2016年06月30日

「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」最終回 ともに瞑想を


「愛、自分の中の自分」(塩川香世 著)第24回目(最終回)の配信です。
最終回の今日は、著者 塩川香世さんとともに瞑想をしてみましょう。
途中、塩川さんが異語で語る部分がありますので、まずは、異語についての説明を聞いてみてください。


◇「著者と読むUTAブック」では、皆さんからのご感想をお待ちしております。
ご感想は、utabook250@gmail.com までお願い致します!
そして、いよいよ、7月からは「ありがとう」の朗読が始まりますので、お楽しみに。




posted by ユーティーエーブック at 05:13| 奈良 🌁| Comment(0) | 「愛、自分の中の自分」(全24回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月29日

「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」第23回 おわりに


「愛、自分の中の自分」(塩川香世 著)第23回目の配信です。
今回は「おわりに」、ページ数ではP164~P175までの部分です。


おわりに

さて、二〇〇七年、八月のver.01、二〇一一年七月のver.02に続き、このたび、本書、vre.03を発刊させていただくことになり、随所に手を加えさせていただきました。二〇〇七初版から、今年二〇一五年で、はやいもので、八年の年月を経過しています。
振り返りますと、約三十年前に田池留吉氏が中心となって、主として日本各地で開催されてきた二泊三日のセミナーは、「エルランティの光セミナー」、「UTA会セミナー」、「意識の流れ勉強会」、「UTA会」と名称を変えながら継続されてきました。私自身は、一九九三年四月より、セミナーに参加させていただき、田池留吉氏とともに学ばせていただくこと、二十年余りです。ともに学ばせていただいた友が全国各地にいます。そして、今年二〇一五年、私達は節目の年を迎えました。これまで、田池留吉氏とともに一堂に会し、学ぶという学びのスタイルは、一応二〇一四年一二月で終了し、新たに「UTAの輪セミナー」が、今年、二〇一五年三月よりスタートしたのです。もちろん、学びのスタイルは変わっても、田池留吉氏が指し示してくれた方向に心を向けて、ともに真実の世界を学んでいくということには、何ら変わりはありません。
このような経緯の中で、私は本書の改訂版を出版させていただくことになりました。

私達人間は、意識の転回をしていくために、生まれてくるんだと語ってきました。人生の最重要課題が、「意識の転回」という作業です。何のために生まれてくるのかと言えば、自分の本当の姿を知るためだということです。それが自分の中で現実のものとならなければ、私達は今までもそうでしたし、これからも永遠に真っ暗闇の中で彷徨い続けていかなければならないのです。
そこで、「21のまとめ」でも記したように、意識の転回を自分の中で遂行していくために、どうしても不可欠な作業は、「心を見る」という作業です。そして、意識の転回をしていくにあたり、もうひとつ重要な作業があります。それは瞑想です。しかも単なる瞑想ではなくて、「正しい瞑想」という作業です。正しい瞑想が自分の中で段々にできてくれば、意識の転回も捗ってくるということなんです。そして、意識の転回が捗ってくれば、さらに、正しい瞑想の完成度が上がってくるという、いわば、「意識の転回」と、「正しい瞑想」は真実の世界の扉を開きそして広げていく車の両輪と言ってもいいでしょう。
あなたも、真実への扉を開き、そして、車の両輪をスムーズに動かして、心地良い歩みをともに進めていきましょうというメッセージを、最後にお伝えします。
心地良い歩み、そう、それは、これから二百五十年、三百年にかけて計画されている次元移行という意識の流れの中の歩みです。
次元移行へ向かって、ともに歩みを進めてまいりましょうという意識の流れからの呼び掛けに、あなたも、そしてあなたもぜひ呼応していただきたいと思います。
ということで、正しい瞑想とはどのような瞑想なのかということに触れながら、本書を閉じていきたいと思います。

意識の転回が捗ってくれば、自然と瞑想をする時間が楽しくなってきます。本文でも、自分の中に上がってきた思いとともに、丹田呼吸の一つ、二つをして、お母さんと呼んでみる時間を持つことを実践してくださいと記しました。
実は、その瞑想の最後の最後は、田池留吉に心を向ける、合わせる、委ねる瞑想をする、そういう瞑想ができるようになりましょうということなんです。
言うまでもなく、田池留吉とは、これまでに約三十年の間、セミナーを開いてくれた田池留吉氏です。
ただし、ここで言う田池留吉とは、その田池留吉氏そのものではなくて、田池留吉氏が指し示す方向にある意識の世界のことを言います。
つまり、田池留吉氏が私に心を向けなさいというのは、あなたの心の中に厳然としてある本当のあなたに心を向けなさいということなんです。
さらに、田池留吉氏は伝えてくれました。
「本当のあなたは、愛です。本当のあなたは、愛のエネルギーを限りなく流し続ける存在なんです。あなたは愛です。そして、私も愛。私もあなたも意識、エネルギー、愛です。そしてひとつです。」
「田池留吉の世界は、喜び、温もり、広がりです。田池留吉の世界は、どなたの心の中にもあります。だから、それを知らずに、あるいは信じられずに、自分の外に安らぎや癒しを求めていくことは本当に愚かなことなんです。」

「自分の外に、安らぎを求め、癒しを求め、温もりを求めていく心を見てください。見ていきましょう。
安らぎを求め、癒しを求め、温もりを求めていく心とはどのような心でしょうか。寂しい心ではありませんか。満たされない心ではありませんか。
では、なぜ人間は、寂しい心を抱えているのでしょうか。満たされない心を抱えているのでしょうか。
そして、物に満たされも、金に満たされても、また人が大勢周りにいても、寂しい心、満たされない心が埋められないのはなぜなんでしょうか。
自分の中に、温もりがあり、喜びがあり、安らぎがあると本当に分かっているならば、そういうものを、自分の外に求めていくはずはありませんでした。しかし、人間は、いつの時代においても、外に、温もりや喜び、安らぎ、癒しを求め続けてきたんです。それは、本当の自分を忘れ去って、自分を肉だと思い、その形の世界にある自分しか見えていなかったからだと認めざるを得ないのではないでしょうか。
形を本物とする物の見方、考え方の中にいては、寂しい心からも、満たされない心からも、決して、自分を解き放つことはできません。それは、苦しいことではありませんか。そうです。その状態では、私は幸せだなんて心の底から言えるはずはないのです。
また、自分が本当の幸せだとか喜びが分かっていないのに、人を幸せにすることなど絶対にできません。従って、幸せにしてあげましょうという思いがどれほど傲慢な思いなのか、そして、幸せにしてくださいという思いがどれほど無知な思いなのかということです。」
「意識の転回」が自分の中で捗ってくれば、こういうことが手に取るように分かってくる、自分の心に伝わってくるのです。

そして、そのような状態になって、さらに、あなたの心で感じ分かってくることがあります。

それが、「次元移行へ向かって、ともに歩みを進めていきましょう」という意識の流れからの呼び掛けです。

「私達意識の流れが、地球上でこのメッセージを伝えていく時間は、あと三百年です。
その三百年の間に、たくさんの天変地異を、この地球という星は体験していきます。私達意識の流れは、地球上に転生してくる意識達に次元移行へのメッセージを伝えていきます。それが天変地異なんです。しかも、これから起こり来る天変地異の規模、エネルギーは、私達の想像をはるかに超えるものです。その巨大な天変地異のエネルギーを通して、次元移行を遂行していくメッセージを私達は流していきます。
私達は、愛のエネルギーです。私達は、エネルギーとして流れています。そして、私達、愛のエネルギーが、これからさらに仕事をしていきます。」

瞑想をする中で、この思いを私はしっかりと心に感じています。
肉、形を本物としている人達には、全く異次元のことだと思います。信じられないと思います。しかし、私の心の中には見えているんです。つまり、心に響いてくるんです。これから三百年の地球上での出来事を通して、私達がメッセージを送っていくことを、私は心で感じています。

また、私達は、「ともに歩みを進めていきましょう」「いつまでも、いつまでも待っています」というメッセージも流します。
しかし、それを欲でとらえると、そのメッセージの真の意味を、真っすぐに受け取れないことに注意してください。意識の転回が滞っていれば、優しさは厳しさを伴っていることが分かりません。
「次元移行へ向けてともに歩いていこう」「いつまでも待っていますよ」というメッセージは、自己確立、独立独歩の喜びを伝えています。そして、その喜びとは、1+2=3という意識の世界の喜びです。1+2≒3というのは、意識の世界の喜びではありません。
喜びから発せられたメッセージは、厳しさに裏打ちされたものなんです。どうぞ、メッセージを心で味わってください。
それぞれがそれぞれの心で、しっかりと自分の道を見定めるこれからの時間です。どのように存在していくのか、どのように生きて、どのように死んでいくのかは、それぞれにかかっています。
今、肉体を持っている間に、精一杯可能な限り、自分の心を見て、正しい瞑想をしていくことが、どれだけ自分に対する優しさであるのか、愛であるのか、心で感じていっていただきたいと思います。
生半可な学びではないことは、意識の世界を心で感じていけばいくほど、知っていくでしょう。
欲で繋がっている間は、ただ厳しい、本当に厳しいだけだと恐れをなすか、反発するか、その程度でしかありません。
しかし、真実の喜びと温もりを心で知り、本当の自分の声を、そして思いを聞いていったならば、その厳しさこそが、本当の愛、温もりであると心に伝わってきます。
確実に広がっていく世界があります。その世界に自分達があるのだと分かれば、だからこそ、今という時、今という時間、そして、これからの時間が、どれだけ幸せな時間であるか、厳しさとともに喜びが広がっていくのです。

これから、約三百年かけて、私達は、必ず証明してまいります。私の意識の世界は、その途上にあることを確信しています。それは、天の声、神の声、そのような、ちっぽけな世界ではないことを、今世、私は私に伝えました。まさに、真実の世界から伝えていただいたことを、私はただ真っすぐに、遂行していくだけです。
今世は、その手始めだと記しました。今世を境にして、意識の世界は、大きく変わっていきます。つまり、「意識の転回」を促す出来事が、どなたにもやってまいります。そして、その時、何を選び取っていくかは、それぞれの自由です。ただし、それは絶対的な自己責任を伴います。
その猶予期間は、これから約三百年です。その後、この地球が存続しているかどうか、それは定かではありません。
ただ、私は、再び、この地球上に転生してくることはないと、私自身に伝わってきます。その思いとともに、私は私の世界に帰っていくのだと、心で感じている今現在です。

「意識は永遠なり、私は喜びです。」
意識の転回を、どうぞ、始めてください。
そして、本当の自分との出会いのために、これからがあることを感じていってください。それは、喜びの道です。間違いなく喜びの道です。
どうぞ、どうぞ、ともにこの三次元を超えてまいりましょう。

posted by ユーティーエーブック at 09:54| 奈良 ☁| Comment(0) | 「愛、自分の中の自分」(全24回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月28日

「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」第22回 21.まとめ


「愛、自分の中の自分」(塩川香世 著)第22回目の配信です。
今回は「21.まとめ」、ページ数ではP153~P163までの部分です。


21 まとめ

さて、ここまで、「意識の転回とは何か」から始まって、「その作業は難しい」「なぜか」という説明を経て、しかしながら、「それをしなければ、本当のことが分からない」「それをするために、私達は、生まれて、そして、死んでいくという転生を繰り返してきた」といった事柄を、私自身の愚かさを交えながら、色々な角度から、語ってきました。
では、その難しい「意識の転回」は、どのようにすればできていくのかということが、皆さん、一番関心があることだと思います。
しかし、残念ながら、手っ取り早い方法もなければ、裏技もありません。あるのは、ただ一つ、「心を見る」作業を丹念に繰り返していくことです。
この作業がない人には、「意識の転回」はできません。
なぜならば、心を見ることを知らない人、見ようとしない人は、「形ある世界が本物で、それがすべて」だとする中で凝り固まっているからです。凝り固まっている以上、どうしようもありません。少なくとも、「心を見る」作業を真剣にやろうと思う人は、まだ今は、「形ある世界が本物で、それがすべて」だとする土台の上かもしれませんが、その土台が微かに揺らぎ始めているのだと思います。
そこで、「心を見る」作業というのを具体的に語ってみますと、自分を振り返って、反省すべきところは反省して、自分を正していくことが、「心を見る」作業ではありません。「心を見る」とは、その作業を通して、自分が瞬間的に出すエネルギーを感じていくことです。「私はエネルギーだ」ということを、実感していくことです。
まず、自分を産んでくれた母親に対して、どのような思いを広げてきたか、包み隠さずに、奇麗事に終わらないように、自分の思いをできる限り、出してみることから始めなければなりません。出してみるといっても、むやみやたらと外に向けて出しても、無用なトラブルの元です。
つまり、自分の不平、不満、その他諸々の思いを、例えば、目の前にいる母親に向けて直接に吐き出せば、まだ、その段階では、必ずトラブルが起こってきます。
互いに、「心を見る」作業をやっていこうとするならば、その中では理解されるかもしれませんが、それ以外では難しいです。無用なトラブルの収拾に時間とエネルギーを割くのは、得策ではありません。
とりあえずは、ノートに思いを書いてみる、書きなぐることを、やってみましょう。満点の母親など存在しません。みんな愚かなんです。そして、その愚かな母親の言動を見て、聞いて、みんな自分の思いがストレートに出てくるはずなのです。そして、実際にやってみれば分かると思いますが、母親に使ってきた思いは、自分の周りの人達みんなに使ってきた思いなのです。だから、まず母親の反省です。セミナーに集われた人達は、このことを繰り返しやってこられました。
具体的には、母親が自分にしてくれたこと、してくれなかったこと、逆に自分が母親にしてあげたこと、この三点に絞って、その都度母親との関わり合いの中で、自分はいったい、その時、どのような思いを母親にぶつけていったのか、包み隠さずに確認してください。
それと並行して、それぞれの宗教遍歴を振り返ります。例えば、今世は、宗教遍歴という大げさなものはない人であっても、誰でも、墓参りの一回や二回は、したことがあるでしょう。お正月に神社参拝の経験はどうですか。お墓の前で、または家の仏壇の前で、そしてお賽銭を入れて、手を合わせて、どのような思いを出してこられましたか。あるいは、人によっては、太陽を見て拝み、そしてまた、夜空に輝く星に願いをかけてこられたかもしれません。
とにかく、祈ってきたことや、願いをかけてきたことや、パワーを求めてきたことがなかったか、占いや呪いに興じてこなかったか、それらを思い出します。そして、なぜ、そういうことをしてきたのかと、自分に聞けば、必ず、何らかの理由が返ってくると思います。
「助けてほしかった」「救ってほしかった」「不思議な世界を知りたかった」「パワーがほしい。自分の思い通りになるパワーがほしい」等々というところだと思います。そうなれば、幸せになれると思うからこそ、自分の肉体を運び、時には、半端ではないお金を出してきたのです。そのあたりの自分の心の中を、じっくりと見ていけば、どれだけ欲の皮が突っ張った自分であったのか、必ず自分で分かってくると思います。
何はともあれ、まず実践することです。
どんな時も、自分から出てくる思いを、自分の中で確認して、そして、ふっと丹田呼吸の一つ、二つをして、目を閉じて、今、確認した思いに心を向けながら、「お母さん」と心の中で呼んでみてください。
「どうなる、ああなる、何を感じるか」は、ひとまず横に置いておいて、ただ、その作業を淡々と繰り返していくことが、極意と言えば極意であり、第一段階でしょう。
母親に使った心と、他力信仰に使った心を、丹念に、そして、ありのままに、自分の中で確認していくことをしていったときに、やがて、ふと、「何で自分は生まれてきたのか」「自分とは一体何だろうか」「本当にこれでいいのか」と、改めて、そういうような様々な思いが、心にどんどん過ぎります。それは今まで、何度も思い返してきたことかもしれませんが、ある時ふっと、そして、強烈に自分に響いてくるのです。
チャンス到来とばかりに、自分の存在そのものが全く間違っていたことを、否が応でも知っていく現象が起こってきます。文中にも記しましたように、それは、おそらく「人の生き死に」に関わってくる現象だと思います。そのチャンスをうまく活かすことができれば、それが第二段階となってくるでしょう。
本当に「心を見る」作業を、真剣にやってきた人は、そのあたりから、徐々に変わってくる兆しが見え出すのではないでしょうか。ほんの僅かかもしれませんが、それでも、その兆しが見え始めたというのは、自分の歴史の中で、大きな出来事です。
私自身も、拙著『ありがとう』の中で記しましたように、「人の生き死に」によって、大きく方向転換を、自分自身に促しました。自分の計画だったと言えばそれまでですが、「形ある世界が本物で、それがすべてだ」とする思いの向きを変えるには、やはり、この現象をおいて他にないと、私は思っています。
真実は、自ずと自分の中から伝わってきます。自分の中には、間違いなく「本物の自分」、すなわち「真実」が存在するからです。
そして、その「本物の自分」が「偽物の自分」を導いていることに、心から気付くには、もう天変地異という手段しか残されていないことを、私は感じています。
日々、安穏と暮らしている中では、「天変地異という手段しか残されていない」という言葉は、少々厳しくて乱暴な表現かもしれません。なかなか、現実のものとして受け止めることは難しいですが、意識の世界では、もうそのような流れになっています。いつまでも、形の世界を握っているわけにはいかないのです。形ある世界は、色々なところからどんどんその形を崩していきます。「とらわれている心を見てください」というメッセージを流しながら、喜びで崩れていくのです。
しかし、このことをいくら公言しても、今はまだ、殆どの人には理解できないことです。今の生活、今の家族、今の自分、それらをしっかりと握っている状態の中では、無理というものです。
そうです。今の状態では無理です。だからこそ、これからの時間の中で、様々な事柄が、しかも、予期もしない事柄、想像を絶する事柄が起こってくるのでしょう。天変地異の嵐は、みんなに公平に平等に配分されていくことでしょう。
しかも、これから起こってくる天変地異には、「形ある世界が本物で、それがすべて」だとする思いを、一気に崩していくほどの巨大なエネルギーを蓄えています。もう意識の世界は、そういう段階にきています。
それを、今現在どれだけの人が、心で感じておられるか分かりません。
しかし、止めることができない、変えることもできない意識の流れの中で、真実を知っていくシナリオがそれぞれにきちんと用意されています。
それを運命とか、宿命とかで片付けてしまっている場合もありますが、そもそも運命とかそういったものは存在しないと思います。すべてが自分で計画、予定してきた事柄です。決して偶然はありません。
また、運命に翻弄されたという表現は正しくはないと思います。翻弄されているのではなく、自分で翻弄しているのです。「真実に目覚めなさい」と、自分が自分に言っているのです。
それが分からずに、私達は運命のせいにしてきたのではないでしょうか。言うなれば責任転嫁です。そもそも、運命は誰が決めるのでしょうか。私達は、「運を天に任せる」と言います。また、「運命を切り開いて、困難を克服して、ようやくつかんだ栄光の道」というのもあります。
片や任せる、片や切り開く、何かどこかおかしいと思いませんか。矛盾していませんか。
そうです。実は、私達は今、何もかもおかしい状態の中にあるんです。
おかしい状態だから、おかしい結果が、あちらこちらから噴き出してきます。それがこれからの時間に、特に顕著になってくるということです。「根本が違っています。真実に目覚めなさい」という呼びかけが、声高らかになってくるということだと思います。
「真実は一つ」、その呼び声高らかに、ともに歩んでいこうとする意識の流れからのメッセージが、それぞれの心に響いていく日を、心待ちにしています。
毎日の生活の中に、しっかりと腰を下して根を張るのではなく、ただ、自分の意識の世界をしっかりと見るために、今、それぞれの環境の中に肉体を携えていることを、知らなければなりません。
「なぜ、生まれてきたのか」「何をするために、この世に出てきたのか」、その答えが自分の中で、はっきりとしてくるにつれて、自分が今、携わっている仕事、自分の家族、自分の健康のこと、その他自分の周りの事柄に対しての自分の思いが、変わっていくでしょう。自分とそれらのものとの関わり具合に、変化が出てくると思います。そうした時に、さらに、自分とはいかなる存在であるのか、もう一歩突っ込んで自分に問いかけてください。あなたの中は知っています。あなたの中の愛が答えてきます。波動で答えてきます。それはただただ喜びです。喜んで、喜んでいこうという思いが、はっきりと、自分の心で感じられる時が、やってくるでしょう。それを素直に真っ直ぐに受け止めて、自分の中からの促しに沿って存在していってください。

posted by ユーティーエーブック at 08:04| 奈良 ☔| Comment(0) | 「愛、自分の中の自分」(全24回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月27日

「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」第21回 20.平々凡々ながら、我が道を行きます


「愛、自分の中の自分」(塩川香世 著)第21回目の配信です。
今回は「20.平々凡々ながら、我が道を行きます」、ページ数ではP145~P152までの部分です。


20 平々凡々ながら、我が道を行きます

私は、口八丁、手八丁の類の人間ではありません。
優しい言葉をかけ、優しい態度を示し、互いに頑張っていこうと声を掛け合う人は、とっつきやすいかもしれません。私は、どうもそういうことは苦手だから、とっつきにくいみたいです。以前から、「あんたの考えていることが、私にはあまり分からない」と、母親に言われてきました。
私は、面倒見はよくないし、逆に人から口を挟まれることも、あまり好みません。生真面目でもなく、几帳面でもありません。邪魔くさがりで、面倒なことは嫌いです。多分に自己中心的なところがあります。
また、私は、どちらかと言えば、一匹狼に近いと自分自身を評価しています。それだけに、一つ間違うと、地獄の奥底に転落です。あまり人の言うことを聞かないからです。自分で納得しない限り、聞いているようで聞いていない、調子を合わせているようで、そうでない、そのようなところがあります。
しかし、それが、案外、学びを遂行していくという点において、プラスに作用したと思っています。
一見、短所なところも長所に作用していったのは、やはり、自分の中に、真実に出会いたいという純粋な熱い思いがあったからだと、私自身は思っています。
「この世のどこかに、真実はある、必ずある。」
何の取りえもない私ですが、この思いを心に感じてきたというのが、ただ一点のいいところであり、すごいところと言ってもいいかもしれません。
その実現を見ることがないということは、あり得なかったと確信している今、その思いだけが、平々凡々な私を導いてきたことを感じます。
また、その思いがあったからこそ、多分に自己中心的な私であっても、何とか曲がりなりに、そして、大きなトラブルを起こすことなく、社会生活に馴染んできたのだと思います。
いいえ、それどころか、ただ我が道を行くことを許されていることを痛感して、これほど幸せなことはないと、私は常々感じているところです。
社会のため、会社のため、家族のため、そんな大そうな心意気など、何もない私ですが、自分の痕跡をしっかりと見つめ、自分のこれからを、しっかりと見つめていこうとすることに、エネルギーを注いでいることだけは確かです。
また、私は、怖がりで臆病だけど、考え方はしっかりしています。自分の理念というか哲学を持っています。だから、あまり人に、世間に、なびいていかないのでしょう。
もともと、私には、自分で選び、自分で遂行していこうという思いがありました。それによって、自分に降りかかってくるものは、自分で対処していかなければならない、結局は、何事も自分のことは、自分以外に解決はできない、自分が納得しない限りダメだ、転生を重ねた結果、そのような思いを強くしていったのだと思います。
自分の理念、哲学が、今世ようやくにして、自分の中で納得できるものと出会えたということで、私自身、大変喜んでいます。
今世、私達に本当のことを伝えてくれたのは、田池留吉氏という人でした。田池留吉という一人の人間を通して、真実の世界に触れさせていただいて、本当に感謝しかありません。この出会いがなければ、私達には本当に明るい未来なとなかったと言えるでしょう。
私は、田池留吉氏の伝えてくれたことを、心で理解していると思っています。意識の世界の私達はひとつであることを、具体的に感じている、つまり、確信していることは事実です。
それは、決して曖昧模糊なものではなく、「私達はひとつ」だという私の感覚は、まさに明確なものであり、現実的なものです。
だから、二五○年後の出会いは必ずあり、しかも、その出会いがあって、すべては、そこから始まっていくことも、私は知っています。今世の出会いも、非常に大きな喜びですが、来世の出会いは、それにも増して、いいえ、比べることができないほどの大きな喜びであることも、もちろん感じています。
そのような背景を抱えて、私は、田池留吉氏と接しています。私は、田池留吉氏を師と仰ぎ、鏡として自分の中に掲げる思いで、見ているのではありません。そのような低次元で、田池留吉氏を見るということは、本当におこがましい限りだと思っています。私にとって、田池留吉という存在は、その程度に留まるものではないからです。
出会いは非常な喜びでした。千載一遇の出会いでした。ずっと探し続けてきたものを、田池留吉氏は、単刀直入に端的に表現してくださいました。私の意識の世界に多大な衝撃を与えていただいたのも、事実です。
そのことにより、私は、自分自身に目覚めさせていただきました。そして、今、自己確立の道を、淡々と歩んでいる幸せと喜びの中にあることを、確認しています。平々凡々ながら、今、その道を一歩一歩、歩む喜びに、私の中は湧き返っていると思います。
確かに続いていくこれからの時間の中で、それは、さらにより鮮明に、自分の中で感じていくことができるだろうと確信しています。
だから、私は、これから二百五十年、三百年に至る時間が待ち遠しいです。
どんどん自分の中と出会っていって、そして、どんどん自分の中の愛に目覚めていき、私達は愛の中にひとつという思い、エネルギーを流し続けていける存在なんだと伝えていけばいいからです。
たくさんの意識達が呼応してくるこれからの時間に思いを馳せ、私は私の信じる我が道を行きますと明言できる今を、ただ喜んでいます。



posted by ユーティーエーブック at 09:00| 奈良 ☀| Comment(0) | 「愛、自分の中の自分」(全24回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月24日

「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」第20回 19.意識を転回すれば、もちろん、人間としても成長します


「愛、自分の中の自分」(塩川香世 著)第20回目の配信です。
今回は「19.意識を転回すれば、もちろん、人間としても成長します」、ページ数ではP141~P144までの部分です。


19 意識を転回すれば、もちろん、人間としても成長します

意識の転回をすれば、何が分かるのか、意識の転回をし始めてこそ、本当の喜びと幸せが分かります。
その過程では、ただただ真っ黒な自分だけが飛び出てきます。その作業が進むにつれて、真っ黒な自分がたまらなく嬉しい、愛しいということに尽きるのです。
自分は素晴らしい、私は正しい、間違っていない、悪いのはあいつだ、こいつだ、世の中だと思っている自分の心を見てみれば、すべてを八つ裂きにしているエネルギーの塊であることを感じていくでしょう。八つ裂きという表現は不適切かもしれませんが、とにかくそれほどすごい、凄まじいエネルギーなんです。
正しい、間違っていない、私は偉い。あなたは、このエネルギーで日々生きていませんか。あなたの心を見てください。あなたは、本当に正しくて間違っていなくて、偉いのでしょうか。これからは、その答えとなるものが、どんどん自分に訴えてきて、自分を変える方向に行かざるを得ない状態になっていくのだと思います。
形の上で、色々なことが起こってくるから、人は何かを考え、何かを思い、そして、自分の来し方、行く末を思います。それが、本来の人間の姿だと思います。それで、根本的な間違いに気付くことは難しいかもしれないけれども、少なくとも、愚かな自分を感じる時が、必ずやってくると思います。人智が及ばない大きな流れを、それぞれの心が感じていったときに、人は必ず変わっていきます。私は、そのことが信じられるのです。
自分とは何かを心で段々に知っていき、そして、こうして今あることが幸せだったと心から思えるから、一人の人間としては、まだまだお粗末で、課題もたくさんありますが、お粗末ながらも、以前と比べれば、肉も成長をしていると、思っています。
誠を尽くしたい。母親に、そう思います。単に世間で言う親孝行ではありません。真実に触れた意識としての喜びを、形に表していこう、いきたいとする思いになっています。そしてそれが、母親に対して誠を尽くしたいという思いに繋がっていくように思います。
母は、私に肉体をくれました。この世に産み落としてくれました。母は、愚かかもしれません。いいえ、愚かでしょう。
それは、私も同様です。しかし、私には、私を産んでくださったという事実だけがあります。
その事実の重みを感じながら、日々の生活を続けていくことが、私をさらに成長させるものだと、私は思っています。
「母と生活をともにしながら、その中で、自分の心を見つめていく。そして、意識の転回をさらに進めていく」、このような計らいを自分のために用意して、そして、本当に自分自身が知りたかった世界と、さらに繋がっていくことができる喜びを広げ深めていけることを、私は喜んでいます。
どんなこともみんな、自分の意識を転回させることに活用していくように、自らがいざなっているんだと思います。
目標は、「意識の転回」です。私達すべての意識は、愛の中にあったことを、現象を通して知っていくように仕組まれています。

posted by ユーティーエーブック at 09:07| 奈良 ☁| Comment(0) | 「愛、自分の中の自分」(全24回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする