2016年05月03日

「愛、心のふるさと」第4回


「愛、心のふるさと」(塩川香世 著)、第3章「愛へ帰ろう。心のふるさと、愛へ」の前半部分の朗読です。
ページでは、87ページから124ぺージの部分になります。


Ⅲ 愛へ帰ろう。心のふるさと、愛へ

心のふるさと、愛へ帰ろう。
まだ、あなたの中に、この思いが響いてきていないかもしれません。
ただ、絶えず、どんな時もこの呼び掛けがなされているということは事実なんです。
だから、これから、色々な現象を通して、このメッセージがたくさんの人の心にストレートに響いてくる時がやってきます。
形の世界の総崩れと申しましょうか、まさに、すべてが根底からひっくり返るエネルギーが働いてまいります。ということは、人間の心の奥底に眠る闇が噴き出してくるということです。
愛はパワーなんです。愛は本当のパワーなんです。
パワーは、すべてを喜びに帰していく仕事をしていきます。
何が喜びで、何が幸せかということが分からなくなり、見えなくなってしまった人間の心の深部まで、ズバッと轟いていくような仕事です。
「心のふるさと、愛へ帰ろう。」
力強い呼び掛けは、あなたの中から発信されていきます。
あなたの中から噴き出してくる闇は、みんな、みんな自分達のふるさと、愛へ帰りたいという、心からの叫びだからです。
その叫びを、本当に受け止めていけるような人間になっていきましょう。人間復活と申しましたが、それが愛へ帰る大きな第一歩となります。
長い、長い、気の遠くなるような長い時を経て、ようやく、その第一歩を自分の中に踏み出すチャンスが、今のこの時間とご理解ください。
真実に触れた意識達の働きは、これから地球上に様々な現象をもたらしていきます。
異常気象しかり、人間の異常な行動しかり、心の闇の噴き出しは、もはや留まることはありません。
出して、出して、噴き出して、総崩れの中で、私達は何を叫ぶのでしょうか。
神を恐れながら、しかし、神に救いを求め、神のしもべとなってひれ伏してきた人間は、神には何の力もなかった、仏にも何の力もなかったと、最後は神、仏、何とかのパワーなどを、みんな自分の心から放していくようになっていきます。
しかし、そこに辿り着くまでは、それは、それは大変厳しい時間が用意されています。どこまでも、どこまでも闇黒の世界が、想像もできない闇黒の世界が広がっていくんです。
厳しい現象は、愛へ帰りたい、愛へ帰るんだ、愛へ帰ろう、の意識の目覚めを、どんどん起こしていきます。
闇をどんどん押し上げてくる喜びのエネルギーの噴出。
その喜びのエネルギーの存在に心から気付いて、本当に心で知るまで、闇はどんどん、どんどん噴き出していくでしょう。
中途半端ではいけません。徹底的に、自分の地獄を見ていく、知っていく必要があるでしょう。
もう十分に地獄は見てきた、知っていると言われる方も、いるかもしれません。
それは確かにそうかもしれません。しかし、これからは、これまでとは違うんです。これまでは、醜悪な地獄絵図の中に自分を落として、落として、さらに落としていくだけでした。全く真っ暗闇の奥底に沈んだままの状態で、その中でのた打ち回っていただけでした。
しかし、これからは、私達人間は、そこから自らを浮上させていく大きな転機をそれぞれに迎えるのです。
それは、今という時間を境にして、意識の世界に大きな変化があったからです。
意識の流れというものが厳然としてあり、それは粛々として大きな仕事を成しているとする目覚めがあったからです。

この世の地獄、これほど醜悪な、愚かしいものはない、辛酸をなめ尽くしてきた体験、経験は、実は私達の心の奥底に眠っています。
だから、みんな自分の心を見ていくことが嫌なんです。
基本的には、人間は、自分の心を見るということを拒否していきます。
ただ、どんなに拒否しようとも、そして、認めたくない自分の闇の世界であっても、これから、それはしっかりと自分の眼前に展開していきます。
だから、見ざるを得ないんです。そして、認めざるを得ないんです。
「心を見なさい。見ていくんです。しっかりと心を見なさい。」
そんな呼び掛けが自らの中から発信されていきます。
すべての存在が愛だからです。愛でないものは何一つないということを、心で知っていくように、これから現象界は、さらに大きく動いていきます。人間の心の奥底に眠る深淵な闇の世界。そこをみんなオープンにしていかなければなりません。洗いざらい出し尽くさなければなりません。
しかし、何も恐れることもなければ、憂うこともありません。
愛という本当の温もり、本当の喜びで、その世界をしっかりと抱き抱え、包み込んでいくように意識の流れは動いてまいります。
愛というエネルギーは確かに存在します。そしてまた、本当は闇の世界など存在しませんでした。
みんな、みんな愛だったと目覚めていくために、これからの時間が用意されていることを知っていきましょう。

「はじめに」のところでありました、偉人、賢人、愛の人など、どうでもいいんです。
それよりも、地獄に落ちてきた自分に、本当に優しく、どれだけ本当のことを伝えることができるか、心のふるさと、愛を伝えることができるか、そして、いかにして地獄にあった自分が喜びの自分に蘇っていくことができるか、本当の自分を取り戻すことができるかということです。
私達人間はみんな、それを成し得れば、それでいいんです。
私達人間はみんな、そのために、肉体を母にもらってきたんです。
何度も、何度も、自分の地獄と、地獄にいる自分と対面するために。
地獄、地獄と言っていますが、天国がないように、実は地獄などありません。存在しません。
あるのは、自分を知らない、愛を知らない冷たさ、愚かさ、無知、そんな自分の世界です。
それを地獄と言っています。
自分を知らないんです。自分がどんな存在であるか、全く知らずに、いいえ、それどころか、私達人間は、自分を捨て去り、切り捨て、見捨てて、偽物の自分を自分だと思い込んできたんです。これほど愚かなことはないではないですか。
しかし、これまで私達は、自分は立派だと、自分は正しいと、人間ほど素晴らしい存在はないと、豪語してきました。
そうしてきた結果、どうですか。
なぜ、いつまでも、いつまでも、戦争をしているんですか。人殺しをしているんですか。
愛する家族、友達を目の前で殺されて、互いに互いを傷つけ合って、なぜ自分達は正しいんですか。
正義を振りかざして人を殺していくんです。何が正義なのでしょうか。
人間は、神と呼びました。神の力を信じてきました。仏の加護があると信じてきました。
それでは、いったい神の力とは何でしょうか。仏の加護とは何でしょうか。
本当に神に力があるならば、本当に仏の加護があるならば、なぜいつまでも、戦火に逃げまどい、貧困に苦しむような生活を続けなければならないのでしょうか。
昨今の日本の国においても、異常な事件、事故が次から次へと起こっています。暗いニュースばかりです。そして、異常気象です。
色々な事が、まだまだ起こってくるでしょう。天候は不順になり、生活環境は、益々劣化していくでしょう。
そして、人間の心は荒んでいく一方です。自分を捨て去った心の中にある闇の部分が、これからさらに露わになってきます。
膿は全部吐き出さなければなりません。人間の心に巣食う深淵な闇は、目を疑い、耳を疑いたくなるほどのものです。
形の世界の総崩れを、私達人間はみんな体験していかなければならないようになっています。
自分に目覚めていくには、心のふるさと、愛へ目覚めていくには、それこそ、私達自身が作ってきたものを根底から覆すことが必要だからです。
形の世界の総崩れから、人間の心は何かを学び取っていきます。
「神はあるのか。仏は存在するのか。神、仏が本当にあるならば、なぜこんな阿鼻叫喚の世界が現実、自分達の前に広がっていくのか。
もしかして、神にも、仏にも、どこそこのパワーにも、本当はこの窮状を救う力はないのではないか。」
やがて、人間の心の中に、そのような思いが芽生えてきます。
それを、愛のエネルギーは見事に引き出してくれるんです。
「そうだ。そんなものに何のパワーもなかった。」
その事実をしっかりと、はっきりと自分の目の前の体験より心で感じ取り、学び取って、自分の中から、この答えを導き出していくことが、私達人間には絶対に必要です。一人ひとりが自分の中で気付いていくことが絶対に必要なんです。
そうでないと、人間の欲の賜物である神、仏、パワーの世界を心から解き放つことは到底不可能です。

どんなに時代が巡り、社会が変化しても、自分達の中に作ってきた神、仏、偽物のパワーの世界の言いなりになって、ただただ闇のエネルギーを垂れ流して、自らを苦しみの奥底に沈めてしまった状態に、何ら変わりはなかったというのが、これまでの私達の転生の数々でした。
間違った輪廻の中で、ずっと苦しんできたんです。自分を自分で苦しめてきたんです。誰が悪かったのでも、何が悪かったのでもなく、自分が無知だったんです。自分自身が間違った輪廻を繰り返してきただけのことでした。
しかし、この地球上に、今何十億の人達が肉体を持っているにもかかわらず、この事実には、全くと言っていいほど触れることはできていません。
それほど、人間の心は地に落ちてしまった、自ら作った闇黒の世界から抜け出せないでいるという現実を、まず知ってください。
自分の周りの現象から、自分の心が叫び出す思いを感じ取っていきましょう。
形の世界は一瞬にして崩れていくけれども、そして、それと同時に、形の世界の幸せ、喜びも一瞬にして消え失せてしまうけれども、決して消えないものがあるんです。
その決して消えない、色褪せないものがいったい何であるのかを、しっかりと見極めることなくして、明るい展望は開けてこないことだけは知っておいてください。
愛はすべての暗闇を一気に流していく力があります。真のパワーです。喜び、温もりこそが真のパワー。
これから、この地球に転生してくる人間達を待っているものは、過酷なまでの現象です。それでも、その現象は、愛に帰りたい、本当の自分に目覚めていきたい、目覚めていこうとする、心からの叫びが形となったものなんだということに全く間違いはありません。

私達人間は、母のお腹を通って生まれてきます。
体外受精だとか、試験管ベビーだとかの不妊治療の結果、肉体を持ってくる意識も確かに存在しますが、その意識達も、いつも、いつもそのようにして肉体を持ってくる訳ではありません。
そして、たとえ、体外受精であっても、母の子宮の中で、母の意識をしっかりと伝えてもらって、今度こそ、今度こそ、愛に目覚めていくんですよと、この世に出していただくという過程を経ていきます。
だから、肉体を持つということはすごいことなんです。そんなすごい体験を何度もさせていただいたにもかかわらずに、田池留吉という人が生まれてくる今世まで、私達はみんな地獄の住人でした。
数え切れない間違った転生を繰り返して、心の中には積りに積ったヘドロの如き闇。しかし、その自覚のないままに、長い、長い時間を経てきました。それが私達人間の実情です。
地獄の住人ということは、私達はみんな自分の中の愛を捨てた、つまり、自分自身を捨てたということです。
しかし、自分の中の愛を捨て去っても、母の意識は、私達に、愛に目覚めてくださいと、肉体をくれるのです。何度、裏切り続けようが、限りない優しさ、温もりで、私達を信じ待ってくれている、それが本当の母の思いでした。
その本当の母の思いに触れながらも、愛を捨てた私達は、なかなか、なかなか、その母の思いをストレートに受け止めることはできませんでした。聳え立つ己の意識は、繰り返し、繰り返し、母の意識を足蹴にしてきたのです。
これは、今のその肉体をくれた母に対して使ってきた心、出してきた思いを見てみれば、一目瞭然です。
母を見下し、母を恨んできた心、思いは、生まれてくるどの人の心の中にもしっかりと残っていました。だから、生まれてくるんです。生まれてくるということはそういうことなんです。
それが、にわかには信じられないと思うのならば、偉人、賢人、愛の人ということで、歴史上に名前を連ねた人達にも、自分を産んでくださった母親に対して、どんな思いを出してきたか、どんなエネルギーをぶつけてきたかということを、語っていただいたらいいんです。
世間で一応の評価を受けている人達が、いったいどんなことを語ってくるかということです。
もっとも、この作業については、あなた自身が、その人達の意識、波動をきちんと受信できるかどうかということはありますが、私達人間を含むすべての存在の本質は、意識、波動、エネルギーなので、本来はどなたもみんな意識と意識の交信ができるんです。
ただし、これは全部、自己責任だということをご了承ください。
自分の心の状態が不安定なのに、闇雲に意識の交信をしていては、互いに闇同士なので、闇のエネルギーをただ助長していくだけです。それでは、自分自身の末路が哀れな状態になりかねないので、その点は要注意です。
しかし、記したように、何度、裏切り続けようが、限りない優しさ、温もりで、私達を信じ待ってくれている本当の母の思いに触れ、その母の思いを心にしっかりと受け止めているならば大丈夫です。
どんどん、意識を向けて、そして自分の心で、現実を確認してください。

たとえば、あなたに、この人は偉い人なんだ、悟った人なんだ、あるいは立派な功績、業績を残して自分の人生の師として仰ぎ見ている人なんだ、自分もあのような志を立てていきたい、と思う意中の人があるとしましょう。
では、あなたはどうして、その人をそういう羨望の目で仰ぎ見るようになったのでしょうか。
その人と、あなたは直接に会って話をしたというのでしょうか。
中には、もうすでに死んでしまって、一〇〇年、二〇〇年、いいえ、一〇〇〇年以上の時を経ている人もいるでしょう。
もしかしたら、あなたは、その人を文献等で知って、つまり、そこで得た知識と、世間の評価と照らし合わせて、あの人は立派な人だと、自分の中でイメージを膨らませて、仰ぎ見ているだけなのではないでしょうか。
そこで、そういう一連の知識とか評価というものを、少し横に置いておいて、ということは先入観を持たずに、あなたの心をもっと柔軟にしていくんです。
柔軟というのは、いい意味、正しい意味において、あなたの心をもっと敏感にということです。
心を敏感にして、その人、たとえば立派な人だと自分が思ってきた人に思いを向けてみるんです。
そうすれば、その人の人となりとか、略歴とか細かいことは分からずとも、その人が、今現在苦しんでいるか、そうでないかが分かります。
もっと言うならば、そこからくる波動です。エネルギーです。それを感じてみましょう。
それは暗いのか、明るいのか。温かいのか、冷たいのか。荒々しいのか、穏やかなのか。
実は、そういうものを識別できることが、とても重要なことなんです。
重要であるとともに、そういうものを判断の基準にするべきなんです。
そこで、これまでに何度も書いてきたことを思い出してください。
私達はこの肉、見える姿、形が私達ではないということ、私達の本当の姿は、意識、波動、エネルギーであるということを。
その人を本当に知るということは、その人の流している波動、エネルギーを知るということになります。
目で見て、耳で聞いて、集めた色々な情報を基にしたところの世間一般の人物評価と、その人に実際に思いを向けたときに、自分の心に伝わってくるその人の波動というものに、大抵はギャップ、大きな隔たり、違いがあります。
これは、心が、いい意味、正しい意味で敏感であれば、本当はどなたにも分かることなんです。
そのあなた自身の心に伝わり響いてくる思いを、あなたの判断の基準にしてください。
そうしていけば、世間で一般に語られていることと現実は、本当に大違いだということが、世の中にはざらにあると自ずと分かってきます。
それでもあなたは、世間一般の評価を受け入れて、自分が偉いと思ってきた人を、これまでと同じように崇敬していくのでしょうか。
それは、あなたの自由ですが、そうするということは、その人の意識とともに、あなたの意識の世界もこぞって、地獄の奥底の底に真っ逆さまに落ちているということだと言っても、決して言い過ぎではありません。
だから、世間の評価はもういいんです。この世の中は濁流です。肉を本物とした中で、何をどのようにしようとも、真実の世界は見えてこない、明るい展望は決して開いてこないことを、しっかりと心に叩き込んでいきましょう。
それよりも、自分の心をしっかりと見て、何を間違えてきたのか、なぜ間違ってきたのかを知っていく方向に、自分のエネルギーを使ってください。そうしながら、思いを向けるということ、思うということの大切さを知っていきましょう。
自分の心はみんな知っています。
ただし、「心」といっても、ここで言う「心」とは、今、あなたが考えているようなちっぽけなものではありません。
私達人間の本質は意識、波動、エネルギーなんです。その世界は、無限に広がっていく世界なんです。
それを基準に、「心」というものを考えてください。当然、そこで言う「心」というものは、普段、私達が心の中とか、胸の内とかということで、イメージしている「心」というものとは、格段の違いがあることになってくるでしょう。

今、一つの例えとして、自分が尊敬する人、人間ですね、そういう人達に意識を向けていけばどうですかと書きましたが、たとえば、人間以外、犬とか猫とか鳩とか、木々、植物などにも意識を向けてみてください。
それらは語ってきます。波動を伝えてきます。
そして、それらの波動と人間の流す波動の違いはどうなのか、自分の心で感じてみてください。
たとえば、こんなのはどうでしょうか。
瞑想をしているとき、ふと海底火山という言葉が浮かんできたので、そちらのほうに意識を向けてみました。

私達の思いを感じてください。私達の出番を、今か今かと待っています。喜びで、喜びで私達は自分達のエネルギーを噴き上げていきます。
私達のエネルギーは愛のエネルギーです。この地球上に肉を持った意識達、肉を持たない意識達、すべてに次元移行を伝えていきます。そのエネルギーを私達とともに感じていってほしい、感じていっていただきたいと思います。
いたずらに恐怖して、自分を落とし込めることがないようにしてください。私達は愛に帰る喜びの道筋をしっかりと歩いてまいりましょう。
心の中を見つめてください。私達は海底火山。あなた方と無縁のものではありません。
かつて私達とともにこの海の底に沈んだ意識達、たくさん、たくさんございます。そして、その意識達が再び肉を持ち、このように学びに集っている現実もお伝えしたいと思います。
私達、海底火山の思いをお伝えします。ともに、ともに愛に帰る道をただひたすら歩いてまいりましょう。間違ってきた道を歩き続けてきた意識達の目覚めを促していきたい、促していこうとしています。
意識は確実に流れています。愛のエネルギーは確実に流れています。厳然としてあります。この大きな広がりのもとで、ただただ一つ。
愛に目覚める道を、ただただひたすらに歩いていきましょう。

また、社会現象の一つであるエボラウイルスに思いを向けてみました。

私達、エボラウイルスの思いを聞いてください。
私達が、あなた方を苦しみの奥底に陥れるはずがございません。
私達の本質は愛なんです。人間達の心の中には、私達の思いが届かないようになってしまいました。私達は恐れる存在ではございません。確かに私達は人間の命を奪ってしまうでしょう。そんな威力があるかもしれません。
しかし、私達は警告を発しているのです。苦しい、苦しい心の中を見てくださいと。
エボラウイルスに思いを向けたときに、私達の思いを心から受け止めてくださる人が、いったいどれほどいるのでしょうか。
私達は、ただただ憎まれものです。厄介者です。私達を消し去ることしか考えていません。なぜ私達が存在しているのでしょうか。
私達は愛なんです。人間の心の中に届いてほしい。この波動を届けたい。エボラウイルスは、私達の思いを聞いてくださいという思いの表れなんです。そうなんです。私達の思いを聞いてください。私達はエボラウイルスという形となって、ただただ思いを伝えたかったんです。思いを感じていただきたかった。苦しい、苦しい心の中を見てほしかった。ただただそれだけです。命を容赦なく奪っていくような存在、恐れられている存在ではありますが、私達の思いは全く違っています。
私達は愛でした。そのメッセージを伝えんがために、エボラウイルスという形になって、私達は警告を発しているんです。
心から、心からこの思いを受け取ってください。ああ、受け取ってください。エボラウイルスを恐れることなく、ただただ心を向けていただきたい。
優しい母のほうに心を向けていただきたい。苦しい中にあるのではなく、あなた方は愛なんですと、ただ私達はそのようにお伝えします。

このように、海底火山と思えば、海底火山が語ってきます。エボラウイルスと思えば、エボラウイルスが語ってきます。
そして、それらは、私達人間に必要なメッセージを伝えてくれているんです。だから、決して興味本位で、あるいは恐怖心で思いを向けるのではなくて、意識の世界の真実を学んでいくために、その時、その時の色々な社会現象に思いを向けていくことは必要だと思っています。そうです。思いを向けるんです。一瞬思ってみるんです。
そうしたとき、目で見て、耳で聞いて集めた情報、それを分析したものと、色々な社会現象にストレートに思いを向けて自分の心に響き伝わってくるものとは、全く相容れないことが分かってくると思います。
特に、これからの私達にとって、天変地異というものが大きく関わってきます。天変地異、それは、自然現象だけではなく、それを含む自分の内外を大きく揺らす現象と思っていただいていいと思います。
そういう、いわゆる天変地異という現象は、果たしてどんな波動を伝えてくるのでしょうか。
その波動を正しく受信できれば、いいえ、受信できるように、そして、それらの現象によって、自分の意識の世界は転機を迎えることができるんだ、それらは自分を大きく変えていけるチャンスなんだと信じていければと思います。ただ恐怖の思いにおののくだけでは……と思います。
私は、意識の流れに思いを馳せるとき、キーワードとして、「次元移行」という四文字と「天変地異」という四文字が浮かんできます。そして、それに関連して、「日本沈没」という四文字が浮かんできます。
もちろん、天変地異は、世界各地でこれからも起こってきます。地球は生きているんです。地殻変動、海水温上昇等々で、陸地が沈み、また新たな陸地が現れていきます。その中の一つの現象が日本列島沈没という現象です。
地球も意識ですから、これからこの星はどういう状態になっていくかを語ってきます。そして、そのことを通して、愛に帰ろうというメッセージを伝えてくれるんです。それは、形の上からは無残としか言いようがありませんが、すべては愛の中の出来事であり、決して、恐怖の坩堝に私達を陥れる出来事ではありません。
今、例として挙げた海底火山とか、エボラウイルス、また地球にしても、そこから感じられる波動が優しいんです。
はっきりと真実を伝えてきますが、根底にあるものは、喜びと温もりです。愛に目覚めよという毅然とした思いがしっかりと感じられます。
地球上の小さな島国、日本に、田池留吉という意識が肉を持って、本当のことを伝えに来てくれて、そして、私達もまた肉を持って学ばせていただいたことから、この日本列島に思いを向け、喜びで沈んでいく日本列島の思いを受けていきましょう。
その前兆現象は、もちろん、すでにあります。
とりあえず、あなたが今、生活をしている場の意識を受けてみてください。そうしたとき、あなたの心の中にどんな思いが出てくるか、天変地異のエネルギーをもっと身近に感じ、意識の流れにしっかりと思いを馳せてください。

先ほど、肉体を持つということはすごいことなんだと書きました。
自分が何を間違い、なぜ間違ってきたのかということを知っていくためには、私達には、肉体という形がどうしても必要でした。
見て、聞いて、日々、様々な情報に接することによって、心は揺れ動いています。揺れ動く心があると知ることがいいんです。
もちろん、その揺れは大きいときも小さいときもあります。穏やかな心地良い揺れを感じるときも、ドーンとその落差が大きいときも、それぞれの生活の中であるでしょう。
とにかく、心は絶えず動いているんです。つまり、私達は、絶えず思いを発している、エネルギーを流していることを自覚できればと思います。
そして、発する思い、流すエネルギーを確認していく習慣をつけてください。そうすれば、色々なことが自分の中で分かってきます。
目に見えること、耳に聞こえることによって動く自分の心。
苦しくとも、辛くとも、しっかりと見ることを励行していきましょう。
恨みや呪いや怒りの心、不平、不満、愚痴る心、見下し、羨望、諦め、牛耳る心、まだまだたくさんあるでしょう。
実は、それらのいわゆる闇、ブラックの思いは、次から次へと出してくれるのを待っています。それらは全部自分自身です。自分が肉だと思って転生を重ねてきた結果のたくさんの自分です。
今、肉体を持って、自分の中でそういうたくさんの自分を知っていけることは、本当に喜びなんです。
実は、それらの思いは、みんな、愛に帰っていくことを待っているんです。
だから、そう伝えてあげたら、みんな、ありがとう、ありがとうと、あなたの心の中へ返してくれます。
どんなに自分達のふるさと、愛へ、温もりと喜びの世界に帰りたかったか、あなたの今の肉体を通して、あなたがあなたに語ってくるんです。
それをきちんと受け止めていけるように、いい意味、正しい意味で敏感なあなたになっていきましょう。優しいあなたになっていきましょう。
今、持っている一つの肉体を指して自分だとするところから、自分自身を解き放してください。狭い小さな中に自分を閉じ込めないで、もっと、もっと開いていくあなたの心、あなたの意識の世界、あなた自身を知ってください。

瞑想をして、自分の存在理由が分かればいいではないですか。
瞑想をして、自分がなぜ生まれてきたのか、産んでいただいたのか、心に響いてくれば、こんな幸せな喜ばしいことはないでしょう。
肉、肉で形の世界を本物として活動している人達は、しっかりと生きているようで、本当はみんな彷徨っています。
そして、彷徨いながら、苦しみ続けながら、自分が彷徨っていることも、苦しみ続けていることも分かりません。知りません。全く無知な状態です。それは自分が死ねば分かるのですが、元気で活動している間は、自分の死は考えにくいものです。
天国、地獄があると聞いているから、死ねば天国に行くのか、地獄へ行くのかと、その程度で、本当に死んだ先はみんな靄がかかっている状態です。だから、今を刹那的に生きているという人が殆どではないでしょうか。
「苦しくて、辛くて、悲しくて、やるせないことが人生には往々にしてあるんだ。だからこそ、そういうことが自分の周りに起こらないように祈るし、願う」「幸せになりたいんだ」「人と人との絆を大切にして、今ある命を大切にしなければならない」等々。
小さく、小さく生きている人が殆どではないでしょうか。
その濁流の中に今いることをしっかりと確認しながら、あなたは愛を思う瞑想をしっかりと励行です。
「私は愛です」と中から響いてくる時間と空間を、しっかりと持てるようになってください。
「すべては愛。愛しか存在しない」と響き伝わってくる波動を、心で感じられるようになっていきましょう。
限りなく広がっていく中に、無数の自分が存在していて、その無数の自分とともに、ただひたすらに愛へ帰っていこうとする道を見つけるために、私達は過去何度も生まれてきたんです。数知れず母に産んでいただきました。
「愛に帰りたい」とする自分の思いに、そして、「愛に帰ってきてください」とする母の思いに、もう皆さん、しっかりと応えていきましょう。

自分の本質、愛のエネルギーを愚弄してきた自分が、その自分の本質の愛に目覚め、喜び、温もり溢れる自分に帰っていくためには、どんなに凄まじいエネルギーを垂れ流し続けてきたかを、本当に心の底から知ることが第一でした。
愛を知らない、捨てた私達、本当の喜びと温もりを捨てて、地の底に落ちた私達だったけれど、自分の作ってきた闇黒の世界が本当の自分に帰ろうと、必死になってもがき苦しんで叫ぶ思いを拾い、抱き抱え、包んでいけば、それらの闇黒の世界が放つ喜びと温もりから、本当の喜びと温もりを知っていくんだ、その喜びと温もりが、どんどん本当の自分を蘇らせていくんだということでした。
地の底に落ちてしまった私達は、そういう方法でしか、自分の本質に辿り着けないんです。だから心を見て、自分の出すエネルギーを感じていくことが、どんなに自分にとってすごいことなのか、まさにそれこそが究極の愛だと感じます。
どうぞ、正しい瞑想を重ね、自分の中の喜びと温もりを心から味わい、「私は愛です」という思いを深めてください。
自分の中から湧いて出てくる喜びと温もり、優しさを信じて、信じて、それだけを信じていきましょう。

私達は、真実の波動の世界を学ぶ機会を得ています。
波動の世界は言葉で表現できません。言葉で正しく伝えることはできません。だから、波動を正しく受信できるように、日々、正しい瞑想を重ねてください。
瞑想は喜びです。正しい瞑想を重ね、本当の喜び、本当の幸せ、本当の温もりを心に感じ、深めていきましょう。
本当に、瞑想で始まって瞑想で終わると言ってもいいほど、瞑想、瞑想、瞑想だけです。正しい瞑想だけです。正しい瞑想ができるように自分を仕向けていくことが、今、肉を持っているあなたの仕事です。
それ以外は、適当に、程々に、生活を楽しく営んでいけばいいだけです。力を入れて、エネルギーを注いで、肉体細胞を痛め付けてまで、肉の仕事をする必要はないんです。本当に心の向け先が合ってくれば、悪戦苦闘をしなくても、自分の生活は整ってきます。
巷では、困った時の神頼み、溺れる者は藁にも縋るといったことが堂々とまかり通っています。殆どの方は、いつまでも、どこまでも、外に、外に求めていくだけです。
その一方で、自分の中へ思いを向けていくことを学んだことは、それは、それはすごいことだと思います。自分というもの、自分という存在を、正しく認識していくための今なんだと分かれば、こんな幸せはなかったと痛感するでしょう。
日々、刻々と世界のあちらこちらで、様々な事態が起こっています。そこに渦巻く愛と相反するエネルギーが仕事をしています。しかし、その源は、まさに愛のエネルギーなんです。
私達みんながみんな、愛へ帰ろうという流れの中にあることを知っていくには、まだまだ、まだまだ、時間がかかるでしょうが、確実に、愛のエネルギーは仕事をしていることを、日々、起こってくる様々な事件、事故、出来事を通して伝えてきますから、自分の中へ、中へ思いを向ける瞑想の時間を大切にしてください。

posted by ユーティーエーブック at 10:01| 奈良 ☁| Comment(0) | 「愛、心のふるさと」(全7回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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