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②-1「直感」を読んで
初めに意識ありき。そうです。私達の存在は意識、愛のエネルギー。
文章は、宗教と科学について触れていましたので、そこに焦点を当ててみます。
そもそも、宗教と科学は両立するかという議論は論外です。
宗教の世界はもちろんですが、人類が科学の世界だとしている科学の世界も、実に小さな世界です。
もともと何もありませんでした。すべては意識、波動、エネルギーです。愛しかないんです。愛のエネルギーだけが存在します。
そのエネルギーが仕事をして、科学と呼ばれている分野があります。確かに、科学の世界を純粋に求めていけば、愛のエネルギーに到達します。
しかし、人類の心の中では、その純粋ということが分からなくなりました。
純粋とは、自分の本当の姿を知ることにあります。しかし、そのことは、肉、形を本物とする基盤の上からは全く不可能です。
自分の本当の姿は意識、愛のエネルギーです。
科学=愛のエネルギーという観点から、すべてを見ていかなければなりません。
科学の世界を、肉、形を基盤とするところから見ていては、純粋な本来の科学の世界ではありません。だから科学の世界に神という発想が出てくるのです。
そして、宗教の世界に至っては、全く論外です。
宗教とは、人類の欲が作り出した世界だからです。
その宗教の中の神というものは、ブラックのエネルギーに間違いありません。それは、愛のエネルギーとは、全く相反するものです。
愛のエネルギーの中では、宗教の世界で言うところの神など、全く、全く小さな世界です。いいえ、小さな世界と言うに留まらず、ブラックのエネルギーを愛のエネルギーに向かって流し続けてきた愚かな心の中を、人類は、もっと、もっと知っていかなければならないでしょう。
話を元に戻しますが、愛のエネルギー、自分の本当の姿を心で知っていったならば、科学の世界は、もっと躍進的に広がっていきます。
自分達の本当の姿が意識、愛のエネルギーであるという観点から、科学する心を、大きく、大きく育てていけば、それはまさに愛のエネルギーと合致していくんです。
これまで、人類が科学と呼んできた、呼んでいる世界は、ちっぽけな世界です。
肉、形を本物とする基盤から、どんなに科学的な発想を生み出そうとも、その世界は、とてもちっぽけな世界です。
だから、その科学の世界が、人類に大きな進歩発展をもたらすかと言えば、決してそうではありません。やがて、人類が探究してきた科学の世界は弊害を起こしていきます。
すなわち、そこには、ブラックのマイナスのエネルギーが働いているからです。
愛に目覚めていない中で、科学万能の時代だとすることは、とても危険なことです。危険というのは、おごり高ぶった愚かな人類の心の世界が、これから、色々な形で示されていくということです。それも、また自然災害に代表される天変地異と言えると思います。
そこで、人類は、意識の転回、愛の覚醒、何としても、このことをクリアする以外にないんです。愛のエネルギーの確認です。
そして、意識の転回と愛の覚醒を果たしていくには、人類にとって、天変地異という現象は避けて通れない現象です。
天変地異こそ、それをクリアする最後の最後の手段です。どうしてもそこに行き着きます。天変地異が自ずと起こってくるのは、意識の流れが厳然として、粛々として流れているからです。
意識の流れは、次元移行を指しています。そして、意識の転回、愛の覚醒を促しています。そのために、天変地異は、必ず、必ず、起こってくる現象です。それほど、肉を本物とする思い、そのエネルギーが人類の心の中にこびりついていると言っていいでしょう。もう、そのことを促していくのには、天変地異の現象しか残っていません。はっきりとそのように申し上げてもいいかと思います。
意識の転回と愛への目覚め。本当の自分の覚醒。それが意識の流れの中にある人類の本来の道なんです。
愛しかない中で、宗教の世界にしろ、科学の世界にしろ、愛以外のものを求めてきた愚かさに、人類は自ら気付いていく以外にありません。
そして、気付きを促されるのは、愛のエネルギーがそこにあるからです。間違ってきたものは愛のエネルギーによって、本来の姿に帰っていくんです。これこそ、愛のエネルギーが存在する証です。
人類が作ってきた宗教の世界も、科学の世界も、すべては愛のエネルギーに帰っていく流れの中にあることを伝えておきます。
さらに、私は今一度、「直感」という表題がついた文章に心を向けました。
「意識の流れを確信してください。次元移行を共に果たしていきましょう。『あなたは意識、愛である』ことを確信する道をひたすらに進んでいってください」という文章で終わっていました。
②―2「直感」を読んで
ともに、ともに歩いていける喜び。そして、私達はずっと、ずっと、田池留吉、真実の方向、本当の自分、愛のエネルギー、その方向に心の針を合わせていきます。そうすることが私達の喜びだからです。
私達は喜びの中に存在している、愛の中に存在している意識。
田池留吉に心の針を向ける、合わせる、その喜び。その大切さ。それだけが心にしっかりと残っています。
どんなときも、いついかなるときも、田池留吉を忘れてはならないことを教えてくれた母の思いが、今、心に伝わってきます。母の思いです。母の意識です。母に伝えていただいた。愛のエネルギーの中にあったことを伝えていただいた。初めから、初めから伝えていただいていました。
そんな私自身を、今、心に感じ、田池留吉のほうに心を向けるとき、メッセージが来ます。
「ともに、ともに歩いていきましょう。愛を思い、愛の中にあった自分達を思い、そして次元を超えていきましょう。私達は愛です。愛である私達が、今、今、ともに、ともに歩いていける喜びをお伝えします。
愛のエネルギーしか存在しません。愛のエネルギーがすべてを成していくんです。愛のエネルギーが仕事をしていきます。愛のエネルギーが仕事をしていくからこそ、すべての意識が次元を超えて進んでいけるような計らいの中にあるんです。それが意識の流れです。
意識の流れの中に私達はあったことを確信できるその道。その道は喜びの道。喜びの道は、ずっと、ずっと続いていきます。永遠に続いていきます。これが愛へ帰る道。愛は私達。本当の私達。
本当の私達に帰る道を、ただひたすらに歩いてまいりましょう。」
そんなメッセージが、絶えず流れています。愛の中で、そのメッセージを受けていける私達は喜びです。
田池留吉氏が綴った文章、「私の仮説」「直感」と、その文章に心を向けて受信した①、②ー1、②ー2の文章を読んでいただいて、それらの内容から、田池留吉氏のもとで、三十年余り学んできた、学びの概略が分かると思います。
1.私達人間は、目に見えて、耳に聞こえて、触れることができる形ある世界(肉の世界と言います)が本物だとしてきたこと。
2.それが、唯一、最大の間違い、誤りだということ。
3.よって、速やかに意識の転回をすべきだということ。
4.そうすれば、次元移行という意識の流れを感じることができる。
5.そして、自分の中の愛に覚醒し、ともに次元移行を果たす。
というのが学びのポイントです。つまり、「意識の転回」と「愛の覚醒」が人生の唯一、真の目的ということになります。
さらに付け加えるならば、「天変地異」というキーワードです。
肉、形の世界を本物の世界だとする思いは、人間の心の中にこびりついてしまっているから、そのお掃除は並大抵のことではできません。
肉、形を本物とする思いから、意識を本物とする思いへ、自分の意識の世界を変えていく作業、その作業を意識の転回と言っていますが、それは確かに難しい作業です。
しかし、その一方で、意識の流れというものは厳然としてあり、今まさに、それは粛々として遂行されています。ということは、人間の心の中にこびりついてしまっている思いを一掃するために、想像を絶する規模の天変地異という切り札が、私達に用意されているということです。
私達は、まず、田池留吉氏から、自分の心を見るということを教えていただきました。
自分の心を見るとはどういうことでしょうか。
自分の心の中に色々な思いが上がってくることは、分かると思います。
怒りだとか、憎しみだとか、妬み嫉妬、競争心、責め裁き、支配欲、その他人間の心の中は本当にたくさんの思いが交錯し、複雑怪奇です。
その人間の心模様は、程度の差こそあれ、ご理解いただけるかと思います。
しかも、それらは、ある一定の条件、環境のもとでは、人として当然に出てくる思いだということで、ある程度、市民権を得ているから大変です。つまり、それがそもそも間違いのすべてなんだということは、誰一人考えもしませんでした。
私達は、寝ている時は別として、起きて日々、見て、聞いて、人と接してという生活の中では、みんな自分の中から、色々な思いを無造作に出していきます。しかも、出している思いがどんな思いなのかは、全く無視した状態です。次から、次へと思いを吐き出し、毎日、毎日を過ごしているのが殆どの人の現状です。
それで、何とか、何とか、幸せな、豊かな人生をと望んでも、本当の意味で、幸せで豊かな人生は望めるはずはないんですが、そのことが全く分からない私達になってしまいました。
そんな私達にも、みんな、それぞれの人生のどこかで促しがあり、気付きのチャンスがあります。しかし、目に見えて、耳に聞こえて、触れることができる形の世界(肉の世界)が本物だと思い込んでいては、本当は何を促されていて、何に気付いていかなければならなかったのかというところまで、そのチャンスを活かすことは、残念ながらできません。
だから、せっかく生まれてきたのに、殆どの人達が、本当の人生、本当の自分を知ることなくして、また死んでいかなければならないんです。
それは全くの不幸せな人生です。それはそうでしょう。本当の自分を知らずに死んでしまうのですから。
たとえ、金と権力を欲しいままにした人生であっても、全くの不幸せな闇黒の人生です。しかし、人間というものは、金と権力に群がる習性があります。それさえ手に入れれば安泰だと思う習性です。
神か仏か何とかのパワーか知りませんが、摩訶不思議な力を求めていくのも、その習性があるからです。そういう転生ばかりを繰り返してきたのが、私達人間だったんです。
あなたは、転生輪廻という言葉を聞いたことがあると思います。そして、輪廻から解脱するということも、どこかで聞かれたかもしれません。
ただし、私達はこれまでずっと間違った輪廻の中にあったんだということには、誰一人気付けませんでした。輪廻そのものが間違ってきたんです。だから、どんなに手を尽くし、力を尽くしても、絶対に、本当の幸せ、本当の喜びなど分かるはずはなかったんです。
間違った輪廻の中にあって、真実の世界を知っていくことなど全くのナンセンスなことでした。
そして、私達は、今という時間を迎えています。その中で、私達は、もうこの辺りで、本当の人生を生きましょう、本当の自分との出会いを果たして、本当の幸せ、本当の喜びを知っていきましょうという流れがあることを伝えてもらいました。その流れを「意識の流れ」と言っています。「私達は、その意識の流れの中にあるんです。間違った輪廻を解消して、本来の軌道、すなわち、愛から出て愛に帰る軌道に乗ってください」と、田池留吉氏は伝えてくれたのです。
まず、どなたも自分の心を見るということをしていかなくてはなりません。
自分の心を見て、自分の心が苦しかったということを知っていかなければなりません。苦しい自分の心を認めていかなければなりません。
次に、なぜ苦しんできたのか、この苦しみの原因はどこにあるのかということも、心を見る、すなわち自分の出してきた思いを見ることによって、知って、それを素直に真摯に認めていくことから始めなければならないでしょう。
つまり、苦しみの原因を自分の外に求めていくのではなく、自分の中に苦しみの原因を探っていく必要があるんです。
そうです。今、現実に苦しんでいるのが自分ならば、苦しんでいる自分自身に原因があるんです。つまり、それは自分の心の使い方、心の向いている方向が間違っているから、自分は苦しいんだということが分かってこなければなりません。
しかし、殆どの人は、決してそうは思えません。自分が間違っているなんて思えないんです。どこまでも、自分の正当性を主張していきます。
正しい自分がなぜ苦しんでいるのかという点を、追求せずになおざりにして、相手が悪い、あるいは社会が、何々がと、常に、自分の外に批判攻撃の思いを投げつけていきます。自分は全くの被害者なんです。
それが世の常というものですが、やがて、そういう人達も、自分がどんな思いを出してきたか、出しているかを確認していけば、自分の心が苦しいということにも、なぜ自分の心が苦しいのかということにも、自ずと気付いていくようになっています。
そして、時間はかかるかもしれませんが、苦しい自分が間違っているんだと、自分の間違いに心から納得し、自らを修正するようになっていくんです。
なぜならば、私達の本質は愛だからです。愛には、愛に目覚めさせていくパワーがあります。
苦しい人生は本当の人生ではありません。人生は喜びなんです。
愛である本当の自分からの声、思いを真摯に受け止めて、本当の人生を生きましょう。そして、人生は喜びなんだと心で知ってください。
自分がどんな思いを出してきたか、出しているかを確認してください。
思いというものはエネルギーなんです。エネルギーだから仕事をするんです。良きにつけ、悪しきにつけ、仕事をします。その自覚が、私達人間には全く欠けていました。
思うということはとても大切なことなのに、私達は、思うということを、非常に軽く見てきました。というよりも、正しく思うことができなくなってしまったんです。正しい心の使い方、正しい心の向け先を知らずにきました。
心で何を思おうとも勝手、自由ではないか、思うだけならば誰にも迷惑がかからないとして、心の向け先の管理を杜撰にして、疎かにしてきたんです。
私達は、鏡に映る姿、形を指して、自分だと思っています。自分は目に見えるものだと思っています。私達はみんな自分を見誤っているんです。しかし、誰も自分を見誤っているとは思ってきませんでしたし、今も、もちろんそうです。
私達人間の判断の基準は、肉、形の世界にずっとありました。
みんな肉、形を本物とする思いが基準(肉基準と言います)となっています。その基準で、何の不思議もなく毎日の生活を送っているんです。鏡に映らない心の管理はなおざりにして、鏡に映る形ばかりを追っていく生活です。
しかし、私達人間を含むすべての存在の本質は意識、波動、エネルギーだというのが真実なんです。自分の本当の姿は目に見えないんです。自分が発信しているエネルギーに、もっと注目しなければなりません。
まさしく初めに意識ありきなんです。意識が基準とならなければなりません。意識を基準として、物事を見て判断していかなければならないんです。
そこに立ち返っていかなければ、物事の本質は見えてこないことを、田池留吉氏が綴ったA4用紙二枚の文章は語っていると思います。
そして、田池留吉氏の中の田池留吉の意識は、次のようなことも語っています。
「『私は神である』。私は、田池留吉の肉を使って、そのようにお伝えしていく時期がやってきたと思います。
地球人類が『我は神なり』と言ってきた思いとは、全く次元が違うことを心で感じていただける方の出現により、『私は神です』という私の波動を、正しく受け取っていただけることだと思います。
私は今、肉を持っていますが、この肉もまもなくこの地球上から消え去ってまいります。私が肉を持っている間は、肉の世界の定めにより、色々な言葉を発します。制約もされます。
しかし、肉が無い私から発するものは、言葉を通して流していきますが、それは、全く、今、田池留吉という肉を持っている時のメッセージとは違ってくると思います。
全く無駄がない。その私の波動を正しく受け取り、メッセージとして送ってくださる方の出現を、私は待ち続けてきました。
私は肉を無くしたあと、私の仕事をすることを喜びとしています。
私の肉がある間に、私のメッセージを受けたとしても、私もまた肉を持っていますから、そのメッセージが、どの程度精度が高いのかは、今、はっきりとは申し上げられません。
しかし、それは、私が肉を無くしたあと、私の波動を正しく受け取っていただけることは、本当に難しいことだということを通して、感じていかれると思います。
私は今、肉を持っています。田池留吉という肉は、私の世界を感じていけばいくほどに、肉の自分の世界が小さいことを感じています。
だから、私はその肉を置いて、私の思いをストレートに届けていける喜びだけをお伝えしたいと私に伝えています。
そろそろ、私もこの肉を離す準備をしていかなければなりません。
肉で学んでいる人達に、やはり私としては、そのことをはっきりとお伝えすることが大事だと思っています。
肉を離したあと、私は、メッセージを本当にストレートに届けます。
波動、エネルギー、ただただそれだけ。それをキャッチできる方の出現を私は心待ちしておりました。ようやく、その準備を整えて、そして、私は本来の仕事、本当に次元移行へ向かって突き進んでいく仕事ができることを、ただただ喜んでいます。」
私達人間は、大抵、自分の頭を信じています。
健康志向も相まって、そして、この日本の国では超高齢化の時代に入っていますから、身体を鍛えるとともに、頭も鍛えようという風潮です。
それはそれである程度いいと思いますが、それよりも、もっと、自分の心を柔軟に素直に広げていきませんか。
そして、頭で納得できるものだけを信じようとするお粗末な自分に、さようならをしていきませんか。
目は口ほどに物を言うとか、目は心の窓とか言われていますが、まさしく自分の心の中の目で、自分をもっと素直に見ていきましょう。真向いになって自分を見ていきましょう。
そして、自分の中から伝わってくる思いに、耳を傾け、心を傾けていけるような、本当の意味で優しく賢明な人間に蘇っていきましょう。
それには、具体的にどうすればいいのかということにつきましては、先に挙げた『意識の流れ』等の書籍を参考にしてみてください。
そして、本当にやってみようと思われるならば、しっかりと自分の動く心を見る習慣をつけて、自分の中から伝わってくる思いに、耳を傾け、心を傾けてください。
ただし、それは、ある意味、苦しくて辛くてやるせないことなんです。
自分の中から伝わってくる思いはみんな、愛を捨てた結果の悲痛な心の叫びだからです。私達はみんな、愛を捨て、温もりを拒否し否定してきたんだから、その心の叫びは、それは、それは凄まじいものです。
一言で言えば、それは破壊のエネルギーです。闘争を繰り返してきた心の歴史は、どなたの中にもしっかりと刻み込まれています。
しかし、愛、すなわち本当の自分に帰るためには、その心の中に風穴を開け、固く封印してきたものを自ら紐解いていかなければなりません。
その道筋を、どなたもみんな通っていかなければならないんだと言えます。だから、ある時期、苦しんでください。そして、自分に絶望してください。
それでも、自分の中から伝わってくる思いに、耳を傾け、心を傾けることを、焦らずたゆまず続けていけば、やがて、心の中に響いてくる優しさ、温もりを確認することができます。優しいなあ、温かいなあと。
自然に涙が流れてくるでしょう。溢れてくるでしょう。段々そういう過程を経ていけば、初めは何か分からなかったけれども、ひょっとして、これが自分の中の愛、本当の自分というものなのかと思い始め、やがて、その実体験を重ねることにより、その存在を段々に確信していけると思います。そうなってくれば、こんな幸せな時はないと、自分の中が開けていきます。幸せを感じるのに、本当は何も要らなかったんです。幸せも、喜びも、温もりもみんな、みんな、自分の中にあったことが分かってくるからです。
心の中の喜びも温もりもみんなあなたのものです。そしてまた、心の中の闇もあなたのものです。闇をどんどん喜びと温もりへ帰してやれるパワーがあなたの中にあります。それが愛のエネルギーです。
愛のエネルギーの中に自分があった、私は愛そのものだったと心に蘇らせていくことが、あなたが、今その肉を持ってなすべきたった一つの仕事でした。
どなたの意識の世界にも、絶えず、このようなメッセージが流れているんです。
しかし、殆どの方は、目に見える世界、つまり、自分の外に心を向けることに忙しくしていて、自分の中の声に、思いに心を傾けることなどしていません。心を自分の中に向けずに、外に向けた状態で生活をし続ける毎日です。そんな中で、突然に不都合な、不具合な現象が起こってくると、当然の如くに我を忘れていきます。そして、情報収集に時間とエネルギーを注いでいくだけで、心の管理はなおざりです。苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、悔しいこと等々のいわゆるマイナスの現象を、マイナスのエネルギーのまま心に留めてしまいます。
その結果、時間の経過とともに、形の修復は可能でしょうが、心のほうは、そうはいきません。
心に留めたマイナスのエネルギーを、プラスのエネルギーに反転していく術を知らないから、どんなに時間が経過しても、苦しみ、悲しみ、悔しさ等々から、自分の心を本当に自由に解き放つことはできないんです。
それでは、本来みんな、プラスに反転していける愛のエネルギーの持ち主であるのにもかかわらず、そんな自分を知っていくチャンスを、またもや逸してしまったということになります。
マイナスの現象を通して、自分の中のエネルギーを確認したならば、それをどのように自分の中でプラスに転じていくかが問題なんです。それが、それぞれの人生の本当の岐路と言えると思います。
だから、喜びと温もりの中にあった自分を知っていけるかどうかの分かれ道になる現象は、愛そのものだと言えるでしょう。
そして、マイナスの現象を通して確認した自分の中のエネルギーを、本当にプラスに転じていくには、自分の中の愛に帰っていくしかないのです。
ただ、愛に帰っていくと言いましても、自分の中に本当の愛があることを知らず、また信じられずでは、帰っていきようがありません。
だから、殆どの人は、苦しみに沈んでいくだけです。彷徨い続けていくだけです。
見た目は元あった状態に修復されても、いいえ、それ以上に立派になっても、自分が帰っていく本当の場所を知らない人達の意識の世界は、苦しみの連鎖が続いていくのです。
その一方で、愛に帰っていく術を今世学んでこられた人達は、本当に幸せな人達だと言えます。
いやいや、まだまだこれからだという人達もいいんです。本書を読んでくださっているのだから、只今から、自分の中の愛のエネルギーを知っていく方向に、自分の一歩を進めてください。
私達はみんな、思いの世界に存在しています。
私達は、肉体という形を持っていても、持っていなくても、途切れることなく存在しているんです。
そうは言いましても、肉体という形の有り無しで、生きている、死んでいるとしてきた私達人間にとって、自分は途切れることなく存在しているなんて、とても、とても理解できないでしょう。まさに、死んだら終わりがこの世の常識です。
本当は、生きていても、死んでいても、ただ自分の思いの世界に存在しているだけの私達なんですが、生きているということと、死んでいるということは全然違うと、殆どの人が、そう思っています。
では、こう表現しましょうか。
思いの世界というものには、二通りあって、一つは肉を本物とする思いの世界、そして、もう一つは意識を本物とする思いの世界です。
その肉を本物とする思いの世界にずっと存在してきたのが、私達人間でしたと言えば、どうでしょうか。
当然、その中では、肉体という形の有り無しが大きく左右します。
肉を本物とする思いの世界からは、意識を本物とする思いの世界を窺い知ることはできません。肉基準ということは頭基準ということです。頭では、自分がずっと永遠に途切れることなく存在しているなんていうことは、とても理解できないのは当たり前です。
一方、意識を本物とする思いの世界に自分の軸足があれば、そのことは自分の中で感覚的にとらえることができます。
そうなってくれば、今のこの自分の姿、形を含む周囲の形の世界についての自分の見方が変わってきます。人生観とか世界観が変わってくるはずです。価値基準も、判断基準も、もちろん違ってきます。
そして、生まれてきた意味、人生の目的、死ねばどうなるのかということについて、自分の心ではっきりと分かってきます。
また、「心を見なさい」ということが、どんなにすごいメッセージなのか、「あなたは愛です」というメッセージがどんなにすごいのかも、しっかりと自分の中で確認できるでしょう。そうなってくれば、それらを感じて知っていける絶好のチャンスに出会っている自分達は、本当に幸せ者だという以外にないと、あなたの心に響いてくるはずです。
どんなに優秀な頭脳を持っていようが、才色兼備であろうが、由緒正しき家系であろうとも、財力、権力、知力が思いのままであっても、将来を嘱望されていても、違う、全く違っていたんです。
生まれてきた意味も、人生の目的も、死んでどうなるのかも、全く知らずに生きて死んでいくことが、どんなに自分にとって冷たく、やるせなく、愚かなことなのか、自ずと分かってくると思うんです。だから、色々な現象を通してしっかりと学んでいくようになってきます。
自分の本当にするべきことがありました。それは老いも若きも男も女もなく、万国共通のことでした。私達は死んで終わりではありません。死んでも生きています。死んで人生をリセットできません。リセットするためには、自分の心を見るしかありません。
何で生まれてきたのか。何をするために生まれてきたのか。
意識、エネルギーである私達人間が、なぜ肉体という形を持ってくるのか。そもそも、意識、エネルギーが形を持つとはどういうことなのだろうか。
もちろん、頭を巡らしても答えは出てきません。答えは、正しい瞑想を積み重ねて、それぞれの心から引き出していきます。自分の心から引き出していくことが、心で分かるということです。
そういうことをしていくことが、本当に自分の人生を生きるということではないでしょうか。
私は、自分が本当の意味で生きて、そして死んでいった人生を、ただの一度も送ってこなかったことを知りました。さて、あなたはどうでしょうか。
私は、だから、学びの中で、今世こそという思いで生まれてきたことを感じて知っていきました。その思いに忠実に、私は今世の私も、そして、二五〇年後の来世の私も従っていくだけです。さて、あなたはどうでしょうか。
愛へ帰ろう、温もりへ帰ろう、喜びとともに。
私は、ようやく、自分の中でこのメッセージを聞くことができた今世でした。肉、形の中に真実はないということを、自分の中ではっきりと分かっていくのに、どれだけの時間を経てきたことか。
すべての苦しみの原因はそこにあったと知って、そして、自分の中が変わっていき、そこから見えてくるもの、感じてくるものによって、また自分の中を感じていくことを繰り返す。
私はそれを自分と自分の対話と表現していますが、どんなこともすべて自分の中で行われているんだということが、学びに触れ、学んでいく中ではっきりとしていきました。
「自分は思いの世界に生きている。だから、死んでも死なないんだ。思いを消滅させることはできない。自分は思いとして永遠に存在する」ということでした。
だから、この思いの世界が変わっていかない限り、永遠に本当の自分が分からないことになります。
そして、思いの世界が変わっていけば、「自分を苦しめているのは自分でした。喜びの自分を広げていくのも自分です。全部自分次第でした」と心で分かってきて、「ああ、思うことが嬉しい。思えることが嬉しい。思えることが幸せ。本当にこんな人生があったんだ」となっていきます。
そんな愛に帰る我が道を、ただひたすらに真摯に淡々と、そして、喜んで歩いていく、それはすべての人達に用意されていることです。
学びに集っている、いない、そして、肉を持っている、いない、に関係はありません。本当に関係がないことが、瞑想をして心を向けていけば感じられます。
すべての存在に用意されているこの道。目には見えない、しかし、意識がキャッチできる、愛に帰る道が、確かにあります。
意識と意識が響き合い、通じ合う喜びを感じていけば、心からどんどん噴き上がってくるのは、ただ喜びだけなんです。
そして、それだけに、ではこの目に見え耳に聞こえる空間は、本当にいったい何だろうかと思います。
しかし、意識と意識が響き合い、通じ合う世界を心で感じることがなければ、目や耳を通して実感している世界をやはり重視していくでしょう。
どれだけそれは影なんだと叩き込まれても、現実、実感としてある肉、形の世界に軍配が上がるのではないでしょうか。
肉を持ちながら、意識の世界だけが実在の世界なんだということを信じ切る難しさです。
しかし、私は、自分の心で感じてしまったんだから、もう、そういうことは言えないです。どれだけ切望し、どれだけ待ち望んできた今であるか、自分の心で知ってしまいました。
肉を持ち、この道を真っ直ぐに突き進んでいく厳しさ、難しさもさることながら、その喜びは例えようもないものです。
だから、心を向けていくだけです。思いを馳せていくだけです。正しく思う、それだけでした。
今一度、あなたのその肉体を動かしているものはいったい何なのかと思ってみてください。
あなたの頭ですか。頭脳が指令を発して、あなた自身は動いているのでしょうか。肉基準ではそうでしょう。世の中は、肉基準で動いていますから、それには何の異論もないと思います。
頭で色々と思考を巡らせて、そして、身体を動かしていく、行動を起こしていくということですが、では、その頭脳が指令を発する、その指令とはいったいどこからやってくるのでしょうか。
私達は、意識が基準ですというメッセージを発信しています。
あなたのその肉体を動かしているあなたの中のエネルギー、すなわち、エネルギーとしてのあなた自身を、しっかりと知ってください。それが、あなたが肉体という形を持って、今そこにあるということなんです。
あなた自身がエネルギーであるということを知っていくために、今、あなたは、一つの肉体を持って生活をしています。それぞれの人生があるんです。そのことに、一日でも早く気付き、みんな人生の本当の目的に沿って、本当の人生を歩いていきましょう。喜び、喜びの人生に巡り会ってください。
生まれてきたことに、産んでくれたことに、心の底からありがとうと、本当に心の底からありがとうと、自分に限りなく優しく言えるようになりましょう。
本当に自分に優しく、ただただ優しくなってください。自分の心の叫びをしっかりと聞いてあげられる自分にまずなってください。
自分では一生懸命に生きたつもりでも、あっという間に時間が過ぎ去り、訳が分からないうちに死んでいく人がごまんといます。
今世、学びに集っている人達も、何度も、何度も嫌というほど、そういう転生を繰り返してきたんです。本当の自分を知らずに、偽物の自分に磨きをかけて、全く下らない時間を費やしてきたものです。
いいえ、それどころか多大なるヘドロ、悪臭を垂れ流し放置してきました。しかも、そのことを全く知らずに存在してきました。これほど無知なことはありません。あなたはどれだけ、自分は無知でしたと気付いておられるでしょうか。
あなたのその肉体は、今のあなただけのものではないことを感じてください。今のその肉体にすべてを託してきた自分の思いを感じてください。
そして、その肉体をただひたすら愛に帰る道にいざなうために活用してください。
肉体は大切です。大切なものです。ただし、その思いと、肉が自分だとする思いとは相容れないことをしっかりと知って、自分が決めてきた愛に帰る道と出会ってください。
みんな、こうして生まれてきて今があるんです。産んでいただいたんです。この千載一遇のチャンスをしっかりと活かしてください。
日々、正しい瞑想を重ねていく中で、自分の心の中の喜びと温もりが信じられるように、そして、その世界が自分の本当の世界だったと確信が持てるようになってください。「私は愛そのものでした」と信を深めていってください。ともに歩みを進めていきましょう。
本当はみんなそれぞれに、愛へ帰る道を行こうとしています。
スムーズに行っている人もあれば、そうでない人、そんな道があることさえまだ知らない人、気付いていない人、様々です。
様々ですが、中の意識達はみんな必死になって愛へ帰る道を行こうとしています。それはみんなに共通のことです。
みんなとは、学びに触れている、いないにかかわらず、また、肉を持っている、持っていないにかかわらずということです。
なぜならば、愛へ帰る道、愛に戻る道しかないからです。それ以外に何もないからです。
みんな愛。愛の中に存在していることに気が付けば、喜んで、喜んで、ただ本来の自分に、愛に目覚めていきます。そして、さらに目覚めさせていくように自分をいざなっていきます。
だから、すべてがよしなんです。すべてがプラスなんです。マイナスなんて存在しない。マイナスはプラスでした。
肉、形から見れば、そんなことは絶対に思えません。マイナスはマイナス。マイナスとプラスは違う。それが肉基準の見方、とらえ方でした。
それを徹底的に自分に伝えてくれるものが、これから起こってくる天変地異というエネルギーでしょう。天変地異はこれからです。二五〇年に至る時間、激震の時間です。
どうぞ、その中で、肉基準と意識基準の違いをしっかりと確認して、次元移行という意識の流れに自分を乗せてください。