2016年08月30日

愛、あなたは愛です vol.03


「本当の自分の人生を生きるとは、自分の本当の姿(=愛)を知っていくことです。自分の本当の姿(=愛)を知らないで生きて、死んでいくことが苦しみなんです。
自分の本当の姿(=愛)を知っていくために、自分に用意した時間が、人生の時間です。そして、その自分を知っていくことが、人生の目的なんです。」

第3回目の今日は、第一章「愛(本当の自分)に目覚めよう」。ページ数では、13ページから27ページまでの朗読です。



【参考】(朗読部分のテキストです)
「愛、あなたは愛です」第一章  愛(本当の自分)に目覚めよう p13~p27
 ※途中、本書に付け加える形で、著者のコメントが入る部分があります。

(本当の自分)に目覚めよう

私達は、誰一人例外なく間違ってきたんです。

しかし、その間違いに自ら気付いていけるのも私達なんです。

間違いとは、私達は、本当の自分(=愛)を信じないで、偽物の自分(≠愛)を信じてきたことです。偽物の自分を自分だと思い込んできたことです。つまり、私達は、これまで誰一人例外なく、自分を含む目に見える、形ある世界が本物の世界だと思い込んできたのです。

当然、そこに喜びであるとか、幸せであるとか、生きがいを探し求めていきます。一生懸命、道を模索していきます。一度きりの人生だと思って・・・。

しかし、哀しいかな、それでは、いつまで経っても、本当の喜びであるとか、幸せには巡り合えないんです。偽物の自分を自分だと思い込んで、その偽物の自分が、楽しい、嬉しい、幸せ、喜びだと感じているに過ぎないだけなんです。

だから、その楽しみや喜びは、本当に楽しみだけ、喜びだけをあなたにもたらしたわけではないはずです。

楽しみを得るために、喜びを手に入れるために、あなたは苦労しませんでしたか。あなたの心と身体を使いませんでしたか。特に心のほうはどうでしたでしょうか。あなたはどんな心を使ってきましたか。どんな思いを出してきましたか。

そして、その後はどうですか。苦労して手に入れた喜びと幸せであればあるほど、それを守り、また大きくしていくために、さらに、あなたは心と身体を使っていったのではないでしょうか。

そうして、それだけ苦労して手に入れたものも、自分の肉体の消滅とともに、あなたの目の前から消えてなくなっていきます。

もちろん、築いたものは、色々な形となって後に遺されていくでしょう。しかし、同時にそれは苦しみとなっていきます。そこにはまた新たな苦悩が生じていきます。


このように、私達が本物だと思い込んでいる世界、世の中というのは、悲喜こもごもです。その中で、幸せと喜びを感じている人もいれば、悲しみに沈んでいる人もいます。

しかし、それさえも分かりません。その立場は時間の経過とともに逆転していく可能性は、多々あるのではないでしょうか。

今は、幸せであり喜びであっても、ある瞬間から悲しみの奥底に落ちていくこともあります。

そのような悲喜こもごもの中で、一喜一憂していくことが、本当に、本当の人生だと言えるのでしょうか。


世間一般に、人生、色々と言われています。しかし、人生、色々ではありません。喜びも苦しみもあるのが人生ではありません。

本当は、人生は喜びだけなんです。喜びの人生を生きていくのが、私達人間の本来の姿なんです。

それがそうでないのは、私達人間は、本当の自分の人生を生きることを知らないからです。

本当の自分の人生を生きるとは、自分の本当の姿(=愛)を知っていくことです。自分の本当の姿(=愛)を知らないで生きて、死んでいくことが苦しみなんです。

自分の本当の姿(=愛)を知っていくために、自分に用意した時間が、人生の時間です。

そして、その自分を知っていくことが、人生の目的なんです。


愛を知らずに生きてきた私達ですが、どうでしょうか、あなたも今こそ、本当の愛を知っていきませんか。本当のご自分と出会っていきませんか。本当のご自分を感じ知っていくような生き方をなさいませんか。

私は、自分の中の愛(本当の自分)を感じて信じていく方向に、心を向けていくように日々努めています。

ゆったりと静かな時間をできるだけ持つように心掛けています。

具体的には、瞑想の時間を持っています。ただし、瞑想と言っても、色々な瞑想がありますそこで、瞑想に関連して、少々記しておきます。


瞑想とは、目を閉じて思うことです。

瞑想の一般的なイメージとして、座禅を組んでとか、姿勢を正して精神を統一してとか、反対にリラックスしてとか、そのようなイメージの中で行われているようですが、そういう瞑想は止めてください。

ましてや、滝に当たって、山を駆け巡ってなどという修行はもってのほかです。そんなことで悟りを開くとか、気持ちが洗われるとか、喜びを感じるとか、幸せになるとか、感謝の思いに満たされるとか、そういうことは絶対にありません。

瞑想をするうえで、最も大切なことは、あなたの心がどこに向いているかということなんです。

その確認のないままで、瞑想をするということは、全く良くないことで、そんな瞑想を続けていれば、その人の末路は哀れなものになっていくでしょう。

私がしている瞑想は、そんな瞑想ではありません。

では、どのような瞑想かということですが、その前に、どなたにもやっていただきたいことがあります。それは、母の反省と他力の反省です。


まず、母の反省です。

自分を産んでくれた母親に対して、どんな思いで接してきたか、接しているか、なるべく小さな頃のことを思い出してください。

母親がしてくれたこと、してくれなかったこと、自分が母親にしてあげたこと、という三点に絞って、その時、自分はどんな思いを使ったのか思い出して、ノート等に綴ってみるという反省です。

なぜ母の反省なのかということですが、あなたのお母さんが、あなたに今の肉体をくれたのです。

それは、はじめにのところでも書きましたように、あなたが自分に肉体をください、私を産んでくださいと、母になる人にお願いしたからなのです。もちろん、そんなことは、今の段階では、おそらく、みんな知らないと答えるでしょう。

しかし、それは、今はそうであっても、いつの日にか、どなたの心にも感じられることなんです。

そして、それは同時に、今の自分のこの肉体がなければ、自分に本当のことを伝えることができないと知っていきます。

自分に本当のことを伝えることができなければ、どうなっていくのか、本当はみんな自分の心に知っているんです。ただ、それはあまりにも苦しくて、あまりにも恐怖だから、触れないようにして、誤魔化して日々の時間を過ごしているだけです。

自分の中に蠢くエネルギーを、母を通して、まず感じてくださいというのが、母の反省です。

母の反省をしていって、母親との関わり合いの中で、自分が母親に出してきた思いを知っていけば、自分がどんなに凄まじい思いを、目の前の母親目がけて吐き出してきたかが、はっきりと感じられます。

母親が口を開くたびに、何かをするたびに、自分の心から母親に向かってストレートに出る思いが、どなたにも必ずあります。

その出る思いはどんな思いなのか、そして、そのエネルギーの勢いはどんななのかを確認してください。

母親という存在は、自分の中に溜め込んできた思いを、素直にストレートに出してくれるありがたい存在です。

産んでくれて、育ててくれてという親の恩をありがたく受け止め、それに報いるような人間であれというそんな道徳的なものはどうでもいいことです。

それよりも何よりも、自分の母親に対して出す思いを包み隠さずに、ありのまま、感じ確認していくんです。そのために、自分にとって受け入れ難い母親が目の前にいることを知ってください。

中には、母を敬い、母を美化する人もいるでしょうが、殆どの人は、母親を見下げ蹴散らして、我儘気ままのやり放題というところではないでしょうか。

母を敬い、母を美化している人も、もっと自分の心の奥を感じていかれたら、とても、とてもということでしょう。

みんなすごいです。肉体という形を持った目の前にいる母親を通して、自分の中の狂った凄まじいエネルギーを感じていきましょう。

みんな心の中にあるんだから、母の反省をしていけば、必ずどなたも自分の中の狂った凄まじいエネルギーを知っていきます。

知っていくまで、母の反省をしてください。

みんな本当の自分を捨て去った、愛を捨て去ったんです。

温もりなど要らない、愛などくそくらえと叫んできた思いを自分の中で確認できるまで、母の反省をしてください。

そして、お母さんと心に思う、心で呼ぶ、そんな時間を持ってください。

そうしていけば、どんなに温もりなど要らない、愛などくそくらえと叫んでいても、それを本当に無条件で、ただただ受け止めてくれていた母の思い(母の温もり)を、いつの日にか、どなたも知っていけるのです。

そうなってくれば、自分が肉体という形を何としても持ちたかった思いが、自分の中ではっきりと確認できます。

どんなに今という時が嬉しくてありがたい時なのか、自ずと自分の心に響いてきます。

まずそんな母の反省と、母を思う時間を設けて、最初は、表面的でいいですから、お母さん、ごめんなさい、お母さん、ありがとうと、素直に言えるようになってください。

初めは、それがささやかなものであっても、ああ私は間違ってきたなあ、お母さん、ごめんなさい、お母さん、ありがとうという思いが、段々とはっきりと感じてくるようになってきます。

もちろん、それはそんなに簡単にはいきません。

その思いを阻止する思いが、長い、長い転生を経て、それぞれの心の中に溜め込まれているからです。

そして、その阻止する思いとは、肉、形を本物とする思いなんです。我一番の思いです。我は神なりの思いです。

その肉、形を本物とする思い、我一番、我は神なりの思いを、私達は他力の心と言っています。

この他力の心が、私達の心の中にこびりついています。その心は、非常に根深いし、根強い思いなんです。

posted by ユーティーエーブック at 17:10| 奈良 ☁| Comment(0) | 「愛、あなたは愛です」(全30回) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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