2016年06月17日

「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」第15回 14.握っているものを離すことが人生でした


「愛、自分の中の自分」(塩川香世 著)第15回目の配信です。
今回は「14.握っているものを離すことが人生でした」、ページ数ではP115~P119までの部分です。


14 握っているものを離すことが人生でした

意識の転回が進んでくると、それが自分の中で始まらない限り、どんなに時間をかけ、労力をかけ、頑張ってみても、真実に辿り着くことができないことが、はっきりと分かってきます。
そして、意識の転回が進んでくると、時間をかけ、積み重ねてきた形を本物とする世界は、一瞬にして消え去っていく陽炎に過ぎなかったことも、はっきりと心に感じます。
それらを心ではっきりと知るから、自分の中から、一つ、一つ、握っているものを離すことをやっていこうとするのでしょう。
「幸せや喜びは、しっかりと握っていなければ、私の中から消え去っていく。」
「私を幸せに喜びに導いてくれるから、絶対この手を離すものか。」
「離させようとするものを、徹底的に排除していく。」
「この手の中に確実に入れるものが多ければ多いほど、幸せ感も厚くなるし、喜びも大きくなる。」
大真面目にそう思っていました。大きな思い違いをやってきました。もちろん、そこで、手にしようとするものは、楽しいこと、綺麗なこと、嬉しいこと、輝いているものばかりです。汚くて、暗くて、無様なものは、なるべく自分から遠ざけようとしてきましたから、その心の状態は、本当にお粗末なものだったと、今なら分かります。そのような心の状態で、人生を頑張って生きても、幸せになるはずがなかったのです。しかし、それはなかなか分かりませんでした。
今は、心がつかんでいるもの、握っているもの、それが少なければ少ないほど、そして、緩ければ緩いほど、本物が見えてくることを知りました。
本物が見えてきたならば、握ってきた自分、つかんできた自分が愚かだった、それだけでした。
そして、自分が愚かだったと気付けば、本物は、握ろう、つかもうとしなくても、すでに、そこに最初からあったことに気付きます。
偽物を離せば、本物が自然に見えてくるのです。そして、偽物(形の世界)も、きちんと整っているのです。整えようとしなくても、自分にとって必要ならば、整ってきます。
また、本当の自分の世界を感じていけば、きちんと整えられた形の世界でさえも、自分にとって必要がない時がくれば、そこから心を離していくことができるのだと思います。
形が崩れたから、仕方なく心を残して離すのではなくて、形が整えられていても、すっと心は離すことができる。それは、本物を感じてこそできるのだと思います。形は形にしか過ぎないことを、はっきりと心で知るからでしょう。
本来、正しい軌道にある人は、日日の生活をしながら、つかんだ手を緩める、離すことを学んでいきます。つかまえることが苦しい、間違っていることを学んでいきます。つかんだ手を緩める、そして離すことが、自分を本来の自分にいざなっていくんだと確信していきます。
そして、自分の世界と向き合うことができるということが、どれだけの幸せであり、喜びである今なのかを感じていけば、ずっと長く抱えてきたお粗末な心の状態も、また、よかったなあとなってくるでしょう。
いいえ、お粗末な自分だったからこそ、本当の幸せや喜びを感じてくれば、すごい世界に自分はいることを、しみじみ知っていくと思います。だから、お粗末な自分に、ありがとうしかないことが、実感できるのです。お粗末な自分を決して疎ましく思いません。愚かな自分だったからこそ、本当の幸せ、本当の喜びの世界を知ることができたとなるからです。

posted by ユーティーエーブック at 09:08| 奈良 ☁| Comment(0) | 「愛、自分の中の自分」(全24回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする