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6 間違いだらけの人生
「みんな、間違いだらけの人生を歩んできました。」
一言、このように発すれば、
「どこがどう間違っているのだ。」
瞬間的に反発する人達もあるでしょう。それはもう一瞬にして反発してきます。
「私は、それなりに生きてきた」、あるいは「正しく生きてきた」、もっと言う人は「立派に生きてきた」と、堂々と語るでしょう。そう思っている、また、そう語っている意識の世界が真っ黒なんだ、だから間違いだらけの人生なんだと言っても、学びのレベルが低ければ、そこのところが、ピシッと自分の中に響いてこないと思います。
「確かに、間違いは山ほどしてきた、間違いだらけの人生だった、こんな私がここまでよく生かされたものだ。」
口でそう語り、また、本当にそのように思っていたとしても、その人の土台が、形の世界が本物だとするところにあるならば、その土台の上で、ここは間違っていた、ここは正しかったと、判断しているに過ぎません。しかし、本来は、そんな判断などどうでもいいのです。土台自体が間違っているのだから、その上で、正しい、正しくないというのは、大きな意味をなさないです。しかし、肉が土台であれば、そういうところにこだわっていきます。そんなところに無駄な時間とエネルギーを傾けないで、さらりとかわすくらいでいいのではないでしょうかと言いたいです。それよりも、もっと、あなたの時間をかけ、エネルギーを注いでいかなければならないことがあると気付いてください。
また、こんなにバカな私だったという思いを込めて、よく、苦労話をする人達がおられるようですが、本当はご自分のこと、そんなにバカだとは思っていないと思います。第一、バカだという本当の意味が、その人達には分かっていないのではないでしょうか。だから、その人達からは、バカだ、愚かだと言いながら、むしろ、よくここまでやってくることができたものだと、己というものをグッと前に突き出している波動が流れているのです。土台が肉であれば、それは当たり前のことです。
間違いだらけの人生というのは、そういうことではないのです。
形の世界を本物だと思っているその思いが、間違っているということです。それは意識の世界から見れば、真っ暗な思いなんです。自分の本質を間違ってとらえるところからは、どんなに流暢に話をしても、そして、分かる、分かると相手を頷かせる話術があっても、そこからは明るい思いは流れません。
私達は、本来は、明るくて、優しくて、温かくて、柔らかな中にあったのに、肉体という形を持ったがゆえに、その形の世界を本物だとする思いをどんどん膨らませていき、自分を自分で真っ黒にしてしまったのです。真っ黒に正しくも正しくないもありません。そこのところが、なかなか理解できないのです。しかし、真っ黒は真っ黒です。だから、みんな、間違いだらけの人生を歩いてきたのです。