2016年06月03日

「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」第5回 4.他力のエネルギーが染み付いています


「愛、自分の中の自分」(塩川香世 著)第5回目の配信です。
今回は「4.他力のエネルギーが染み付いています」、ページ数ではP53~P60までの部分です。

4 他力のエネルギーが染み付いています

他力のエネルギーとは一体何だと思いますか。自分を肉だとしてきた私達人間は、誰一人例外なく、他力のエネルギーの中にがんじがらめの状態です。神、仏、宇宙のパワーが好きだという人はもちろんですが、それらを敬遠する人もまた、実は、心の中に神、仏、宇宙のパワーといった他力のエネルギーを充満させているのです。私達人間には、遠い昔から、そういった他力のエネルギーを貪欲に求めてきた歴史があります。
そこで考えてみてください。日常的に、拝んだり祭ったり、祈ったりということがない人であっても、心の拠り所、心の支えとして何かを持っていませんか。
昨今は、日本の国でも、宗教の世界が関係するおぞましい事件なども起こっています。そういう影響からか、神や仏や、宇宙のパワー、そして、宗教と言うと、敬遠したり、警戒したり、胡散臭そうにしたりする風潮にあるかもしれませんが、あなたがもし、有形、無形に関わらずに、心の拠り所、心の支えとして、何かを持っているならば、それは立派な宗教です。そして、実は、そういうものは、日常生活と密着している部分がかなりあります。心の拠り所、心の支え、あるいは、慰め、癒し、そういうものとともに、日々の生活があって、それらが、自然に生活の中に溶け込んでいる場合が多々あります。あまりにも、生活に密着しているので、そういうことは、宗教だとは思っていないかもしれません。例えば、音楽なども、心の向け方如何では、それに属すると思います。音楽によって、心が癒されると思うその思いが、他力のエネルギーと深く結びついていくきらいがあります。もちろん、音楽だけではありません。自分の外に何かを求めて、それに没頭していく自分の心をしっかりと見なければ、他力のエネルギーにがんじがらめだという自分の実態が浮き上がってこないんです。ただ単に心が安らぐ、和らぐ、癒されるだけではないと思います。音楽にパワーを求める心、あなたの中に根付いていませんか。
また、生まれついた土地柄、場所においては、拝んだり祭ったり、祈ったりすることが、日常的になっているという人達においては、それを生活習慣としてとらえて、宗教だという感覚はないかもしれません。
どちらにしましても、人はみんな宗教の世界、いわゆる他力のエネルギーを心に秘めてきました。それは、自分の本当の姿を知らずにきたから当然そうなんです。限りない転生の中で、他力のエネルギーを蓄えてきたのが私達人間です。その人に自覚があるかないかだけであって、みんな神、仏の世界を求めて、パワーを求めて、転生を繰り返してきたことは、事実です。
にもかかわらず、今現在、宗教の好きな人、興味のある人がいる一方で、嫌う人、全く興味を示さない人が、実際にあるのはどうしてでしょうか。
確かに、神、神の子、意識の世界、波動の世界という表現は、どうしても非日常的なものに感じる人は多いでしょう。
目に見えない世界、心で感じる世界というのは、大抵の人達は、二の足を踏むのではないでしょうか。一般的に、後ずさりするような感じを持たれる傾向にあるかもしれません。神や仏や宇宙のパワーを好む人も多いけれども、宗教の世界というと、即座に否定、敬遠される人も、また、多いかと思うのです。
私自身も、この学びのことを、耳で聞いていただけの時は、宗教だと思ってきました。だから、足を踏み入れることを拒絶してきたと言ってもいいと思います。拒絶するということは、それだけ神や仏や諸々のパワーを、過去において求めてきたからだったと、学びの時間を振り返れば、今はそのように納得できます。
今現在の学びでは、意識の世界とか、波動の世界とかというような表現になっているので、まだ入りやすいかもしれませんが、私が学び始めた頃は、神とか神の子という表現をしていましたので、自分の中で距離があったことは確かでした。
ところで、宗教の世界に、のめり込む人、何らかの関心を示す人よりも、反対に無関心な人、あるいは無神論者だとする人のほうが、他力のエネルギーが弱いのかと言えば、必ずしもそうではないと思います。
「宗教とは無縁だ。私はそのような世界に入りたくない」と頑なに拒絶する心からも、実際は、祈りのエネルギーが流れ出している、流れ続けているのです。
実は、そういう人達の中に心が敏感な人がいるのです。だから、本当は、そういう人達こそ、日々の生活から少し距離を置いて、ゆったりと自分を振り返る時間を持たれたらいいのではないかと思います。
案外、なぜ拒絶してきたかということを心で感じてこられたら、今度は逆に、どんどん目に見えない世界に、本当の意味で真実の方向へ自分を誘っていかれるかもしれません。
ただ、私達は、それぞれに、仕事、家事、子育て、学業、趣味、介護等々、日々の生活に追われています。その中で、自分の生活パターンを変えることは、なかなか難しいです。慌ただしく過ぎ去っていく時間の中で、束の間の安らぎや幸せを求めていくことに明け暮れる毎日だと思います。
第一、自分を振り返るという意味がなかなか分からないと思います。だから、たとえ、振り返ってみても、生まれてから今日までです。それで、何とか、自分の人生の帳尻を合わせていこうとします。自分が求め、そして、自分の中に蓄えてきた他力のエネルギーをそのままにして、帳尻を合わすことなど本当のところはできないけれど、幾重にも他力のエネルギーが染み付いてしまっているから、その中で、何とか、その瞬間、瞬間を生きていこうとすることで、精一杯なのだと思います。
今現在、占いや呪いや、その他、精神世界について興味がある人もいます。神、仏の存在を信じ一生懸命祈りを捧げ、加護を求めている人もいます。いいえ、そういうものはどうでもよく、ただ金、金の生活に忙しい人も多いでしょう。人様々ですが、その区別なく、誰もがみんな、他力のエネルギーの中に沈んでいると言っていいと思います。
そのエネルギーを、本来の喜びのエネルギー、パワーに変えていくことが、私達のこれからしていくべき仕事です。自分の中で染み付いてしまった他力のエネルギーを、どのように変えていくのか、大きな課題を残しています。もちろん、肉が自分だと思っている人間の力など非力です。そんな非力な力をどんなに束ね併せても、課題をクリアすることはできないけれど、その一人ひとりが、自分の中の愛のエネルギーに目覚め、それをどんどん流していけばいいということも分かっています。そして、そういう方向に、今、粛々と仕事がなされていると付け加えておきます。
どうぞ、あなたもその中の一人となっていけるように、自分の中に染み付いてしまった他力のエネルギーをしっかりと確認してください。そして、自分の間違いに気付き、自分の本来するべき仕事をしてください。他力のエネルギーはみんな、愛のエネルギーに変えていけるパワーが自分の中に眠っていることに、一日も早く気付いてください。

posted by ユーティーエーブック at 14:28| 奈良 ☀| Comment(0) | 「愛、自分の中の自分」(全24回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする