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そこで、母の反省と同時並行に進めていくのが、他力の反省です。
根深く根強くこびりついている他力の心を知っていくんです。
繰り返します。
他力の心とは、肉、形を本物とする心です。我一番、我は神なりの思いです。
この心を崩していくために、私達は何度も転生してくるのですが、結果はその逆となってしまうのです。崩すどころか、さらに上積みをしてしまう結果でした。
私達人間は、自分の本当の姿を忘れ、自分を肉だと思って、その自分を高め、肉の自分の幸せと喜びを手に入れようと、自分の外に、思いを向け続けてきました。
神、仏の加護と力を求め続けました。いつも比較競争の中にありました。そうして、闘いの後、勝利を収めた者が、覇者となりすべてを牛耳っていきます。人類の歴史は闘いの中にあったと言っても言い過ぎではないでしょう。
もっと言うならば、神と神の闘い。それぞれが神という大義名分を掲げ、己の我欲をむき出しにしていくんです。
そうして得た王者、覇者の地位であっても、いずれはその地位を追われる、つまり滅亡していくんです。覇権を争い、いつ自分の寝首を掻かれるか、心休まる日など一日もないでしょう。
日本の国、世界の国々の歴史を紐解けば、大体こういう愚かなことを繰り返してきたことが分かります。
人間は、自分の本当の姿に目覚めていくために、何度も、何度も、数え切れないほど転生をしてくるのです。
しかし、その自分達の切なる思いとは裏腹に、転生のたびに、みんな真っ黒なエネルギーを溜め込んでいきます。
しかも、誰もそんなことには、全く気付けませんでした。全く気付けないほど、自分達が堕落してしまった、それが私達人間の偽らざる現実です。
地球人類の殆どすべての人が、自分のその肉体を指して自分だとしています。今ももちろん、その基盤の上で生きています。これからもそうでしょう。
また、殆どすべての人が、神や仏というものは、自分達人間とは別個の世界のものだと思っています。では、なぜそう思うのでしょうか。
人間とはいかなる存在なのか、これが、本当に自分の心で知って分かっていけば、決してそうは思わないはずなんですが、現実はそうでないんです。だから、私達人間が堕落してしまったと言えるんです。
神を心から信じ敬う、神に忠誠を誓う、仏に帰依する、こういうことは、本当に素晴らしいことなのでしょうか。立派なことなのでしょうか。褒められるべきことなのでしょうか。
神や仏の世界を説くというか、感じていく人は、これまでにもあまた出現したことでしょうが、自分とはいかなる存在か、自分の本当の姿を知らず分からず説く神、仏の世界とはいったいどんな世界なのでしょうか。
悟りを開くとか、悟りの境地に達することは、本当にあるのでしょうか。
どうぞ、既成概念をすべて外して、これまでに記してきました母の反省をしてみてください。
転生のたびに、真っ黒なエネルギーを蓄積してきたとか、人類は堕落してしまっているとか、そういうことは、にわかには理解できないとは思いますが、まず、母の反省を通して、自分の心に何かが、確かに何かが響いてくる体験を重ねていかれたらと思います。
ある時は、涙が一筋頬を伝う、ある時には、涙ぐむ、またある時には、涙と鼻水が溢れ出てくるかもしれません。お母さんと心から呼んでみたい、そんな思いが突き上がってくるかもしれません。
それらは、母に向けて出してきた自分の思いとは裏腹で、想定外のことかもしれませんが、そういう体験をされたらいいなあと思います。
そのうちに、自分の頭では訳が分からずに、どう説明していいか分からないけれど、自分の中から反応してくる自分の思いが確かにあることを知っていきます。
黙って、静かにそこに座っておられない状態になるかもしれません。
たとえば、自分の中から突き上がってくる思い、それをエネルギーと表現しましょうか。
自分はたくさんの凄いエネルギーを持っている。このエネルギーが自分のこの肉体を動かしているのではないだろうか。
そうすれば、この肉体とこのエネルギーとの関係をどのように理解すればいいのだろうか。
色々、色々、考えてみてください。
そして、考えて出せる結論はないと思いますから、本書に書いてあることが本当のことだと仮定して、それを自分の心で実証してください。