしかありません。肉を持たせていただいてありがとう。
ありがとうと言えることが幸せです。
見ること、聞くこと等、五官によって入ってくるものに、心が動かないはずはありません。しかし、心の針を向けて思うことを学んできたんだから、その振幅は驚くほどに小さくなっているはずです。
いつも、そして、ふっと自分の中に戻る大切さを学び、会得し、自分の中に戻れる幸せと喜びを広げていける、こんな人生ほど幸せな人生はないと私は思っています。

「喜んで、喜んで、ただ喜んでいけばいい。」
気に食わない人、気乗りのしないこと、気に染まないこと、気をもむこと、その他、自分を汚してきた諸々を山のように積み重ねてきた数知れない転生。どんなにしても幸せが分からなかった。どんなにしても喜びはすぐに苦しみへ変わっていった。けれど、なぜなのか分からなかった。
そして、今世生まれてきました。そして、学びに繋がりました。そして、基盤を変えることが、そのなぜの疑問に答えることであることを学びました。一生懸命に学びました。学ばせていただける環境を喜びました。みんな自分で計画してきたことだけれど、私は自分の人生に、今世、初めて満足しました。
今は、宇宙を思うことを励行しています。宇宙を思うということは、愛を思い、田池留吉を思い、アルバートを思い、母を思い、ふるさとを思うこと。
「思うことがすべてで、思えることがすべてで、そして、喜んで、喜んで、ただ喜んでいけばいい。」
このことは、正しい瞑想を継続、日常化していかないと自分の心で分かりません。だけど、正しい瞑想を励行していけば、いとも簡単に誰にでも分かることでした。
そして、それからが本当の学びでした。肉もない、名前もない自分の仲間達に呼び掛け、ともに存在している喜びと幸せを、温もりの中で伝えていきましょう。

私は、死後の自分を感じ、死んだらどうなるのか、今、はっきりと自分の心で感じていくことが大切だと思っています。
それが一番、これからの自分にとって、大きな意味を成していくと思います。それを心で感じ、心に広げ、そのことをどんどんどんどん、そうだ、そうだと心で感じていくことが、自分にとって一番大事なことだと思うんです。
自分の死後は、今、現実的なものです。死んで自分はどうなるのか。
心の中で感じ、それが現実のものとして今、心で感じられること、その感じたものをしっかりと受け止めて、それを、自分の学びのポイントとしていく、自分の歩みを進めていく、その思いはとても大切だと思うんです。
だから、私は、自分の死後を呼ぶ瞑想、自分の死後を感じる瞑想、自分の死後と語る瞑想、そういう方向に心を向けて、その時間をたくさん持ちたいと思います。

最初から幸せだったと心で感じている今でしょうか。瞑想は喜びとなっていますか。心を向ければ、ありがとう、嬉しい、幸せとなっていますか。宇宙に心を向けていますか。宇宙を呼んでいますか。宇宙の波動を心で受けていますか。宇宙と対話していますか。心の底から突き上がってくる体験はどうでしょうか。
異語を発していますか。どうぞ、宇宙と思い、愛と思い、異語で語ることをやってみてください。異語は波動です。異語は宇宙のリズムです。
異語を発して、自分の中の宇宙が反応していくことを実感してください。宇宙は生きています。あなたの中で、あなたとともに生きています。そういうことをどんどん感じられる瞑想の時間を持っていきましょう。
瞑想は楽しいです。瞑想は嬉しいです。ともにある喜びが感じられます。そんな瞑想の時間を重ねていけば、自分とは何だろうか、自分の周りの人達や出来事とは何、生きているとはどういうことだろうか、死ぬとはどういうことか等々の問いかけを、自分の中でしっかりと検証しながら、着実に歩める喜びを実感できると思います。

自分の身近な人で、学びに触れた人で、もうすでに死んでしまった人がいる人は、その人達に意識を向けて現状把握していくことをやってみられたらどうでしょうか。
同時に自分の死後、死後の自分を語ることをしていけば、よりいっそう今、肉を持っている今が、大切だと実感できるのではないでしょうか。
私は、そういうことを活用しながら私の勉強を進めています。
私の場合、愛犬の死も体験していますので、もちろん、そちらのほうにも意識を向けています。
結果は言うまでもありません。分かり切っていることを実際にやってみるのも勉強です。その違いは歴然としますが、そういうことも自分の勉強の一つに加えることによって、生きているということ、死んでいるということ、その境目はなく、みんな意識であるということが鮮明に心に響いてきます。
色々と自分で工夫して、瞑想を楽しんでいきましょう。自分を救うために生まれてきたんです。自分に本当のことを伝えるために生まれてきたんです。そこのところ、一日も早くスイッチを切り替えて、瞑想ができる生活環境を整え、喜んで今、学んでいきましょう。

正しい瞑想をするには、やはり母の温もりです。温もりの中にどんどん自分をいざなっていく優しさ、パワーがあると、確認、確信する体験を重ねていくことです。そうしていくと、段々喜びと温もりが大きくなって、さらに自分を受け入れていく喜びを感じます。喜びと温もりの層が厚くなって、さらに心の針が合ってくるということ、つまり、正しい瞑想ができてくるということでしょう。それはまさに相乗効果です。

何をするために生まれてきたのか。何かをしなければならなかったんです。その何かが全部、全く全部違っていました。そもそも、生まれてきて死んでいくまでが人生だとしてきたことが間違いでした。
何かをしなければならなかった。その何かを知りたくて、だけど結局分からずに、世の中という流れに流され、染まり、小さな幸せと喜びに満足せざるを得ない、あるいは失意のうちに幕を閉じていくか、そんなことばかりを繰り返してきたように思います。
神とか仏とか宇宙のパワーとか、そんなもので幸せと喜びを手中に収めることができると信じてきた己の愚かさに、ようやく今世の肉を通して出会え、自分を知らずにきた愚かさに懺悔しかありませんでした。
だから、「あなたは愛です」というメッセージほどすごいものはないです。そのメッセージを心で受け、波動を感じ、波動で応えていく瞑想の時間を持つ、持てるほどすごいものはないです。
死ぬまで元気で瞑想三昧。何かをしなければならなかった。その何かを心で知って、豊かな、本当に心からありがとうと思える時間を、自分の中に広げていきませんか。田池留吉の意識が三次元にやってきたから、それが可能となりました。私はそれを心で知り得ました。だから道は真っ直ぐです。

「すべては真実の自分に目覚めるために。愛である自分に目覚めるために。」
今のこの肉体を持って、学びに触れ、学びを進めてきた時間を朝の半身浴でふと思いました。
前記のメッセージのシナリオを自分に用意してきた現実を思い起こし、形として現れ、それを促し、また形は消えていき、その中でそのメッセージは忠実に遂行されてきたんだと感じられます。
日々瞑想を重ねていけば、本当に意識の流れは何の狂いもなく流れていて、その中にあったことに気付いていくようになっていることを感じます。
すごいと思いました。どんなに間違い続けてきても、どんなに苦しみ続けてきても、待ち続けて信じ続けている自分の存在に気付くように、気付くように自らを促している、そんなことが実感として心に響いてきます。
心の針を向けて合わせていく瞑想をしていればそれでいい。それだけ。私は本当にそう思います。愛、宇宙、田池留吉、アルバート、お母さん、それが私のふるさとでした。私のふるさとを思い、瞑想をするだけです。

幸せと喜び、温もりは自分の中にあった。それは本当だったんです。だから、心を向ければよかっただけでした。いつでも、どこでも、どんな時も、自分はその中にあったんだということでした。
こんな単純なことが、こんな簡単なことが、なぜ、長い、長い間、分からなかったのか。本当にそう思います。そして、分からなかったから、苦しい転生を繰り返してきたことも頷けます。
嘘みたいだけれど、本当です。心の向け先ひとつでした。ただそれだけでした。温もりと喜びの中で広がっていきます。

日々、生活のリズムが一定していて、そして、ありがとうの思いが自然に出てくる生活。そんな時間が過ぎ去っていく中で、ただ思うは意識の流れ。宇宙とともにある今を、喜んで、喜んで、ただひたすらに瞑想をします。
肉を本物として存在してきた転生の結果、ようやく宇宙という自分のふるさと、帰るべきふるさとを心に広げていける転生に出会いました。
宇宙を思うとき、私は本当に嬉しいです。異語で語り合える時間がたまらなく嬉しい。肉という形を纏った私の中で、宇宙達の喜びがつぶさに感じられます。私達は、温もりと喜びが湧いて出てくる世界にあったことを、確認しています。だから、瞑想は喜びだけです。
心を向けることが、どんなに素晴らしいことなのか、どんなにすごいことなのか。私の中の田池留吉、アルバートの意識とともに、この道を、ただひたすら真っ直ぐに前進あるのみです。
それが私の切望してきたこと。そして、意識の流れの計画。愚かな肉を携え、ようやく自分の計画を知っていく時間となりました。ありがとう。

posted by ユーティーエーブック at 19:52| 奈良 ☀| Comment(0) | 「愛、心のふるさと」(全7回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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