2016年05月31日

「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」第2回 1.意識の転回は難しい?!


「愛、自分の中の自分」(塩川香世 著)第2回目の配信です。
今回は「1.意識の転回は難しい?!」、ページ数ではP17~P24までの部分です。

1 「意識の転回」は難しい?!

先ほど、「意識を変える」という言葉を挙げましたが、それは、一般的には、自分の思いを変える、物の見方、考え方、価値基準を変える、そのように理解されているだろうと思います。
そうは言うものの、自分の思いを変える、物の見方、考え方、価値基準を変えるということは、口で言うほど容易いものではありません。一時的に、何かしら、自分の中が変わったことを感じても、人間の心は、そう簡単には変わらないと考えるほうが妥当でしょう。
もっと言えば、人の思い癖、心の癖は、そう簡単に変えることなどできないということです。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとか、または、元の木阿弥という言葉にもあるように、思い癖とか心の癖は、なかなかしぶといものがあります。文字通り、「癖」ですから、ある時期を通り過ぎれば、また元に戻っていることのほうが、多いのではないでしょうか。
このように、人間の心が、そう容易く変わらないのと同様に、「意識の転回」というのも、大変難しいものだと考えてください。それは、ただ単に、「意識を変える」というものではないからです。確かに、物事のとらえ方、見方、価値基準、判断基準を変えていくことに違いはありませんが、「はじめに」のところでも触れましたように、「意識の転回」とは、その基準となる土台を全く、つまり、百八十度変えることを言います。土台を変えるんです。いくら、見方、価値基準を変えても、土台が同じでは、それは、「意識の転回」とは、全く違うもの、似て非なるものです。
たとえ、九死に一生を得た体験から、人生観、世界観、価値観、それらのものが、自分の中で一変したと感じられても、果たして、それが「意識の転回」という次元のものになり得るかと言えば、私は、全く疑問だと思っています。もっとはっきりと言うならば、それは、「意識の転回」とは、似て非なるものなのです。
九死に一生を得た体験、あるいは、目から鱗が落ちるほどの体験というのは、今まで自分はこう思って、これが正しいんだとして生きてきたけれど、これからはこのように思って生きていこうと、かなり大きな決意をその人に促していくものに違いありませんが、それでは、その人の土台はどこにありますかということになってくれば、まだまだ、やはり目に見える形の世界にあると言わざるを得ないでしょう。仮に、そういう体験、経験がある人であれば、今世、その人は何らかのルートで、今頃は、きっと、この学びに集われていると思います。ここにしか、真実を伝えてくれるところがないからです。だから、当然、学びに集われて、そして、それこそ、目から鱗が落ちる体験をどんどん積み重ねられて、ぐんぐんと真実の世界のほうへ、心を向けていかれるようになっていると、私自身は思っています。しかし、残念ながら、いまだそういう人には、出会っていません。
ということは、今、自分が体験した出来事により、たとえ、その人が目から鱗が落ちたような感覚になって、さあ、ここからが私の再出発だと思っていても、本書でお伝えしようとしている意識の転回へのスタートとは異なっているのだと思います。そこには大きなズレがあるということです。
一命に関わるような出来事に出会って、九死に一生を得た命だから、生まれ変わった気持ちでやっていこう、頑張ろうと、そういう人生における転機が訪れても、それが、果たして、「自分の土台を変えていくほどの衝撃を伴う転機」になり得るのかと言えば、なかなか、それは難しいと思います。もちろん、「この肉体は自分ではない」とする思いが、一直線に自分の中に入ってくるほどの衝撃というのは、そうざらにはありません。あるとするならば、それは、やはり、「人の生き死に」が、関わってくると思います。それも、単に自然消滅的なものではなくて、ある日突然に、そして全く想定外に起こってくるものによって、もたらされる場合と言えば、察しが付くでしょうか。従って、「人の生き死に」以外では、目から鱗が落ちる体験が、自分の土台を変えていくことは、はっきり申し上げて難しいと、私は思っています。それほど、私達は、形の世界、目に見える世界を本物としてきた、目に見える世界をずっと握ってきたということなんです。
そこから自分の生き方を再スタートさせても、本来歩むべき生き方とは大きなズレがあります。そして、スタートが大きくズレていれば、あとは当然ズレてきます。最初の第一歩が違うから、それを訂正することなしに、どれだけの時を重ねても、その結果は……ということになるでしょう。
自分自身は、目から鱗が落ち、生まれ変わったと思ってみても、土台が同じなら、五十歩百歩の世界だと、私は思っています。そういうことは、本書で言うところの「意識の転回」とは似て非なるものだと考えていただいていいと思います。
しかし、世間では、そういう話は、堂々と通じます。いいえ、そういう話こそが、人々の共感を呼び、感動を巻き起こしていくのでしょう。
「心が洗われるようだ」「何とも感動いたしました」「清々しい思いに出会いました」「私は生きる勇気を頂きました」「大いなる励みになります」「私も頑張っていきます」
そのような様々な声も聞かれるでしょう。
その話の中に、形の世界を土台にして生きていれば、そうだ、そうだと共鳴できることは多々あるとしても、土台が違う世界からは、決してそうはなりません。先ほど、五十歩百歩と言いましたが、みんなまとめて十把一からげです。一括りにまとめて、地獄へまっしぐら、それが本当のところだと私は思うのです。何度も言いますが、何と言っても土台の問題なんです。
三十年学んできても、難しいです。一口に三十年と言いますが、三十年は長い時間だと思いませんか。その間に、どれだけセミナーの回数を重ねてきたでしょうか。
日本全国、そして、アメリカ、韓国にまで、足を伸ばして、セミナーが開催されてきたのです。
もちろん、セミナーに参加されてきた人達の殆どは、一生懸命に、自分とは何か、人生とは何かを学ぼうと思ってこられたに違いありません。だからこそ、二十年、三十年と続いたのです。学ぶ動機やその他、様々な障害となるものがあって、一足飛びにはなかなか進めなかったことは事実だったとしても、ここにしか真実はないことを、それぞれに心のどこかで感じてこられたから、三十年続いてきたのだと思います。
それでも、なかなか、なかなかという感はあります。ましてや、学びをしていない人に至っては、こういうお話を耳にしても、全く素通りしてしまうのが実際のところです。全く乗ってこないです。
私は、だから嘆いているのではありません。まだまだ時間がかかることを承知で、しかし、私自身の心で感じていることは、決して揺るぎのないことだから、難しいのも分かりつつ、また、このようにパソコンのキーを叩きたくなるのです。
そこで、大変難しくて、難行苦行ばかりを強調しても仕方がありませんので、例えば、私というごく平凡な人間の事例を挙げさせていただいて、この先のページを進めていきたいと思いますので、もう少し、お付き合いください。

posted by ユーティーエーブック at 16:57| 奈良 ☀| Comment(0) | 「愛、自分の中の自分」(全24回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」はじめに


今日からは、2015年6月発行の「愛、自分の中の自分―意識の転回 ver.3―」(塩川香世 著)を読み進めていきたいと思います。第1回目は、「はじめに」の部分を著者である塩川香世さんに朗読していただきます。ページ数では、1ページから12ページの部分です。

はじめに

あなたは、「意識の転回」という言葉を、耳にしたことがあるでしょうか。
そもそも、「意識」という言葉を、あなたは日常的に使っていますか。
「何かを意識する」とか、あるいは「意識を変える」とかいうふうに、使われているかもしれません。
しかし、「意識の転回」という言葉は、どうでしょうか。なじみが薄いと思います。「意識の転回」とは何だろうか。初めて聞いたと思われる方もあるでしょう。
確かに聞き慣れない言葉です。そこで最初に断っておきます。
約三十年前から、あるセミナーが開催されてきました。そして、そのセミナーのテーマは、次のような内容でした。
「私達人間の本当の姿は目に見えません。肉体という形は私達人間の本当の姿ではありません。私達は、意識、波動、エネルギーとして永遠に存在しています。」
このテーマをクリアするための絶対条件が、「意識の転回」ということなんです。
上記のカギカッコで括られた文章は、どなたも自分の頭では決して理解できない内容です。しかしながら、それは、どなたも自分の心で理解できるのです。心で理解する。頭ではなく心で。ここが大きなポイントです。
そして、このテーマをクリアするにはとありますが、そもそもクリアする必要があるのかと言われるかもしれませんが、そうです、どなたもみんなクリアする必要があります。だから、私達は、今世もまた産まれてきたんです。産んでいただいたんです。自分の本当の姿を心で知るために産まれてきた、産んでいただいたということを、まず、心に留めておいてください。
ここでセミナー云々のところまで、話を戻します。大阪府南河内郡在住の現在御歳八十八歳の老人、田池留吉氏という人を中心に、このテーマについて、セミナーが主に日本各地で開催されてきて、三十年余りの年月を経て今に至っています。
「意識の転回」という言葉は、そのセミナーで使われてきた言葉なんです。
セミナーの中で、「意識の転回」とはどういうことなのかということを、「コペルニクス的転回」を例にとって繰り返し説明がありました。
この「コペルニクス的転回」というのは、皆さんご存じだと思います。いわゆる天動説と地動説のお話です。そうです。太陽が地球の周りを回っているという考え方(天動説)と、地球が太陽の周りを回っているという考え方(地動説)のお話です。言うまでもなく両者は全く違います。
このように、「コペルニクス的転回」に例えられた「意識の転回」とは、考え方の根本を一八〇度変える、転回をすることだと思ってください。
根本を一八〇度変えるということですから、それは、ただ単に考え方を変える、転回するというのでなくて、物の見方、考え方の土台を全く変えるということなんです。この土台というところがポイントなんです。土台を全く変えるということがポイントなんです。
そこで、物の見方、考え方の土台を全く変えるとはどういうことなのか、どうしていくことなのか、どうすればそれがスムーズに捗っていくのかということを、これから語っていきたいと思います。
田池留吉氏は、セミナーの中で、「目に見えて、耳に聞こえて、手に触れることができる形ある世界がすべてだ。そこに人間の喜びと幸せがある」とする物の見方、考え方を天動説に見立てました。そして、「いや違う。そういう世界はいずれ消え去る世界であり、私達人間の本当の喜びと幸せは、そのような世界にはない」とする物の見方、考え方を地動説に見立て、私達人間は、この天動説から地動説への転回を自分の中で起こすために、生まれてくるんだと語りました。
「人間の本当の喜びも幸せも、そして、人間という存在そのものも、『意識の転回』なくして、絶対に分からない。」
これが学びの中心部分、結論です。
しかしながら、「私達は、意識、波動、エネルギーとして永遠に存在しています」と唐突に言われても、実際は、そう簡単には分かるわけもなく、納得などできないと思います。
今、現に、肉体という形を持っているのに、それが私達の本当の姿ではなく、私達は、本当は目に見えないものなんだと言われても、それをそのまま鵜呑みにすることはできない、無理というものです。実感が湧いてきません。目に見えない世界は、文字通り目に見えないんだから、そんなものはあるのかないのか分からないというのが、現実のところだと思います。
確かに世の中には、心が敏感で色々なことを感じる人はいます。目に見えない世界があることを心で感じておられる人もいるでしょう。昔から、霊魂と通じ合うとか、霊媒とか、そういうことはあったようです。今は、さしずめ何とかのパワーでしょうか。とにかく、目に見えない世界、形がない世界のことを語ってきた人は、昔から存在していました。だからといって、その人達が、目に見えない世界、形がない世界だけを本物だと思ってそうしてきたのかと言えば、そうでもなさそうです。それどころか、実はそういう人達ほど、本当は最も危険なのです。
なぜか。
それは、まだ、自分の中で、「コペルニクス的転回」すなわち、意識の転回が始まっていないからです。つまり、それはどういうことなのかと言いますと、その人達は、「目に見えない世界、形がない世界がある」と語っておきながら、自分自身については、今、肉体を持っている自分が自分だと思っているんです。当然、その人達の物の見方、考え方は、形の世界を本物とする土台の上にあります。その土台の上で、目に見えない世界のことを語り、霊だとか魂だとか、宇宙のパワーを感じたとか、霊界と交信しているとか、本当にいい加減なことを語っているに過ぎないんです。いいえ、事態はそんな単純なものではありません。そうすることによって、みんな自分の中からどんどん、どんどん、ブラックのエネルギーを放出している、垂れ流している状態なんです。しかも、そのことがどういうことなのか、何を意味しているのかさえ知らずにいます。だから、そうしているうちに、まず、自分自身の雲行きが段々おかしくなっていくんです。それはお定まりのコース、当たり前のことなんです。
雲行きがおかしくなるというのは、例えば、俗に言う心が敏感であって、一般の人には見えないものがその人には見えたり、聞こえないものがその人には聞こえてきたりしたときに、その人達はみんなそれで、自分を表していくんです。自分は特別だと思っていくんです。自分というのは、もちろん、目に見える自分です。そして、殆どの人達は、見えた、聞こえたということに有頂天となり、振り回されていきます。自分を動かし、操っている正体は何かということには気にも留めずに、また分かろうとも、知ろうともせずに、私にはこんなことが見えるんだ、聞こえるんだという部分だけを誇張してしまいます。だから、そういう状態を野放しにしていると、その人達には、間違いなく病院行きか、何か事件かトラブルを起こすだろうという結末が待っています。なぜならば、その人達は、自分の中の思い、中から聞こえてくる声にのみ従っていくからです。そして、実はその思い、声というものは、先ほど触れたブラックのエネルギーなんです。その状態は、ブラックのエネルギーに突き動かされているといった、全くの操り人形、危険な傀儡状態です。だから、ふと気が付けば、自分を傷つけ、他人をも傷つけてしまっていたという状態になっているんです。最近、巷では、訳の分からない事件が頻繁に起こっていますが、それはこういうことだと思います。
そして、そのような操り人形、傀儡状態にある人達は、それ以上に、もっと大きな間違いを犯していきます。何かを感じるがゆえに、人を導いていこう、救ってあげよう、私には大きな使命があるという大それた間違いを犯しやすいのです。つまり、この場合も同じです。自分の心を見るということを知らないから、そこに働くエネルギーがマイナスであることに、なかなか気付けずに、自分の中から語ってくるブラックの世界のままに、人を導いていこう、救ってあげましょうと、今の自分の肉体を動かしていきます。もちろん、その人達は、ある種の使命感に燃えているのだから、誰もそこに働くエネルギーがマイナス、つまりブラックだなんて思いもしていません。自分は正しいんです。自分は偉いんです。中から届く思いがそう伝えてくるんです。中からそう語ってくるんです。あなたには大きな使命がありますよと。あなたは特別なんですよと。そうなってしまうと、狭い、狭い、そして暗い真っ暗な中にすっぽりとはまってしまって、悲しいかな、無知とエゴと欲で突き動かされていることに、全く気付けません。それどころか、それらを自分の中でどんどん膨らませて、何かを感じるがために、その目に見えない形のない世界から聞こえてくる声を、もっと知ろうとしていくし、もっと知って、もっと語っていきたいという欲の思いを募らせていくのです。人には見えないもの、聞こえないものが、見えて聞こえて感じてくれば、自分は特別だから、素晴らしいからそうなるのだと思っていくのです。そして、不幸せにも、自分には大きな使命があると大真面目に思ってしまい、信じ込んでしまい、人を導き、救うことが良いこと、正しいことだと思ってしまうのです。それが、いわゆる宗教の世界の教祖、開祖、指導者達が通るお定まりのコースです。
形の世界を本物だとする土台の上からは、なぜ人を導き、救っていくことが間違いであるのかは、絶対に分かりません。だから、そうなってしまえば、大きな使命がある人など存在しないということなど、その人達には納得できるわけはないし、絶対に分からないでしょう。
分からないどころか、それが己を掲げる思いであり、己を表す思いであり、ブラックの世界だなどとは、到底認めることはできません。自分がどれほどの悪臭を放っているのかなどということについて、全く受け入れ難いことであり、到底承服できないはずです。
しかし、形の世界を本物とする土台、自分を肉だとするところからは、間違いなく悪臭の立ち込めた真っ黒なエネルギーが噴き出しているのです。そして、その真っ黒なエネルギーが、様々な現象を起こしていくのです。もちろん、それは間違っていますよというサインに他なりません。言い換えれば、それは、気付き、促しの現象です。だから、形を見ればマイナスの現象と映りますが、その根底に流れるものはプラスの波動なんです。
本来は、マイナスの現象などないんですが、形の世界を本物とする土台からは、当然、崩れていく形の世界ばかりを見ていきますから、それはマイナスとして受け取ってしまうということです。
繰り返します。すべての現象は本来プラスなんです。にもかかわらず、なぜプラスとして受け取れないのか、なぜそこから正しく学び取ることができないのでしょうか。それは、受ける側に問題があるからです。受ける側の土台に問題ありということです。
さて、ここで話を戻します。
セミナーが開催されて、三十年以上の年月を経てきました。その間、何百回と、セミナーが開催されてきました。どれだけの時間とエネルギーを割いてきたことでしょうか。それだけの年月を掛けても、残念ながら、現実は、その中心部分である「意識の転回」がなかなかなのです。
なぜだと思いますか。そして、なぜ、「意識の転回」がなされなければ、本当のことは分からないのでしょうか。
「私達の本質は、意識、波動、エネルギーです。」
こんなたった一行のメッセージなのに、これを心で分かることは非常に難しいのです。
「誰も何もあなたを救うことはできない、あなたを救うのはあなた自身です。」
これも、セミナーで言い尽くされてきた文言です。
これと同じようなことを、どこかで耳にされたり、目にされたりした人もあるでしょう。
しかし、人間を形あるものとしてとらえた土台から発せられた言葉と、人間は形ではないとする土台から発せられたそれとでは、語る文言は同じでも、その中身が全く違います。つまり波動が全く違うんです。中身とは、言葉ではなくて、波動です。
それでは、あなたが流す波動は、プラスなのでしょうか。それともマイナスなのでしょうか。
そのことを含めて、「意識の転回」が、すべてのキーワードだということを、私なりに語ってみますので、少し、時間をください。

posted by ユーティーエーブック at 10:07| 奈良 ☀| Comment(0) | 「愛、自分の中の自分」(全24回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月04日

「愛、心のふるさと」第7回


「愛、心のふるさと」(塩川香世 著)、第7回目の今日は、「第4章 正しい瞑想が鍵である」の後半部分と「おわりに」の部分を、著者・塩川香世さんとともに読み進めていきます。ページ数では、176ページから最後204ページの部分になります。
今回で「愛、心のふるさと」は終了になります。最後までお聞きいただきありがとうございました。
なお、次回からは、「愛、自分の中の自分」を、塩川香世さんとともに読み進め、新刊「ありがとう 復刻版」の朗読へとつないでいきたいと思います。



思いの世界に生きている、思いの世界にある私とともに生きていると、認識しているから、私は瞑想をしたくなるんです。
心を向ければ、必ず響いてくる世界があります。私は、その世界を大切に育んでいます。それは唯一信じられる世界です。その波動を感じ、広げ、さらに心を向けていくこと、それだけが喜び、幸せ、温もりと出会っていく方法なんだと思っています。
なぜ生まれてきたのかとか、人生の目的は本当に何だろうかとか、そして死を、誰しもが本当に真剣に考え思わなければならない時が、必ずやってきます。意識の流れの中にあることを心で感じていきましょう。愛に目覚めよという意識の流れは自分の心の中にあります。

私は、凄まじいエネルギーであるとか、狂いに狂ったエネルギーであるとか、いわゆるブラックを称賛するつもりはないけれど、エネルギーの大きさに着目します。
すなわち、ブラックは自分の本質に目覚めない限り、ブラックのままだけれど、ひとたび愛に目覚めて、エネルギーの質を変換していけば、それは言うまでもなく、大きなパワーを発揮します。
昔、昔、宇宙に心を向ければ、我の宇宙と出てきたし、宇宙を支配するとか、闘いの宇宙とかを好み、そういうエネルギーを自分の栄養分にして、さらに大きな宇宙を示していこうとしてきた過去を感じてきました。
だから、そこには絶えず闘いのエネルギーが流れていました。闘いのエネルギーの強弱、大小で、すべてを決めてきました。温もりにパワーがあるなんて思いもしなかったことでした。
学びの時は流れました。瞑想を重ね、エネルギーの変換の体験を重ねてきました。私の中で宇宙は変わりました。
次元移行には大きなエネルギーを必要とします。大きなパワーが働いていきます。狂いに狂ってきたエネルギー、凄まじいエネルギーだからこそ、それを反転して、どんどん喜びに変換していけば、それはすごいんです。
自分に目覚め、次元移行という意識の流れを実感できる方向に、一歩進めてください。本来の愛のエネルギー、愛のパワーで、次元移行をしっかりと呼び掛け遂行していける喜びを、堪能してまいりましょう。

目を閉じて、五官を閉じて、ただ田池留吉を思う、アルバートを思う、愛、宇宙を思い、母を思い、重ねてきた転生を思い、これからも永遠に続いていく時を思う。
こうして一つの肉を用意して、その作業ができる今を喜んで、ただひたすらに思いを向けていける喜びの輪が広がっていけばと思います。
宇宙は待っているんです。本当に心から宇宙とともに存在している喜びを、その肉を通して感じ、共鳴し合える仲間とともに、瞑想をする時間と空間を持てたら、こんなに幸せなことはありません。
小さな人の集まりから、さらにその喜びの輪を広げていければいいなあと思っています。

私のふるさとは宇宙です。母なる宇宙です。私は、ともに超えていこうと、宇宙に彷徨う意識達に呼び掛けていける喜びを感じています。
一つの肉体を持ち、今、こうして心を向けられる喜びがあります。思える喜びがあります。
学びを知って、異語が出てきて、異語でふるさとのメロディーを一人口ずさむ喜びを知りました。セミナー会場でみんないっしょにふるさとを歌う場面でも、異語でふるさとを歌っていたことがよくありました。
日常では、犬と散歩しながら、犬を抱きながら、異語でふるさとを口ずさんで、幸せな時を過ごしました。
私のふるさと、宇宙。宇宙を思うとき、宇宙を呼ぶとき、たまらなく嬉しい。どんなに、どんなにこの時を待っていたか。やっと、やっと、約束を果たす方向に、自分の舵を取っていける、そんな喜びとありがとうが心に込み上がってきます。

自分がこれまで生きてきた今世の肉の時間を思ってみましょう。
父として、母として、一社会人、一家庭人として、たくさんのエネルギーを放出してきました。形の世界しか知らなかった、信じられなかった残骸がたくさんあると思います。築いてきたもの、守るべきもの、失いたくないもの、それぞれにあると思います。
しかし、学びと出会い、学び始めました。学び続けています。
今、肉として生きてきた、費やしてきたエネルギーを、本当にプラスとして受け取っていますか。それとも、まだブラック、マイナスのままでしょうか。
生まれてきた意味、人生の目的、正しく教えていただきました。自分の肉とともに、正しく学び、喜んで人生を全うしていきましょう。

愛を捨て去った間違いの転生を経てきました。本当にやっと、やっとなんです。どうぞ、自分の中のその思いに触れてみてください。どんなに狂い続けても、苦しみ続けても、それがやっと、愛だった、みんな、みんな愛だったんだ、と心でしっかりと感じてみてください。心で受けてみてください。本当に嬉しいですよ。
波動、真実の波動の世界を感じてまいりましょう。感じていける、実感できるように、自分の歩みを一歩前へ進めてください。
私達はエネルギー。愛の中に一つのエネルギーでした。

心に響き、伝わってくる波動の世界を、肉を通して真っ直ぐに伝えなさい。
思うことがすべて。思えば通じることを、波動で伝えていくのです。波動はエネルギー。エネルギーは仕事をします。淡々と、そして粛々として、ただただ思うことをやってください。私はあなた、あなたは私。私達は一つ。波動で伝えています。一つの中にある喜びと幸せを伝えています。

私達は愛です。私はいつもそのメッセージを波動として、あなたの中から流しています。すべては愛の存在なんです。愛でないものなんてありません。ただ、肉、形を本物としていては、この波動の世界が分からないんです。それほど私達の心は闇と化してしまった、そう言っても決して過言ではありません。
このことをいつ信じていけるか、これから様々な現象を通して、皆さんの前にしっかりと提示していきます。
愛でないものは一切ありません。どんなに形が崩れ去っても、そこでどんなに人々の心が泣き叫んだ状態であっても、すべては愛。愛しか存在しないことを今一度、お伝えします。
いいえ、何度も伝えていきます。愛しか存在しないんです。

あなたの心の中にある優しさ、喜び、温もりをどんどん、どんどん広げていきましょう。
ただただ田池留吉を思う喜び、愛を思う喜び、宇宙を思う喜びを心に感じ広げていくだけです。
もちろん、その喜びが大きくなればなるほどに、凄まじいエネルギーが心に伝わってくるでしょう。闇黒の中に沈み、まだこの喜びのエネルギーが届いていない宇宙達もたくさん、たくさんあります。
しかし、恐れることは要りません。それらをすっぽりと包み込む愛のエネルギーに満ち溢れていることを、あなたの意識の世界は知っているからです。田池留吉、アルバート、お母さんと心で呼べば、その愛のエネルギーは、たちまちのうちに、それらの闇黒の宇宙達に伝わり、その波動、エネルギーを感じていくんです。
もう、その時期に差し掛かっています。今、宇宙はどんどん目覚めています。肉を持たない分、その目覚めるスピードは速いのです。
どうぞ、心の針をしっかりと向けて合わせて、その喜びの世界を、さらに、さらに、広げていってください。
宇宙は無限大です。あなたは無限大です。田池留吉、アルバートの波動の世界、エネルギーはあまねく宇宙に注ぎ込まれています。
私はいつも、いつも、どんな時もあなたの心の中で伝えています。肉ができることは、私のほうに心の針を向けることです。
どうぞ、心で感じ広げている波動の世界を、どんどん、どんどん広げていきましょう。まだまだ、いいえ、限りなく広がっていく喜び、温もり、愛の世界を、私達は、ただただお伝えできることが喜びです。
出会いをありがとう。本当にありがとう。
肉も大切にしてください。たくさんの宇宙達のエネルギーを受け止めていけることを喜んでいってください。
喜びだけです。こうして出会わせていただいて、本当に嬉しいです。

宇宙に思いを向ける喜びと幸せ、どうぞ、瞑想の中で存分に味わっていきましょう。
私達のふるさと、愛、母なる宇宙は、ずっと、ずっと、待ち続けてくれていました。その思いに応えるべく肉を持ち、田池留吉のもとで学びを進めてきたのです。どうぞ、このチャンス、千載一遇のチャンスを自ら逸することなく、自分に真摯に真向かいになって、すべて喜びで受け入れてまいりましょう。
今、あなたが、どんなに苦しくても、辛くても、悲しくても、恐怖、不安の思いが突き上げてきても、それはあなたが作ってきたものに過ぎないんです。真っ暗闇をいつまでも握りしめていないで、どうぞ、ご自分の心を、もっと開けた優しい温もりの中へ解き放していきましょう。そして、今世、こうして、そこに存在していることが喜びなんだと信じられるあなたに蘇ってください。
田池留吉、アルバートのメッセージはすべての意識達、肉を持つもの、持たないもの、すべての意識達、全宇宙に向けて発信されています。
波動です。愛のエネルギーです。どうぞ、しっかりとそれぞれの心で受け取ってください。受け取り、その波動の世界に一つに溶け込んでいきましょう。喜びだけです。温もりの世界、ありがとうの世界、それがあなたの世界です。

心をしっかりと田池留吉に向けていきましょう。
気付き、促しの現象がそれぞれに起こってきます。みんな、みんな真実に目覚めていくためのものです。
肉、形を本物としてきた心に、強い、強い衝撃を起こさざるを得ないところまで来ています。
日々、本当に心から真剣に田池留吉、自分の中の愛を感じてまいりましょう。
今の肉を持って、真摯に素直に喜んで、自分を見つめていくことを約束してきたんです。そして、本当の幸せ、本当の喜び、本当の温もりを心に復活させること、自分の中のたくさんの自分に伝えていくこと、どうぞ、自分に自分が誓ってきた思いを感じてください。
私、田池留吉は、あなたの心の中でいつも、いつも伝えています。
喜び、温もり、幸せ、あなたの中から尽きることなく湧いてきます。それがあなただから。その本当のあなたに出会っていきましょうと、私は、一つの肉を持ってきました。
本当は、私は生まれる必要などなかったんです。しかし、私はこうして肉を持っています。これは意識の流れが厳然としてある証です。
田池留吉に心を向けること、心の針を限りなく合わせていくことを、私は伝えさせていただきました。
心を一つにして、ともに歩める喜びを伝えています。波動で受けてください。

自分が死んだあとの時間を思ってください。死ねば、ひとりです。今、肉を持っているから、なかなか実感が湧いてこないかもしれませが、間違いなく死ねば、自分の世界がそこにあるだけです。
そんな中で、自分はいったい、どのように存在しているのでしょうか。
本当にお母さんを思い、田池留吉を思い、呼べるのでしょうか。
そして、その手前の死ぬ瞬間はどうでしょうか。どんな思いが心から出てくるのでしょうか。
病気等で、死ぬまで時間の猶予がある場合もあります。あるいは、一瞬のうちに命を落とす場合もあります。
色々なケースがありますが、生まれてきたんですから、必ず死んでいきます。肉体を持ちながら死を学ぶ今があります。この今という時、やはり愛以外にないでしょう。
今世、可能な限り学んでまいりましょう。

たくさんの宇宙達が待っています。あなたの心の中にまだまだ数知れない意識達が待っています。優しい思いを向けてください。ただただ母の温もりの中にあったこと、私達は愛だったと、ともに、ともに帰っていこう、そう伝えてください。
田池留吉に心を向けることを、その肉を持って学んでまいりました。
私達は愛の中にあります。温もりの中にあります。だから、どんなに厳しくて、暗くて、凄まじいエネルギーであっても、いいえ、凄まじければ凄まじいほどに、それを反転していけば、どんなに大きな喜び、温もりが心に広がっていくか。それが思いを向けていく醍醐味です。
ブラックを膨らますだけ膨らませ、垂れ流してきたけれど、それを優しく温かく包み込んでいけるパワーが自分の中にあったことを、私達は今世初めて学ばせていただきました。
宇宙は待っています。優しい思いで、ただただ迎えてください。
日々の瞑想を重ね、その信を深く、強くしていくことに専念してまいりましょう。

宇宙を思って瞑想をしていきましょう。どんどん瞑想をしていきましょう。宇宙は私達の帰るただ一つのふるさとです。
もう形の世界は程々でいいではないですか。いずれその形は全く崩れていくのですから。
私達には形がありません。宇宙に彷徨っている意識達の思いを、どうぞ、どうぞ、心で受け止め、そしてしっかりと伝えてください。
いつまでも、田池留吉を欲で思い、欲で呼ぶのではなく、ただただ喜びで思い、喜びで呼んでください。
思うだけで嬉しい、思えば喜びとなっていますか。
田池留吉は宇宙、私達のふるさと、母の温もり、愛。すべてが一つです。
意識の転回なくして真実の世界を解き明かすことはできないことを、先人達の現状からその通りだと心で納得することが先決です。
自分を変えていくとは、中の意識を転回していくことを言います。そのための数知れない転生だったし、これからの三〇〇年です。
準備万端整えて、これからの転生、現象を迎えていきましょう。ともに歩みを進めていきませんか。

「喜びで、喜びでともに喜びのこの道を進んでいきましょう。」
人類の歴史の中で、初めて、本当に初めて、たった一つの真実の道が指し示されました。
私達の本当に進むべき道、そこには愛しかなかった。そこには喜びと温もりしかなかった。母の意識の中で、私達は何度も、何度もその波動を伝えていただいていたのに、それを自分の中に伝えることができませんでした。瞑想の中で、その愚かさがひしひしと伝わってくるけれど、それもみんな喜びでした。こうして待ってくれていた優しさと温もり、本当の自分の思いに触れていけば、みんな喜びでした。もう絶対に道を間違えずに、ただひたすら自分の前に広がっている道を進んでいくだけですと伝わってきます。
思いを向けることが喜びです。田池留吉と呼べることが喜びです。呼べば応えてくれます。ともにありますと。心を向けていればいいんですと。
あなたは、今世の出会いを本当に喜んでいますか。千載一遇の出会いだと心から思っていますか。
私の中にはその思いが響き伝わってくるんです。だから、どんなに肉が愚かであっても、下らない肉の思いに自分を見失うことはありません。

心を向ける喜びを感じていますか。思う喜びはどうでしょうか。瞑想をする時間をしっかりと確保していきましょう。
あなたの心の中に温もりと喜び、幸せが広がっている今でしょうか。肉をくれた喜びが心に湧いていますか。今ある喜び、今肉があって、思える喜び、ここを本当に心で感じてくれば、この学びに繋がり学ばせていただいていること、それがどんなに幸せなことなのか、どんどん心に伝わり響いてくるでしょう。
心が呼んでいるんです。心から呼んでいるんです。呼べる今が幸せだとしみじみ感じていくでしょう。
心を向ける喜び、思う喜び、思える喜びです。正しい瞑想なくして、何も分かりません。田池留吉を思うということはすごいことです。すごいということはどういうことなのか、どんなにすごいのか、もちろん説明はできません。あなたの心で感じて知っていく以外にないんです。だから、正しい瞑想を心掛けて感じて知っていってください。それが人生なんです。

心を、ただただ田池留吉のほうに向けて、そして喜び、ありがとうの時間を重ねていってください。重ねていけるように学びを進めてください。いつまでも、ちっぽけなことにとらわれずに、もっと自分を大切にしていきましょう。本当にするべきこと、本当に自分が望んできたことは何だったのでしょうか。するべきこと、望んできたことが分からずじまいで、人生を閉じていく人が殆どです。
何もない、ただ思いの世界に存在している自分と、真剣に向かい合って、自分の心の声をひたすら拾っていきましょう。
人間の心は、形の世界の産物では到底癒されません。根本的な解決にはなりません。自分の中の愛に目覚めていく、自分が愛だったと目覚めていく以外に何もありません。
いつ、どんなタイミングでそうなっていくのか、あるいはそうならないのか、それはみんなそれぞれの問題です。
ただし、そういうこととは関係なく、意識の流れの計画は粛々として遂行されています。

宇宙に思いを向けて瞑想。愛を思って瞑想。
すべてが喜び。温もりと喜びの中で、たくさんの宇宙達の目覚めがあり、そして、たくさんの宇宙達とともに次元を超えていく喜び、愛へ帰る道が心の中に広がっていきます。
待って、待って、待ち望んできた波動の世界を心で感じている今世の時間。
宇宙を心から呼べる、心から思える幸せを、淡々と重ねていけばいい。心の中から、そのように伝わってきます。
宇宙に思いを向けて瞑想。愛を思って瞑想。そうすることが、そうできる今が幸せ。だから私は瞑想をします。瞑想、思いを向けていくことが愛なんだ、そう思っています。
「次元移行という意識の流れを、しっかりと心で確信してください。そして、次の転生に必ず繋いでください。」
どなたの心にも、このメッセージが伝わっています。どうぞ、素直に、真摯に、そして喜びで、受け止めてください。今世の時間を大切にしていきましょう。

愛へ帰る道を、一歩、一歩、着実に歩んでいますか。それとも、いまだに他力の神々に、自分を売り渡しているのでしょうか。
母に今のその肉体をいただいてきたのです。その重み、喜びを心から味わっていますか。
今そこにあることが喜び、本当にこのことを心から感じてください。感じてくれば、必ず変わります。意識の世界に変革が起こってきます。喜びはパワーです。温もりはパワーです。
愛を捨て去った意識の世界には、その思いは全く届きませんでした。パワーをくれ、パワーが欲しいとしてきた自分の間違いに気付くことから始めなければなりません。
生まれてきた意味、生きる目的、心から、心から知ってください。

揺るぎない信のもとに、一歩、一歩あなたの道を着実に進めていくこと、それを私はあなたに伝えました。温もり、喜びの世界をあなたの中にどんどん広げていくこと、そのことだけがあなたのするべきことです。
田池留吉に心の針を向け合わせ、そして、どんどん宇宙と交信していきなさい。
宇宙は待っていると、あなたを通して伝えさせていただいています。宇宙、たくさんの意識達。心の中の母を捨て、愛を捨て、暗闇の奥底に沈んでしまった宇宙達。その宇宙達もともに帰れることを、喜んで、喜んでいきましょう。
私達は愛へ帰ります。そのようにあなたの中から伝えていきます。優しい温もり、力強いエネルギー、それが愛のエネルギー。愛へ帰る喜び、ただただそれがあるだけです。
私達の本質、愛へ向かうエネルギーはすごい勢いで、これから地球全土を包んでまいります。
すべては意識。すべてはエネルギー。愛へ帰るように動いてまいります。
宇宙達に心を向けたとき、あなたの心の中に、何が響いてきますか。優しさ、温もりの中へ帰りましょう。優しいメッセージ、力強いメッセージの中にあなたが伝えることは、この喜びと温もり、温かさ、広がり、どこまでも限りなく広がっていく意識の世界に存在している私達だったと、メッセージとしてお伝えください。
そのメッセージは届いてまいります。宇宙達の目覚めを引き起こしてまいります。心の中から、どんどん、どんどん、湧き上がってくる喜び、温もり。愛に帰ろう。喜びに帰ろう。ふるさと、私達のふるさとを思い出そう。そのような思いを、どんどん、どんどん引き起こしていく、それが愛のエネルギー。愛の中に私達は存在しています。


Ⅴおわりに

生活水準もバラバラで、価値基準も色々とあって、人生に対する満足度もかなりの開きがあるのが、形の世界のお話です。形の世界には、公平、平等など決して存在しません。その中でみんなが一様に、幸せと喜びの人生を享受できるなんていうことはあり得ないことです。光が当たれば影ができます。当然です。恨み節を唸っても、どうなるものでもないんです。
だからというわけではありませんが、そういうところでうろうろしないで、そういうところは程々に流して、もっと自分発見にエネルギーを注いでいきましょう。それぞれに残された人生の時間の中で、本当の幸せと喜びの時間を満喫していきましょう。
自分発見です。心の針を自分の中に向けて、自分の中の思いをどんどん掘り起こし、自分をどんどん発見し、同時に自分の中から突き上がってくる喜びと幸せ、温もりに満たされていきましょう。
みんなが一様に、幸せと喜びの人生を享受できるのは、これしかありません。あなたも、そういう過程を経て、私達は愛の中に一つだったと思える喜びを堪能していきませんか。喜びの輪に入ってきませんか。
「愛へ帰る、本当の自分に帰る」、それしかないんです。それだけをするために、私達は何度も生まれ変わってきました。
今こそ目的達成へ総力を上げて取り組んでください。過去の人生の焼き直しではなく、目的意識をしっかりと持って、自分の今と向き合っていきましょう。
「誰のために生きるのでもなし。自分のために生きなさい」、心からそう伝えてくれる己の思いに従って、これからも真実の世界を学んでまいりましょう。
最後になりましたが、あなたの中に、今一度、次のことを尋ねてみてください。
「自分がするべきことは何なのか。本当にするべきことは何なのか。そして、自分が本当にしたかったことはいったい何なのか。」
学びに出会い、少なくとも正しい瞑想を継続してきた方達は、すでに自分の心の中でその答えと出会っているはずです。
あとは、その答えを素直に受けて、それに沿って淡々と存在していけばいいだけです。もちろん、どの程度受けて、どの程度沿っていくのかは、正しい瞑想をして自分の心に響いてくる度合いによって違ってきます。
一方、今現在、学びに触れていない方達も、その答えはもちろん、自分の中にあるけれども、それに出会っていないだけです。出会っていないという意味では、不幸せな人生です。
しかし、今はそうでも、ある時期がくれば、そして条件が整ってくれば、意識の流れに乗っていきます。それがこれから二五〇年、三〇〇年に至る時間の出来事です。それは激動の時間、激震の時間と言えるでしょう。
その時間を経て、二五〇年後に結集してくる意識達があります。
二五〇年後。私は、本当にアルバートの中で、アルバートの波動を喜び、愛だった私達のふるさとへ一歩、一歩着実に歩みを進めていく仲間達と、心を通じ合わせていきたい、いこう、いくんだという思いが強いです。
肉を持ち、こうしてともに学ぶ機会をいただいている友もそうです。そして、もちろん肉を持たないたくさんの仲間達もそうです。
異語と異語で通じ合い、分かり合い、ともに行きましょうと喜び合える時間、空間を共有しながら、さらに真実の波動の世界を感じていくことは最高の幸せだと私は思っています。
出会いを待っています。心の底から歓喜の渦が湧き起こってくる体験を共有できる、そんな瞬間を待っています。
そして、意識はともに次元を超えていきます。これが壮大な意識の流れの計画です。
その壮大な意識の流れの計画に乗って、みんな、みんな、心のふるさと、愛へ帰る道に出会ってまいりましょう。
私達は愛の中に存在しています。愛へ帰る道がそこにあるだけです。その道をしっかりと自分の中に確立していけるように、ただただ喜んで、喜んで、これから存在してください。
喜びです。人生は喜びです。ただただ喜び。愛の中にあったことを心から、心から知ってまいりましょう。
厳然と、そして、粛々と流れる意識の流れをしっかりと心で感じながら、ともに、ともにあることを喜び、そして、愛に目覚めてください。
「愛、心のふるさとは、すべての意識が帰るたった一つのふるさとです。」


posted by ユーティーエーブック at 20:50| 奈良 ☀| Comment(0) | 「愛、心のふるさと」(全7回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「愛、心のふるさと」第6回


今回は、「愛、心のふるさと」(塩川香世 著)、第4章「正しい瞑想が鍵である」の前半部分、ページ数で言いますと、151ページから175ページの部分の朗読です。


Ⅳ 正しい瞑想が鍵である

ここまで記してきましたように、私達人間には、自分達の本質、自分達のふるさと、愛に目覚めていくために、これまでの転生がありましたし、これからの転生という時間(タイムリミット三〇〇年)と空間が、それぞれに用意されています。
みんな愛から出て、愛に帰る中にあり、その軌道修正を自らに求めてきたのです。その軌道修正は困難を極めますが、必ず、必ず、現実のものとしてまいりましょうと固く、固く約束してきたことを、一人ひとりが、正しい瞑想を継続していくことで、自分の中に思い出してください。
真実は、たった一つです。愛の覚醒が待たれています。次元移行という意識の流れは、今、粛々として流れ、仕事を成しています。
どうぞ、一人でも多くの方が、そして一日でも早く、正しい瞑想をして、その意識の流れを自分の中に流してください。ともに帰れる喜びを自分の中で確認してください。
意識の転回、愛の覚醒という人生の唯一の目的を達成するためのキーワードは、「正しい瞑想」だということは、ご理解いただいていると思います。「正しい瞑想」を知らない人、できない人は、本当のことは何も分かりません。ということは、その意識の世界は闇黒だと申し上げてもいいでしょう。よって、是が非でも、「正しい瞑想」をしてください。
繰り返します。
「正しい瞑想」とは、田池留吉を思う瞑想です。田池留吉に自分の心の針を向けて合わせていく瞑想です。
田池留吉とは、自分の中の愛です。心のふるさと、愛です。
田池留吉という人名が付いていますが、お伝えしている通り、田池留吉氏ではありません。田池留吉とは、田池留吉の世界、意識の世界を言います。その意識の世界はあなたのふるさと、愛なんです。それが本当のあなた自身なんです。
だから、田池留吉を思うということは、愛を思うということ、本当の自分を思うということです。
正しい瞑想は、自分の中に喜びと温もりをしっかりと広げていけるたった一つの方法です。
正しい瞑想をすることが、正しい瞑想ができることが、自分を救いゆくたった一つの方法なんです。
このことは、正しい瞑想をしていけば、自ずと分かることです。これしかないことが分かります。
だから、さらに正しい瞑想ができるように、自らをいざなっていきます。それは愛のエネルギーです。自分の中の愛のエネルギーが自分をいざなっていくんです。
その様を瞑想の中で感じていけば、どれほど今という時がありがたい時なのか、そして、どんなに自分は恵まれた存在であるのかが、心に響いてきて、その思いは、さらに瞑想に拍車をかけていきます。いい方向に、いい方向に、自然に循環していくんです。
そうすれば、自分の外に何かを求めることは、全く違っていた、間違っていたことなど、はっきりと分かってきます。外に求めることがどんなに愚劣なものなのか、あなたの心ははっきりと伝えてくるのです。

いつも、いつも、田池留吉の世界に心を向けている自分であるかどうなのかということです。田池留吉以外のものは、みんなブラックです。
そう言い切れるまであなたは、自分の心の中の田池留吉の世界を信じていますか。知っていますでしょうか。
本当の喜びと幸せが自分の中で広がっていけば、どこにいても何をしていても、思えば嬉しいのです。思うだけで嬉しいんです。
何が、何で、そんなことはどうだっていいんです。自分の中はみんな知っているんだから、それに出会っていけば、自ずとそうなってくることが実感できます。もともと幸せだった自分を思い出し、復活させていけばよかっただけだったことが、本当に心で納得できます。
そうなってくれば、あとは、日々、自分の日常の中で無理をせず、自分のペースでゆったりと思いを向けていく喜びが待っているだけです。
それに沿って生活をしていけば、自分を自分がさらに喜びへ幸せへいざなっていくんです。
ああ、本当に幸せな人生だったと、心から、本当に心から湧いて出てくるような時間をできる限り、たくさん、たくさん持っていきましょう。
何も難しいことはありませんでした。本当に幸せは、そこら辺にゴロゴロと転がっていました。幸せを幸せだと思えないようにしてきただけのことでした。

瞑想をしましょう。正しい瞑想をしましょう。
そして、幸せな自分、喜びの自分、これからのこと、色々、色々、心で感じ心で味わってください。
正しい瞑想を継続、日常化して、本当の喜びと本当の幸せを味わっていきましょう。
正しい瞑想を通して、限りない温もり、限りない優しさ、限りない喜びの中で、こうして、今という時を迎えていることを、実感してください。
そして、間違い続けてきた自分の道を、自分の中の愛のエネルギー、パワーで、真っ直ぐに、ただひたすら真っ直ぐに、愛へ愛へと進めていきましょう。

さて、目に見えなくて、耳にも聞こえなくて、形も匂いも何もない世界に、たった一つある真実を知っていくために、「日々、正しい瞑想を」ということで、私自身も励行しています。
以下、日々の瞑想を通して、私の心に上がってきた思いを掲載させていただきました。

「自分の中にすべてがある。自分の中に温もり、優しさ、喜びがある。心を自分の中に向けていけば、本当の自分が応えてくれる。」
これを自分の中に確信すればいいんです。いいえ、みんな確信できるようになっています。
だから、確信できれば、あとはどんどん自分の中に針を向けていけば、もう自分達はどんなに幸せであるか、どなたの心にも響いてきます。素直に自分の周りを感じてください。素直になって、自分の心の声を聞いてください。母の思いを感じてください。
何ということもなかったんです。幸せな自分がそこにいるだけです。ありがとうと言っている自分がそこにいます。私達は、その自分とともに存在していくことを学んできたはずです。
だから、すごい学びなんです。学ばせていただいたこと、いただいていることに、感謝、感謝しかないでしょう。
嬉しいから瞑想をします。幸せだから瞑想をします。
思いを向けることが、本当の喜びであり、本当の優しさなんです。

私達は愛に帰る、本当の自分に帰る道筋にあります。
これは絶対の真実です。このことをあなたの心で知ってください、感じてくださいということなんです。本当に心で知っていけば、感じていけば、すべてが整っていたことはつぶさに感じられます。
そして、みんな愛の中にあった、もともと幸せ、喜び、温もりのエネルギーとして存在していたことが自分の心で分かります。自分の心で分かるんです。自分の意識の世界でキャッチできるんです。それを実感してください。そうすれば、人生、すべては喜びです。自分という存在は喜びだということが分かります。
喜びの自分を苦しみの自分に変えていった愚かさ、無知を感じて、感じて、そして、そこから喜びの自分とともに存在していく道に、一分、一秒でも早く出会ってください。

「どのようにして生きていけばいいのか。何を求めて生きていけばいいのか。どうすれば心から幸せだと思えるのか。本当のことは確かにあるんだけれど、それはいったいどこにあるのか。何が本当のことなのか。」
自分の中の疑問が氷解していく過程をこうして歩ませていただいていることが、私には本当に嬉しいこと、喜ばしいことです。
自分の外に探し求めてきたものはみんな、泡のように一瞬にして消え去っていった数知れない体験があるのに、それでも懲りずに自分の外に求めていってしまう心癖を打破することは、確かに難しいことでした。しかし、不可能なことではなかった。針の向け先が間違っていることを伝えてもらったから、それを素直に実践していけばいいだけのことでした。
「本当のことは自分の中にある。自分の中に本当の自分がいる。それが愛と呼んでいるものなんだ。自分は愛とともに、愛の中にあるんだ。」
心を中に向ける瞑想、内なる田池留吉、本当の自分に合わせていく瞑想の時間を重ねながら、長年の疑問に、こういう解答を引き出していった現実を前にして、益々瞑想に磨きがかかります。
プラス、プラスに転じていく瞑想の手応えを感じています。

我は神なりの下らないちっぽけな世界から、自分を一日も早く解き放してください。自分を自由にしてあげてください。
自分の中の苦しみ、哀しみ、閉塞感等々の暗くて重いエネルギーに愛、優しい温もりをお伝えください。ともにあることをお伝えください。私達は愛だったとお伝えください。お伝えできる喜びと幸せを、満喫してください。
上からの目線では何も伝わりません。ともにあることを優しさと温もりの中で伝えているか、いつも絶えず自分の中の針の向け先を確認しながら、一歩、一歩、慎重に、しかし、しっかりと歩みを進めてください。

心を向けていけばいくほどに、ただただ嬉しい。思うだけで嬉しい。宇宙は待っているし、だから、宇宙に思いを向けると、どんどん応えてくれます。それが本当に何とも言えない喜びです。
真っ暗な中で彷徨い続けてきた自分に、私は、今、こうして温もりと幸せ、そして愛へ帰る、本当の自分に帰る喜びだけを伝えることができるなんて、これこそ奇跡としか言いようがありません。そして安らぎを感じます。
肉という形を持っている私がここにあります。肉というものは、今世だけでも、習慣とか慣習とかといったものに自分をはめ込んできたんだから、肉の自分の思いはとても小さなものです。
しかし、私は全くそれとは違う自分を知っているし、感じています。だから、私はすうっとその自分の世界を心に広げていくことができます。
そうすると、本当に違うんです。自分の中に奇跡が起こったんです。その奇跡が喜びとなって、温もりとなって現実に、今、私の中に広がっていく体験を瞑想の中で重ねていくことができます。
だから、瞑想は喜び。瞑想だけが真実の世界を伝える術でした。
形も、色も、匂いも、言葉も何もない。ただ思いが広がっていく。その思いは優しさ、温もり、広がり、ともにある喜びの世界でした。

本当のことを知るために、本当のことを自分に伝えるために生まれてきたんだと、自分の心で本当に知ったとき、何もかもうまく仕組んできたと思わざるを得ないです。
仕組む、それは自分の計画ですが、自分の中はみんな知っていた、知ってこうして肉を持ち、肉の環境を設定、整え、自分をいざなってきたんだと実感です。
そのエネルギーはいったい何だろうかと思うとき、ああ、本当の自分が自分をいざなってきたんだと心で思えます。だから、瞑想は喜び。瞑想をすればただただ幸せと喜びを感じます。
どんなに苦しい中にあったとしても、こうして自分に本当のことを伝えることができる今がある、こんな時を迎えられる今が私には何ともありがたいです。
肉から見る世界、意識から見る世界、全く違っていた。本当にすごいとしか言いようがありません。
そういうすごい心の体験を重ねられるということが、喜び、幸せです。
それは、目を閉じて、心を向け合わせていくしかないんです。肉を持たせてもらったから、学ぶことができました。だから、ありがとうしかありません。

母の思いが伝わってきます。たくさんの母から思いが伝わってきます。
ありがとうだけしかありません。肉を持たせていただいてありがとう。
ありがとうと言えることが幸せです。
見ること、聞くこと等、五官によって入ってくるものに、心が動かないはずはありません。しかし、心の針を向けて思うことを学んできたんだから、その振幅は驚くほどに小さくなっているはずです。
いつも、そして、ふっと自分の中に戻る大切さを学び、会得し、自分の中に戻れる幸せと喜びを広げていける、こんな人生ほど幸せな人生はないと私は思っています。

「喜んで、喜んで、ただ喜んでいけばいい。」
気に食わない人、気乗りのしないこと、気に染まないこと、気をもむこと、その他、自分を汚してきた諸々を山のように積み重ねてきた数知れない転生。どんなにしても幸せが分からなかった。どんなにしても喜びはすぐに苦しみへ変わっていった。けれど、なぜなのか分からなかった。
そして、今世生まれてきました。そして、学びに繋がりました。そして、基盤を変えることが、そのなぜの疑問に答えることであることを学びました。一生懸命に学びました。学ばせていただける環境を喜びました。みんな自分で計画してきたことだけれど、私は自分の人生に、今世、初めて満足しました。
今は、宇宙を思うことを励行しています。宇宙を思うということは、愛を思い、田池留吉を思い、アルバートを思い、母を思い、ふるさとを思うこと。
「思うことがすべてで、思えることがすべてで、そして、喜んで、喜んで、ただ喜んでいけばいい。」
このことは、正しい瞑想を継続、日常化していかないと自分の心で分かりません。だけど、正しい瞑想を励行していけば、いとも簡単に誰にでも分かることでした。
そして、それからが本当の学びでした。肉もない、名前もない自分の仲間達に呼び掛け、ともに存在している喜びと幸せを、温もりの中で伝えていきましょう。

私は、死後の自分を感じ、死んだらどうなるのか、今、はっきりと自分の心で感じていくことが大切だと思っています。
それが一番、これからの自分にとって、大きな意味を成していくと思います。それを心で感じ、心に広げ、そのことをどんどんどんどん、そうだ、そうだと心で感じていくことが、自分にとって一番大事なことだと思うんです。
自分の死後は、今、現実的なものです。死んで自分はどうなるのか。
心の中で感じ、それが現実のものとして今、心で感じられること、その感じたものをしっかりと受け止めて、それを、自分の学びのポイントとしていく、自分の歩みを進めていく、その思いはとても大切だと思うんです。
だから、私は、自分の死後を呼ぶ瞑想、自分の死後を感じる瞑想、自分の死後と語る瞑想、そういう方向に心を向けて、その時間をたくさん持ちたいと思います。

最初から幸せだったと心で感じている今でしょうか。瞑想は喜びとなっていますか。心を向ければ、ありがとう、嬉しい、幸せとなっていますか。宇宙に心を向けていますか。宇宙を呼んでいますか。宇宙の波動を心で受けていますか。宇宙と対話していますか。心の底から突き上がってくる体験はどうでしょうか。
異語を発していますか。どうぞ、宇宙と思い、愛と思い、異語で語ることをやってみてください。異語は波動です。異語は宇宙のリズムです。
異語を発して、自分の中の宇宙が反応していくことを実感してください。宇宙は生きています。あなたの中で、あなたとともに生きています。そういうことをどんどん感じられる瞑想の時間を持っていきましょう。
瞑想は楽しいです。瞑想は嬉しいです。ともにある喜びが感じられます。そんな瞑想の時間を重ねていけば、自分とは何だろうか、自分の周りの人達や出来事とは何、生きているとはどういうことだろうか、死ぬとはどういうことか等々の問いかけを、自分の中でしっかりと検証しながら、着実に歩める喜びを実感できると思います。

自分の身近な人で、学びに触れた人で、もうすでに死んでしまった人がいる人は、その人達に意識を向けて現状把握していくことをやってみられたらどうでしょうか。
同時に自分の死後、死後の自分を語ることをしていけば、よりいっそう今、肉を持っている今が、大切だと実感できるのではないでしょうか。
私は、そういうことを活用しながら私の勉強を進めています。
私の場合、愛犬の死も体験していますので、もちろん、そちらのほうにも意識を向けています。
結果は言うまでもありません。分かり切っていることを実際にやってみるのも勉強です。その違いは歴然としますが、そういうことも自分の勉強の一つに加えることによって、生きているということ、死んでいるということ、その境目はなく、みんな意識であるということが鮮明に心に響いてきます。
色々と自分で工夫して、瞑想を楽しんでいきましょう。自分を救うために生まれてきたんです。自分に本当のことを伝えるために生まれてきたんです。そこのところ、一日も早くスイッチを切り替えて、瞑想ができる生活環境を整え、喜んで今、学んでいきましょう。

正しい瞑想をするには、やはり母の温もりです。温もりの中にどんどん自分をいざなっていく優しさ、パワーがあると、確認、確信する体験を重ねていくことです。そうしていくと、段々喜びと温もりが大きくなって、さらに自分を受け入れていく喜びを感じます。喜びと温もりの層が厚くなって、さらに心の針が合ってくるということ、つまり、正しい瞑想ができてくるということでしょう。それはまさに相乗効果です。

何をするために生まれてきたのか。何かをしなければならなかったんです。その何かが全部、全く全部違っていました。そもそも、生まれてきて死んでいくまでが人生だとしてきたことが間違いでした。
何かをしなければならなかった。その何かを知りたくて、だけど結局分からずに、世の中という流れに流され、染まり、小さな幸せと喜びに満足せざるを得ない、あるいは失意のうちに幕を閉じていくか、そんなことばかりを繰り返してきたように思います。
神とか仏とか宇宙のパワーとか、そんなもので幸せと喜びを手中に収めることができると信じてきた己の愚かさに、ようやく今世の肉を通して出会え、自分を知らずにきた愚かさに懺悔しかありませんでした。
だから、「あなたは愛です」というメッセージほどすごいものはないです。そのメッセージを心で受け、波動を感じ、波動で応えていく瞑想の時間を持つ、持てるほどすごいものはないです。
死ぬまで元気で瞑想三昧。何かをしなければならなかった。その何かを心で知って、豊かな、本当に心からありがとうと思える時間を、自分の中に広げていきませんか。田池留吉の意識が三次元にやってきたから、それが可能となりました。私はそれを心で知り得ました。だから道は真っ直ぐです。

「すべては真実の自分に目覚めるために。愛である自分に目覚めるために。」
今のこの肉体を持って、学びに触れ、学びを進めてきた時間を朝の半身浴でふと思いました。
前記のメッセージのシナリオを自分に用意してきた現実を思い起こし、形として現れ、それを促し、また形は消えていき、その中でそのメッセージは忠実に遂行されてきたんだと感じられます。
日々瞑想を重ねていけば、本当に意識の流れは何の狂いもなく流れていて、その中にあったことに気付いていくようになっていることを感じます。
すごいと思いました。どんなに間違い続けてきても、どんなに苦しみ続けてきても、待ち続けて信じ続けている自分の存在に気付くように、気付くように自らを促している、そんなことが実感として心に響いてきます。
心の針を向けて合わせていく瞑想をしていればそれでいい。それだけ。私は本当にそう思います。愛、宇宙、田池留吉、アルバート、お母さん、それが私のふるさとでした。私のふるさとを思い、瞑想をするだけです。

幸せと喜び、温もりは自分の中にあった。それは本当だったんです。だから、心を向ければよかっただけでした。いつでも、どこでも、どんな時も、自分はその中にあったんだということでした。
こんな単純なことが、こんな簡単なことが、なぜ、長い、長い間、分からなかったのか。本当にそう思います。そして、分からなかったから、苦しい転生を繰り返してきたことも頷けます。
嘘みたいだけれど、本当です。心の向け先ひとつでした。ただそれだけでした。温もりと喜びの中で広がっていきます。

日々、生活のリズムが一定していて、そして、ありがとうの思いが自然に出てくる生活。そんな時間が過ぎ去っていく中で、ただ思うは意識の流れ。宇宙とともにある今を、喜んで、喜んで、ただひたすらに瞑想をします。
肉を本物として存在してきた転生の結果、ようやく宇宙という自分のふるさと、帰るべきふるさとを心に広げていける転生に出会いました。
宇宙を思うとき、私は本当に嬉しいです。異語で語り合える時間がたまらなく嬉しい。肉という形を纏った私の中で、宇宙達の喜びがつぶさに感じられます。私達は、温もりと喜びが湧いて出てくる世界にあったことを、確認しています。だから、瞑想は喜びだけです。
心を向けることが、どんなに素晴らしいことなのか、どんなにすごいことなのか。私の中の田池留吉、アルバートの意識とともに、この道を、ただひたすら真っ直ぐに前進あるのみです。
それが私の切望してきたこと。そして、意識の流れの計画。愚かな肉を携え、ようやく自分の計画を知っていく時間となりました。ありがとう。

posted by ユーティーエーブック at 19:52| 奈良 ☀| Comment(0) | 「愛、心のふるさと」(全7回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月03日

「愛、心のふるさと」第5回


今回は、「愛、心のふるさと」(塩川香世 著)、第3章「愛へ帰ろう。心のふるさと、愛へ」の後半部分、ページ数で言いますと、124ページから149ページの部分の朗読です。


誰しも耳に心地良い言葉を聞きたいし、優しい態度で接してもらいたいでしょう。あえて、厳しいことを言われたり、冷たい態度を受けたりすることを望む方はいないと思います。
耳に心地良い言葉、優しい態度は、確かに励まされ、癒され、元気づけられていくかもしれません。しかし、それは一時的なこと、そして、案外そういうことは、自分の心を見るチャンスを摘み取ってしまうことになるかもしれません。
だから、肉的なことで一喜一憂しないで、いつも自分の中に心の針を向ける習慣を身につけることに専念しましょう。それは、自分と自分の対話です。そこから引き出されたものを、さらに自分の糧にして、自分の歩みを進めていくようにしてください。
自分と自分の対話ということですが、たとえば、こういったことです。
「本当の自分とは何ですか。本当の自分はどこにありますか。本当の自分を知っていますか。存在を確認していますか。信じていますか。その度合いはどの程度ですか。自分のこれからが見えていますか。」
「自分の展望は明るいですか、暗いですか。肉体を持っている間、何をしていきますか。」
「今、心に引っかかることはありますか。棘のようにチクチク痛みますか。心を残すようなことですか。」
「今、一番関心があることは何ですか。何か望むことはありますか。」
「今、幸せですか。生きてきてよかったと思えますか。生きていくのは大変だと思いますか。」
まだまだ色々な問いかけがあると思います。どんどん自分に問いかけて、そして、返ってくるものから、また自分の歩みを進めてください。
自分と自分の中の対話。自分と自分のお勉強。自己確立です。
自分の心を見て、自分の出すエネルギーを知って、間違ってきた自分のエネルギーの質を変えていくように、変えていくように仕向けているのは、自分の中の愛。その愛に目覚める。目覚めれば、思うだけでそのエネルギーは仕事をしていく。そうして数限りない意識達とともに、次元を超えていく計画をしっかりと遂行していく。そのルートが自分の中ではっきりと確立していることを自己確立と言います。
その自己確立の中でこそ、本来の自分の姿が、現状がはっきりとしてくると思います。そして、そこからまた一歩、自分の歩みを進めていけばいいとなってくるでしょう。
そんな時間と空間がそれぞれに用意されているのだから、それがどんな状態を呈したとしても、それは、みんなプラスなんです。形の上からはマイナスであっても、やがてそれは必ずプラスに変わっていきます。もともと、プラスの要因しかないんですから。マイナスは必ずプラスに変わっていきます。私達の本質は愛、すべては愛の中にあるからです。
それに目覚めるように、目覚めるように、肉体というものを正しく活用して、そこから得る情報によって、しっかりと自分の心を見ていくようになさってください。喜びで心を見ていきましょう。

日々、淡々と一定のリズムの中で暮らす。そして、その中で、自分と自分の中の対話を楽しみ、自分が今、ここにこうして肉を持っている現実を、ただ素直に喜び、それを自分の糧として、これからの自分の時間に思いを馳せていく、そういう道筋、確かな自分の道筋を自分の中で確認できる、これほど幸せなことはないでしょう。
意識の世界には形はないんです。目に見えません。そして無限です。それが私達の本当の姿です。目には見えない世界のことだから、自分の心で感じて、感じたものを信じていく以外にないのではないでしょうか。
そして、確かに、聞いて分かる、納得するという内容の話でもないけれど、どうすれば、どうしていけば、そして、どうなることが、本当に自分が望んでいることなのかは、みんな自分が一番よく知っているはずです。
自分の動く心を見て、自分が瞬時に流すエネルギーを感じて、そこから自分の中が何を求めているのか、徹底的に自分から答えを引き出していくことしかないのです。
どんな思いで、今世生まれてきたのか、来世生まれてくるのか、瞑想の中で何度も、何度も確認してください。そして、その思いが自分を導いているんだと知ってください。そんな自分に忠実に存在してください。
肉を生かすための人生ではありません。本当の喜びはどこにあるのか、本当の幸せは何なのか、過去死んだ自分から、そして、来世生まれてくる自分から学んでいきましょう。
「間違った輪廻から抜け出して、必ず、必ず、本当の喜びと温もりの中に戻っていく道を歩いてまいりましょう。」
本当の自分からのメッセージです。これは本当の自分と交わした固い約束です。どうぞ、あなたの心で受けてみてください。受けていけるあなたに蘇ってください。

正しい瞑想の正しいとは、心の針の向け先を言います。
ここまで、意識の流れというものがあって、それは、すべての存在に、心のふるさと、愛へ帰ろうという呼び掛けを発信しているということ、それを心で知っていくには、自分達の意識の変革が必要だということ、そして、それを促していくために、正しい瞑想をしてくださいということを記してきました。
正しい瞑想とは、言うまでもなく、あなたの内なる田池留吉に心の針を向けて、合わせて、思うということです。次章のタイトル通り、すべては正しい瞑想ができるか否かにかかっています。
一〇〇点満点の瞑想ができなくても、ほんの少しでも、ほんの微々たる程度でも、内なる田池留吉に心の針が合ってくれば、それは本当にすごいことだと納得するでしょう。
ただし、いくら正しい瞑想をしようと思ってみても、それを阻止しようとするたくさんのブラックのエネルギーを抱えて生まれてきたのが私達ですから、そう簡単にはできないのが現実です。
それでも、それでも、していかなければならないんです。だから、する方向に是が非でもいってください。
そして、正しい瞑想、田池留吉を思って瞑想をしていけば、あなたの心から、お母さん、アルバートと必ず出てくることを確認してください。
あなたの心は、必ず、必ず、アルバートと呼んでいきます。そして、宇宙を呼んでいきます。そして、この宇宙を思う、思えることが、たまらなく嬉しい、懐かしいとなってきます。

今、突然ですが、アルバートという言葉を出してみました。
宇宙という言葉は、第Ⅱ章より頻繁に出てきますが、アルバートという言葉は、この箇所が初めてです。
そこで、アルバートとはいったい何だろうかとか、また、宇宙とは、世間で言っているあの宇宙とはどうも違うようだが、今ひとつよく分からないとか、思われている方もあるでしょうから、「アルバート」と「宇宙」について、少々説明をさせてください。

①アルバート
アルバートは、田池留吉と同様に人名ですが、それらは、ただ単に人の名前というのではなくて、真実の波動の世界の総称だと思ってください。
そもそも、真実の波動を伝えるために、その意識の世界が肉という形を持ったのは、今世が最初でした。田池という家に生まれたその子は、留吉と命名されたので、真実の世界=田池留吉となりました。
そして、その真実の波動の世界が今度、肉という形を持つのが二五〇年後という計画です。その時の名前がアルバートです。
そういう意味で、田池留吉も、アルバートも人名には違いありませんが、それよりも、その名称は、真実の波動の世界を指している、田池留吉、アルバートと言えば、意識、波動、エネルギーなんだとご理解ください。
そうすると、田池留吉の肉がある今世の時間は、どんなにすごい時間なのかということになりはしませんか。
今世から、二五〇年後にアルバートという波動が肉を持つまでの間、皆さんがこの地球上に転生をしてきても、真実をお伝えする人は誰も現れないということです。
その間、皆さんに何度転生があるのでしょうか。その転生のたびに、また心を落としていくのでしょうか。そういったことも、本当に真剣に思ってみてください。

②宇宙
もちろん、世間一般に言われているあの宇宙ではありません。宇宙もまた、意識、波動、エネルギーです。
従って、宇宙は、私達の外にあるのではなくて、私達の中にあるんです。言ってみれば、私達は宇宙そのものなんです。
ただし、私達は本当の自分である愛から遠くに存在し続けてきたので、私達の中の宇宙は闇黒の宇宙となってしまいました。自分達の中に闇黒の宇宙を作り続けてきたんです。
田池留吉もアルバートも私達の中にある世界、宇宙です。それは、たった一つの真実の世界。もともとあった宇宙です。
そして、闇黒の宇宙も私達の中にある世界。ただし、それは自分が心を見て、どんどん正しい方向に心を向けるように努めていかなければ、どこまでも闇黒の宇宙のまま。田池留吉、アルバートの宇宙とは決して相和することはできません。
つまり、闇黒の宇宙を心に抱えたままでは、次元移行という意識の流れには乗れないということなんです。
従って、私達の中にある宇宙という波動、エネルギーが、どんどん田池留吉、アルバートの波動、エネルギーの中に溶け込んでいくことが必要となってきます。それには、正しい瞑想が何よりも、何よりも必要なものなんだということです。

さて、アルバートと宇宙についての説明より、正しい瞑想がいかに大切であるか、ご理解いただけましたでしょうか。
正しい瞑想ができるようになって、どんどん田池留吉の波動、アルバートの波動、それは、自分達の心の中にもともとあった宇宙なんですが、その宇宙の波動を感じていただきたいと思います。
田池留吉の波動、アルバートの波動ということですが、それらは、決してバラバラのものではありません。すべては愛でした、愛の中で一つ、ということを伝えてきます。
その波動は喜びです。温もりです。温かいんです。優しいんです。広いんです。そこを本当に心で感じ知っていけば、「宇宙は、私達の帰るたった一つのふるさとでした」ということが、自分の心で分かってきます。
そして、それが「愛」ということでした。
私達が帰るたった一つのふるさと、私達はそれを「母なる宇宙」と呼んでいますが、その母なる宇宙へ帰る、つまり、愛へ帰る旅路の途上にある自分達だったことを心で感じてくれば、もう誰が何と言おうが、ただただ、ひたすらに田池留吉を思っていこうとします。それがたった一つの喜び、幸せだということが、はっきりと心で分かるからです。
このことは、あなたの頭では決して分からないことですが、正しい瞑想をするように、するように、自分を仕向けていけば、あなたの中から、アルバート、そして宇宙、愛、お母さんと呼ぶ、いいえ叫ぶ、何とも言えない嬉しい思いが、異語とともに飛び出てきます。ここを体感すれば、「瞑想は喜び、本当に喜び」となってきます。
異語とともにとありますが、異語とは、日本語、英語、中国語とかいうものではありません。異語には主語もなければ述語もありません。
デタラメを言っているように聞こえますが、それは私達の中の宇宙という意識が、自分達の思いを伝えているんです。それを波動としてキャッチできれば、それぞれの心にストレートに響いてきます。
あなたも異語で、どんどんと自分の思いを語ってみてください。語っていけば分かります。実践を通して心で感じてみてください。

もちろん、私の中では、すでに、田池留吉と言えばアルバート、アルバートと言えば田池留吉、田池留吉の宇宙はアルバートの宇宙、アルバートの宇宙は田池留吉の宇宙となっています。
田池留吉の意識は、その肉を持って、アルバートの波動を伝えに来てくれたんです。このアルバートの波動を、全宇宙が待っていることを、私の意識の世界は知っています。だから、内なる田池留吉に心の針を向けて合わせていけば、必ずアルバートと呼ぶたくさんの宇宙達を感じます。
意識の流れはアルバートとともにです。田池留吉の意識は、アルバートの意識。田池留吉を思うことは、アルバートを思うこと。私は、そのように自分の中ですでに結論付けています。
私の中では、田池留吉とアルバートを切り離すことはできません。田池留吉に心の針を向けて合わせるということは、アルバートを思うことなんです。
アルバートと呼ぶことが嬉しくて、田池留吉の異語はアルバートの波動を伝えてくれていて、そして、母なる宇宙を伝えてくれていて、だから、ただただ、田池留吉を思い、アルバートを思うことが喜びとなっています。
そういう状態の中で、宇宙を思い瞑想すれば、私の中の宇宙は限りなく広がっていくことを感じます。それを表現すれば、次のような感じです。私の中の宇宙達が語ってくるんです。

「田池留吉、アルバート、私達はともに次元を超えていく意識でした。私達は田池留吉、アルバートのもとに一つの意識でした。」
私は宇宙に心を向けると、心の中の宇宙達がそのように語ってくるのを感じます。ともに、ともに歩いていく存在。ああ、ああ、私の仲間。喜び、喜び、喜びです。
「ともに連れだって、心の中を、ああ、私達は見ていきます」と伝わってきます。
私は、今肉を持っています。この肉を持ちながら、宇宙を呼んでいます。
広く、広く、どこまでも広がっていく私の中の宇宙。宇宙を呼ぶことが私の切なる思いでした。宇宙に心を向け、ともに帰ろうと、母の温もりへ帰ろうと呼び掛けていくことが喜びでした。
「心の中の田池留吉、アルバート。優しい母の温もりの中へ私達は帰ります。愛へ帰る道をどんどん歩いていくこと、どんどん突き進んでいくこと、ともに、ともに歩いていける喜びだけを心に感じ、私達は、存在していきます。」
このことを固く約束してきたことを、私は、今世、思い出しました。
ともに、ともに語り合える仲間を心に呼び寄せ、私は必ず帰っていきますと、この三次元で転生を繰り返し、私は、そのように自分に約束してきたことを思い出したんです。
田池留吉、アルバートの意識の世界に私達は本当に一つ。温もりの中へ、喜びの中へ帰る意識だと、私の中に愛溢れるエネルギーが、本当にあったことを今、心から伝えられる喜びだけが響いてきます。
私は、本当にこの世界を感じ幸せです。田池留吉、アルバートの世界は私の中にありました。ああ、ありました。私達は喜び、喜び。
喜びで、喜びで存在していくエネルギーとして、心の中をどんどん広げてまいります。

今、宇宙を思う瞑想の一例を挙げさせていただきましたが、これは決して特別なことではなく、もうすでにどなたの心の中にも響いてきているはずなんです。意識の世界は一つなのだから。
約束を思い出したと語りました。あなたは今現在どうでしょうか。自分との固い約束を思い出しましたか。その自分の思いに触れれば、おそらく、きっとあなたも自分の中の宇宙達に、どんどん呼び掛けていくでしょう。「愛へ帰ろう。私達のふるさと、愛へ」と。

意識の世界は一つだと記しました。
過去の死んだ自分から、そして、来世生まれてくる自分から学んでくださいとも言わせていただきました。
意識の世界は、形の世界のように、過去、現在、未来が順番にあるのではなくて、現在、今があるだけなんです。今という一点の中に、過去も未来もあります。
だから、今、あなたが心をどんどん見て、心をどんどん田池留吉の意識の世界に喜びで向けていけば、あなたの過去も未来も変わっていきます。
そして、過去のあなたが、未来のあなたが、今のあなたに伝えてきます。
そんな過去のあなたと、未来のあなたとともにある喜びの中で、今という一点に私達は一つということを、ぜひ、瞑想を通して実感していただきたいと思います。
この章の締めくくりとして、二つの文章を掲載します。
今の私と、過去の私、そして、来世の私が一つになって、ともに「愛へ帰ろう。心のふるさと、愛へ」の思いを確認し合っていると思います。
今の私が語っているのかと思えば、それは過去の私だったり、来世の私の思いなのかと思えば、それは今の私の思いだったりしていると感じていただければ幸いです。

お正月に神社に行った。お墓参りをした。仏壇に手を合わせた。宗教団体の教祖を心に入れた。南無阿弥陀仏と唱えた。そして、アマテラスに仕えてきた自分。伊勢神宮には結婚の報告を。そして、奈良の大神神社には、年に何度も訪れた。
たくさんの、たくさんの間違いを繰り返してきた。だけど、今の私の心の中にあるのは、ありがとう、ありがとう、ありがとう、私は愛に帰ります、私のふるさと、母なる宇宙へ帰ります、この思いだけです。
だから、私は、今こうして、肉体を持っています。田池留吉の意識と出会わせていただきました。学んでまいりました。
千載一遇のチャンスだと、千載一隅の出会いだと心で知りました。田池留吉の意識、アルバートの世界、その宇宙、母なる宇宙の波動、心で感じさせていただきました。
どんどん心を向けていく喜びを感じています。私の中で、田池留吉、アルバートの世界は広がってまいります。限りなく広がっていく意識の中で、ともに歩めることを喜んでいる私があります。
間違い続けてきました。祈り、願い、宇宙を支配し、自分の保身のために、我が一族の保身のために、虫けらの如く殺傷してまいりました。
政治を動かす影の力となり、神の言葉を発してまいりました。すべてがブラックの世界。心を闇に売り渡し、私は、地獄の奥底の底の、底の、奥底に真っ逆さまに落ちていくだけの転生でした。
しかし、私は、懲りずに、何度も、何度も同じ間違いを繰り返し、こうして、今、一つの肉体を持たせていただいています。
今世、私は、自分のすべてを懸けてきました。心を田池留吉、アルバート、お母さん、温もりに、しっかりと向けることを拒否してきた私にとって、それを遂行していくことは、とても、とても困難なことでした。しかし、「今世、私は、自分のすべてを懸けてきた」という自分の内なる思いが、それを可能にしたんです。
「今世を外せない。」
今世は、私にとって、たった一つの、そして最後のチャンスでした。
今世、私はここを外せば、もう、再び、自分の本質に出会う、愛へ帰る道へ自分をいざなうことは、殆ど難しい状況でした。その背景を全部抱えて、私は、今世の肉体をいただきました。だからこそ、田池留吉の学びに食らいついてまいりました。
今世は、そういう状況から、二十年という時間を必要としましたが、ようやく、私の中にも、「自分が愛でした。私はこの道を真っ直ぐに歩いてまいります」と確信が芽生え、その芽生えが育ち、今、自己確立の道を喜び、喜びで歩いていく状況にあります。
私は、心から田池留吉を信じています。アルバートにどれだけ出会いたかったか。アルバートの波動をどれだけ心の中に広げたかったか。その思いは、私自身、一番よく知っています。
だから、田池留吉がアルバートの波動を伝えにきてくれたということを、私はどれだけ喜びで受けていったか。アルバートを待っていた私にとって、田池留吉を信じているかいないか、そういう思いを向けられること自体が、愚かなことだと、私は、言い切れます。
私は田池留吉とともに歩いてまいります。田池留吉の世界は、私の世界です。アルバートの世界は、私の中にあります。アルバートの中にあった私。その私をどんどん知っていくことが、喜びへ帰る道。愛へ帰る道。
母なる宇宙への思いをしっかりと心に受け止め、私は一歩、一歩着実に歩みを進めています。だから、私は田池留吉、アルバートを思う瞑想をします。宇宙を思う瞑想をします。
瞑想は喜びです。ただただ喜びです。

二五〇年後の私が語ります。
私は今、まだ肉体を持っていないけれど、二五〇年後の私です。
私は、今、心の中にアルバートを呼んでいます。私達の心の中にあったふるさとへ帰ろうと、私はこの喜びをずっと、ずっと待ち続けてきました。二五〇年前、私は一つの肉体を持ち、ようやく、この喜びの道を自分の中に見出し、そして、今に至っています。
私の境遇はとても苦しかったです。しかし、それもみんな、みんなこの喜び、温もりの世界を心に広げるためでした。
私は、今とても幸せです。ああ、この肉体をいただいたことを、本当に喜んでいる私があります。
ああ、この肉体は、すべて愛に帰るために用意されていました。
心を繋いで、繋いで、繋いで、二五〇年前の私から、今の私へ、ようやく、ようやく、しっかりとした足取りで、宇宙達とともに次元を超えていく道が目の前に広がっています。私達の心の中の喜びは、爆発しそうです。
ありがとうございます。こんなに幸せでよかったのでしょうか。
私の過去すべてが一斉に喜びに目覚めて、今、私はその思いを心いっぱいに広げています。
たくさんのありがとう、喜びを胸に、私達は次元を超え、再び、この地球上には転生してきません。ともに、約束してきた私の仲間達。その喜びが私の心の中に広がっています。
私達は愛へ帰る存在でした。愛が私達。私達の中に愛があった。このことを、ただただひたすらに、伝え続けてくれた母の意識、田池留吉、アルバートの意識にありがとうの思いだけを伝えます。
アルバート、私達は次元を超えてまいります。アルバート、ありがとうございます。アルバート、あなたと出会えてよかった。あなたの意識の世界と出会えてよかった。
アルバートを呼んできた私達宇宙の思いとともに、私は今、あなたの中へ帰っていくことを確認しています。
時を経て、今、私達は一つの世界を心に広げ感じています。嬉しいです。嬉しいです。日本の国は、今はもうないけれど、日本の国で、田池留吉とともに学び、私達は一つの世界を知りました。
苦しかった転生を、すべてその一つの愛の中に包み入れ、私達はともに、ともに真実の道を着実に一歩、歩めることができるんです。
私達の意識、私達の存在は永遠です。

posted by ユーティーエーブック at 10:15| 奈良 ☁| Comment(0) | 「愛、心のふるさと」(全7回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする